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作成:2006年9月16日
講師:明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
書記:竹内 貴康,藤本 望 編集:深川 裕佳
買主の中心的な義務である。代金支払いの細目については,当事者が契約で定めることが多いが,その取り決めがない場合,国際的な商事売買の場合には,以下のように処理されている。
国連動産売買条約 第55条〔代金未定の場合の処理〕
契約が有効に締結されているが,明示又は黙示により代金を定めていないか又はその決定方法を規定していないときは,当事者は,別段の事情がない限り,契約締結時にその取引と対比し得る状況の下で売却されていた同種の物品につき一般的に請求されていた代金に暗黙の言及をしているものとして扱う。
代金支払時期について合意がなされていない場合において,目的物の引渡しについて期限が定められているときは,代金の支払についても同一の期限を付したものと推定される(民法573条)。
第573条(代金の支払期限)
売買の目的物の引渡しについて期限があるときは,代金の支払についても同一の期限を付したものと推定する。
一般的には,特に,金銭債務の場合には,債務の弁済の場所は,債権者たる売主の住所である(持参債務⇔取立債務)(民法484条)。
第484条(弁済の場所)
弁済をすべき場所について別段の意思表示がないときは,特定物の引渡しは債権発生の時にその物が存在した場所において,その他の弁済は債権者の現在の住所において,それぞれしなければならない。
立法等の例 | 特定物の引渡債務 | 種類物の引渡債務 | 金銭債務 | その他の作為債務 |
---|---|---|---|---|
旧民法 | 合意の当時の目的物の所在地 (債務者の住所) |
特定のための指定がなされた場所 (債務者の住所) |
債務者の住所 | 債務者の住所 |
現行民法 | 債権発生時の目的物の所在地 (債務者の住所) |
債権者の住所 | 債権者の住所 | 債権者の住所 |
UNIDROIT原則 ヨーロッパ契約法原則 |
債務者の住所 | 債務者の住所 | 債権者の住所 | 債務者の住所 |
第484条・改正私案〔弁済の場所〕
@弁済をすべき場所について別段の意思表示がないときは,特定物の引渡の場合は,債権発生の当時その物の存在した場所で,種類物の引渡の場合は,種類物の特定の当時その物の存在した場所で,その他の引渡債務(金銭債務)の弁済は,債権者の現時の住所でこれをしなければならない。
Aその他の債務(作為債務)については,債務者の現時の住所で弁済をしなければならない。
ただし,的物の引渡しと同時に代金を支払うべきものとされているときは,同時履行の原則(民法533条)により,同時に行われるべき目的物の引渡しの場所において代金を支払うことを要する(民法574条)。
第574条(代金の支払場所)
売買の目的物の引渡しと同時に代金を支払うべきときは,その引渡しの場所において支払わなければならない。
フランス民法 第1651条
代金支払について売買当時においてなんらの定めもない場合には,買主は目的物の引渡のなされるべき場所,および,目的物の引渡のなされるべき時点において,代金を支払うことを要する。
国連国際動産売買条約 第57条【売買代金の支払場所】
@代金を他の特定の場所で支払うことを要しない場合には,買主はそれを次の場所で売主に支払わなければならない。
(a)売主の営業所,又は,
(b)物品又は書類の交付と引換えに代金を支払うべきときには,その交付が行われる場所。
A契約締結後に売主が営業所を変更したことにより生じた代金支払に付随する費用の増加は,売主の負担とする。
第574条・改正私案(代金の支払場所)
@売買代金の支払は,第484条1項の規定に従い,債権者である売主の住所でこれをしなければならない。
A売買の目的物の引渡と同時に代金を払うべきときは,買主は,第533条の規定の趣旨を援用して,その引渡の場所で支払うことができる。
目的物の引渡しと同時に代金を支払うべき場合でも,既に目的物の引渡しだけを終了してしまった後においては,代金支払いの場所は,一般原則(民法484条)にしたがって,売主の住所となる(大判昭2・12・27民集6巻743頁(民法574条は,代金支払の場所につき別段の定めがなく目的物の引渡と同時に代金を支払うべき関係が現存する場合に限り適用があり,既に目的物の引渡が終った後は民法484条が適用される))。
代金についての利息(遅延利息)は目的物の引渡しを受けた日から支払えばよい(民法575条2項)。
第575条(果実の帰属及び代金の利息の支払)
@まだ引き渡されていない売買の目的物が果実を生じたときは,その果実は,売主に帰属する。
A買主は,引渡しの日から,代金の利息を支払う義務を負う。ただし,代金の支払について期限があるときは,その期限が到来するまでは,利息を支払うことを要しない。
民法575条は,売買によって本来買主に帰属すべき果実収取権と,売買代金の期限の到来によってによって本来売主が請求できるはずの利息請求権とを,同時履行の趣旨を考慮して,目的物の引渡しまでは,売主に果実収取権を与えるとともに,買主の代金の利息支払義務を免除したものである。
民法575条は,売買契約が解除された場合にも,重要な意味をもつ。もしも,売買契約が解除された場合は,民法575条の権利関係を逆転させて考えるとよい。売主は,買主が支払った売買代金につき,目的物が返還された時から法定利息をつけて返還しなければらないが,目的物が返還されるまでは,利息を支払う義務をまぬかれる。その代わり,買主は,目的物を返還するまでの果実を「取得」する。
なぜなら,民法575条1項が,「まだ引き渡されていない売買の目的物が果実を生じたときは,その果実は,売主に帰属する」と規定しているのは,本来,買主に帰属すべき果実を,民法533条の同時履行を貫徹させ,かつ,民法400条にしたがって,目的物の保存を義務づけられている売主を保護するため,民法189条(善意の占有者による果実の取得)の趣旨にしたがって,売主に帰属させたものであると理解すべきだからである。
売買契約の成立後 | 売買契約の解除後 | |||
---|---|---|---|---|
目的物の 引渡し前 |
目的物の 引渡し後 |
目的物の 返還前 |
目的物の 返還後 |
|
果実収取権 | 売主に帰属 | 買主に帰属 | 買主に帰属 | 売主に帰属 |
利息請求権 | 売主から剥奪 | 売主に帰属 | 買主から剥奪 | 買主に帰属 |
確かに,民法189条による場合には,「善意の占有者が本権の訴えにおいて敗訴したときは,その訴えの提起の時から悪意の占有者とみなされ(民法189条2項),民法190条により,「悪意の占有者は,果実を返還し,かつ,既に消費し,過失によって損傷し,又は収取を怠った果実の代価を償還する義務を負う」ことになりそうである。しかし,民法575条1項が,売主に果実が帰属することを認めたのは,民法575条2項の買主の代金支払義務との間の同時履行の関係を考慮したためであると解すべきである。すなわち,売主が目的物引き渡すまでは,売主の占有について善意占有の法理(民法189条1項)を適用し(民法575条1項),代金支払については,目的物の引渡しを受けるまでは,買主の遅滞の責任を負わさないこととした(民法575条2項)と解するのである。したがって,民法575条が適用される場合には,信義則に反するような特別の例外を除き,当事者の善意・悪意,本訴での勝訴・敗訴は結論に影響を与えないと解すべきなのである。
このように考えると,売買契約が解除された場合(民法561条における追奪担保責任に基づく解除の場合)において,買主に使用利益の返還を命じた以下の判決は,具体的な結論としても,買主に過酷な責任を負わせるものであり,批判されるべきである。
買主が損害を受けるおそれがある特別の場合には,買主を保護するため,買主に代金支払拒絶の抗弁権が認められ,この場合,売主には代金供託請求権が認められている(民法576〜578条)。
第576条(権利を失うおそれがある場合の買主による代金の支払の拒絶)
売買の目的について権利を主張する者があるために買主がその買い受けた権利の全部又は一部を失うおそれがあるときは,買主は,その危険の限度に応じて,代金の全部又は一部の支払を拒むことができる。ただし,売主が相当の担保を供したときは,この限りでない。
第577条(抵当権等の登記がある場合の買主による代金の支払の拒絶)
@買い受けた不動産について抵当権の登記があるときは,買主は,抵当権消滅請求の手続が終わるまで,その代金の支払を拒むことができる。この場合において,売主は,買主に対し,遅滞なく抵当権消滅請求をすべき旨を請求することができる。
A前項の規定は,買い受けた不動産について先取特権又は質権の登記がある場合について準用する。
第578条(売主による代金の供託の請求)
前2条の場合においては,売主は,買主に対して代金の供託を請求することができる。
ところで,双務契約においては,例えば,目的物の引渡しと代金の支払が同時に履行されるべきである場合には,相手方が債務を提供するまでは,自分の債務を履行しないと主張することができる。これが「同時履行の抗弁権」である(民法533条)。
第533条(同時履行の抗弁【権】)
双務契約の当事者の一方は,相手方がその債務の履行を提供するまでは,自己の債務の履行を拒むことができる。ただし,相手方の債務が弁済期にないときは,この限りでない。
そして,売主の担保責任と買主の代金支払義務とは,同時履行の関係にあることが民法571条によって認められている。
第571条(売主の担保責任と同時履行)
第533条〔同時履行の抗弁権〕の規定は,第563条から第566条まで及び前条〔売主の担保責任〕の場合について準用する。
しかし,民法533条の同時履行の抗弁権は,例えば,買主が目的物の引渡しを受けるまでの段階において,代金の支払を拒絶できる権利であって,買主が目的物を受け取ってしまった場合については,適用されない。
売主の担保責任に関して同時履行の抗弁権を準用する民法571条も,追奪担保責任の一部,すなわち,民法563条(権利の一部が他人に属する場合における売主の担保責任)から566条(地上権等がある場合等における売主の担保責任)まで,及び,瑕疵担保責任についてしか同時履行の抗弁権を認めていない。
つまり,民法576条が問題としている他人物売買等によって「買主がその買い受けた権利の全部又は一部を失う恐れがあるとき」のうち,買い受けた権利の「全部」を失う恐れがある場合には,民法571条は適用されない。さらに,民法577条が問題としている「抵当権等の登記がある場合」については,目的物に抵当権の登記があることが自明であり,それにもかかわらず,買主がその目的物を購入することを決意して引渡しまで受けた場合が想定されており,民法571条は適用されない。
そこで,同時履行の抗弁権が使えない場合においても,代金の支払に見合った目的物の履行が期待できない場合を想定して買主の代金支払拒絶権を認めたのが,民法576-578条の規定である。
そこで,この権利をどのように位置づけるかが問題となり,「不安の抗弁権」について紹介しておく必要が生じてくる。同時履行の関係ではないが,双務契約の成立後に,先履行義務者の相手方の財産状態が悪化し,債務の履行が期待し得なくなった場合には,先履行義務者は,相手方の履行請求に対し,自己の債務の先履行を拒絶できるというのが,「不安の抗弁権」である(ドイツ民法321条)。
ドイツ民法 第321条(不安の抗弁権)
@双務契約に基づいて先給付義務を負う者は,契約締結後,その者の反対給付請求権が相手方の給付能力の欠如により危殆化されることを知りうるときは,その者が負担する給付を拒絶しうる。反対給付が実現され,またはそのための担保が給付されたときは,給付拒絶権は,消滅する。
A先給付義務者は,相手方が給付と引き換えに,その選択に従い,反対給付を実現し,または担保を給付しなければならない,相当期間を指定することができる。その期間が徒過されたときは,先給付義務者は,契約を解除しうる。この場合には,323条〔不給付又は不完全給付の場合の解除〕の規定が準用される。
上記の民法576条〜577条までの規定は,先履行義務者が反対給付を得られなくなる危険が生じている場合ではないが,すでに給付された目的物が追奪する危険があるため,代金を支払ってしまうと,双務契約が実現しようとしている給付と反対給付との均衡が失われる恐れがあるという点では,不安の抗弁と同じ状況にあるといってよい。民法576条〜577条の場合において,代金拒絶権,担保提供による支払拒絶権の消滅が規定されていることは,不安の抗弁の効果と同様である。また,この場合の解決策として,民法578条が供託によって処理していることは注目に値する[大村・基本民法U(1993)41-42頁]。
従来,買主は目的物の引渡しを請求する権利を有するが,これを受領する義務はないとされており,買主が受領しなくても債務不履行とならないとされていた。しかし,判例は,特別な事情のある場合に限ってではあるが,引取義務を認め,買主が受領しないときに債務不履行による損害賠償義務や解除権を生ずると解している。
国連国際動産売買条約(CISG) 第60条〔引渡し受領義務〕
買主の引渡受領義務の内容は,次の通りとする。
(a)売主による引渡を可能にするため買主に合理的に期待され得る全ての行為を行うこと,及び,
(b)物品を引き取ること。
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