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第50回 和解

作成:2006年9月16日

講師:明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
書記:竹内 貴康,藤本 望 編集:深川 裕佳


講義のねらい


和解


和解の目的と性質


和解は,当事者が互いに譲歩してその間に存する争いをやめることを約する諾成,有償の双務契約である(民法695条)。

第695条(和解)
和解は,当事者が互いに譲歩をしてその間に存する争いをやめることを約することによって,その効力を生ずる。

和解は,裁判の目的と同様,紛争の解決にある。しかし,その方法は,裁判が戦闘であるのに対して,和解の方法は平和である[梅・民法要義(3)(1887)842頁]。

裁判は,一種の戦闘に類するものであり,莫大な費用と日時とを要するばかりでなく,勝ち負けがはっきりするために,敗訴した当事者には怨恨の情が残ることになる。これに比して,和解は,互譲によるものであるだけに,妥結の条件は,当事者が考えているものよりも多少不利益になることはやむを得ない。しかし,相反目していた当事者が,他人の力を借りることなく,合意に基づいて和合し,再び友好関係を確立する意義は大きい。

和解に関しては,近代的な権利義務意識の推進という観点からの批判もあるが,当事者の自主的紛争解決手段としての和解は,訴訟よりも迅速・円満にことを収拾できるという意味でのぞましい姿ともいえる。民事訴訟法89条が,訴訟のいかなる段階においても,裁判官は,和解の試みを行うことができると規定しているのは,紛争の終局的な解決にとって,和解の効力がいかに大きいかをを示している。

民事訴訟法 第89条(和解の試み)
裁判所は,訴訟がいかなる程度にあるかを問わず,和解を試み,又は受命裁判官若しくは受託裁判官に和解を試みさせることができる。

もちろん,いかなる制度も最良ということはありえない。和解が当事者に大きな満足を与えるためには,当事者間の交渉力を高めるために教育や訓練が不可欠であり,わが国では,そのような試みが十分にはなされておらず,和解が有している潜在的な力を発揮できていないのが現状であろう。しかし,裁判による紛争解決,裁判所以外の機関による斡旋,調停,仲裁などの紛争解決(ADR:Alternative Dispute Resolution),そして,契約による当事者の自主的な紛争解決方法としての和解とは,それぞれの役割を果たしながら,常に競争的な緊張関係を保つことが必要である。そのことが,裁判,ADR,和解を同時に改善・改革していく大きな原動力となるからである。


和解の成立


争いの存続(紛争性)

当事者間に解決すべき「争い」が存続しなければならない。争いがなくても,お互いに譲り合うことは普通に行われている。したがって,例えば,有償契約の中で,債務者が期限が来ても債務の弁済をしないという場合に,債務者が担保を差し入れ,債権者が若干の期限の猶予を与えるという場合は,確かに,お互いの譲歩は行われているが,当事者間に「争い」があるわけではないので,和解とはいえない[梅・民法要義(3)(1887)843頁]。

争いの種類に法規上の制限はないが,ことの性質上当事者が自由に処分できるものでなければならないから,親族関係の存否に関する争いは和解の対象とはならない。

争いは,法律関係の存否,内容,範囲に関するものであることを要する,とするのが判例・通説である。

しかし,近時は,紛争解決のために「たとえ真実と違っても」という意思で,新たに権利関係を確定する実益があれば足りる,との有力説が唱えられている。この有力説によれば,権利関係の存否,内容,範囲に関する争いだけでなく,例えば,代金を定めたかどうかなど権利関係が不明確な場合も,争いが存することになる。なお,判例は,判決で確定した関係についての和解の成立を肯定している。

また民訴法275条の起訴前の和解(即決和解)は,あらかじめ裁判外で当事者間に成立している示談契約を前提として申立てが行われることが多いため,このような場合に争いがあるかが問題になるが,将来紛争の発生する可能性が予測できれば争いがあるといえると解するのが裁判例である。

互譲性

当事者が一定の法律関係を確保するために,互いに譲歩することを要する。したがって,一方だけが譲歩する場合は和解でなく,これと類似する無名契約ということになる。しかし,前記有力説は,このような区別をする実益はないと批判する。もっとも,判例・通説も,互譲性についてはかなり弾力的に解している。なお,譲歩の程度,方法については,特別の制限はない。

紛争終結の合意

一定の法律関係を確定することにより,争いをやめることを約することが必要である。


和解の効力


法律関係確定の効力

和解の成立により争いがやむことになるので,和解の内容と真実の法律関係とが異なる場合でも,当事者は,和解の内容に拘束される。すなわち,当事者の一方Aが和解によって争いの目的である権利を有するものと認められた場合において,後にAが従来その権利を有しなかった確証が出たときは,その権利は,和解によってAに移転したものとし,逆に相手方Bが権利を有しないと認められた場合において,Bがその権利を有している確証が出たときは,その権利は和解によって消滅したものとされる(民法696条)。すなわち,新たな法律関係が創設されたことになる。

第696条(和解の効力)
当事者の一方が和解によって争いの目的である権利を有するものと認められ,又は相手方がこれを有しないものと認められた場合において,その当事者の一方が従来その権利を有していなかった旨の確証又は相手方がこれを有していた旨の確証が得られたときは,その権利は,和解によってその当事者の一方に移転し,又は消滅したものとする。

もっとも,和解の内容が,後から見ても,正しい法律関係と一致することが確証されることもありうる。その場合には,和解の効力は,新たな法律関係の創設ではなく,真実の法律関係を認定したものに過ぎないということになる[梅・民法要義(3)(1887)847頁]。

和解と錯誤

法律関係確定の効力の及ぶのは,「たとえ真実に反しても」との意思で決められたと推測できる範囲の事項に限られる。したがって,この範囲の事項について,後日錯誤のあったことが判明しても,和解の効力に影響はない。

しかし,その範囲の事項以外の事柄について錯誤のある場合は,和解は錯誤により無効となり得る。当事者が和解の前提として争わなかった事項について錯誤が存した場合については,無効主張が認められている。


示談


交通事故などの損害賠償をめぐる紛争を終結させるため,当事者の一方が支払うべき金額・支払方法などを約し,他方もそれ以上の請求権を放棄する旨を約する示談が広く行われている。この示談の法的性質については,和解であるとの見解が多いが,有力説は,和解類似の無名契約と解すべきだとする。

交通事故などの示談で,被害者が一定金額の支払いを受けることで満足し,その余の賠償請求権を放棄した場合には,それが紛争を終結させる合意である以上,仮に,示談当時,示談額を上回る実損害があったとしても,原則として後になって追加請求することはできない。

判例も,これを一般論としては肯定する。しかし,早急に示談金を必要とする被害者の切実な要求から,実損害より著しく低い示談金の約定がされた場合などには,被害者に酷な結果となるので,判例・学説は,真意に基づく示談でないとか,示談による拘束力の範囲を示談当時予測した損害に限定するなどの解釈をして,被害者の救済を図っている


<紹介>
フィッシャー&ユーリー/金山宣夫,浅井和子訳
『ハーバード流交渉術(Getting to Yes)』三笠書房(1990)

作成:2005年5月21日

明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂


はじめに


さまざまなタイプの交渉の中で「究極の交渉」として位置づけられるのは,人質の解放のための交渉であろう。人命を優先し,人質の解放のために犯人の要求を呑むのか,それとも,秩序を優先し,人質の犠牲を覚悟で突入を図るのか,二者択一を迫られた当局がどのような判断を下すのかというような手に汗を握る場面は,まるで,映画を見るようである。

この場合に,対立する立場の中に共通の利害を見抜き,二者択一を越えた全く別の解決案を発見して,犯人と当局(依頼者)との利害を見事に調整するのが,交渉人の役目である。交渉人が,犯人の投降と人質の解放を同時に平和的に実現するという見事な役割を演じた場合には,おのずと拍手喝采が沸き起こる。しかし,なぜ,そのようなことが可能なのだろうか。犯人を平和的に投降させる至らせた交渉の内容はどのようなものだったのだろうか,また,このようなレベルの高いプロの交渉人のノウハウは,どのようなものであり,それは,学習可能なものなのであろうか。

このような交渉技術が学習できるとすると,それは,小さいところでは,家族間のトラブルの解決方法としても,大きいところでは,国家間の紛争の解決方法としても有効であるように思われる。交渉術が普及し,家庭内での夫婦喧嘩や親子喧嘩が,双方が満足する交渉へと変化していけば,戦争のない平和な社会の実現も夢ではなくなるようにも思われるのである。

交渉術が学習可能であるならば,その効用は,その結果にとどまらない。交渉術の学習とは,つまるところ,当事者の双方が満足する紛争解決の方法を学習するということに他ならないのであるから,それは,まさに,法教育の目標そのものでもあるということになる。交渉術の学習という観点から法教育を見直すことになれば,教育を行う教師と,教育を受ける学生との間においても,双方の満足が実現されることになるのではあるまいか。このように考えると,法科大学院教育においても,交渉術を必修科目とすることが検討されてしかるべきかもしれない。


T ハーバード流交渉術の分析


ハーバード流交渉術は,以下の4つの原則(段階)から成り立っている。

  1. …人と問題とを分離せよ
  2. 利害…立場でなく利害に焦点を合わせよ
  3. 選択肢…行動について決定する前に多くの可能性を考え出せ
  4. 基準…結果はあくまでも客観的基準によるべきことを強調せよ

紹介すべき本書(フィッシャー&ユーリー/金山宣夫,浅井和子訳『ハーバード流交渉術』三笠書房(1990)(原著 Getting to Yes, 1981))は,この順序に従って記述されている。「まどろっこしい」と感じられるかもしれないが,まずは,そこで論じられている項目見出しを抜書きしながら,全体の流れを見ていくことにする。

なお,( )内は,本書のページ数であり,( )が付加されていない項目,例えば,「人」に関して本人,相手方,第三者を追加したり,「問題」に関して,目的,手段,プロセスを追加しているが,これは,紹介者である筆者が,ハーバード流交渉術の戦術を体系化する上で,便宜であろうと考えて追加した見出しである。

  1. 人…人と問題とを分離せよ
  2. 利害…立場でなく利害に焦点を合わせよ
  3. 選択肢…行動について決定する前に多くの可能性を考え出せ
  4. 基準…結果はあくまでも客観的基準によるべきことを強調せよ

U ハーバード流交渉術の体系化の試み


W.ユーリー/斎藤精一郎訳『ハーバード流”NO”と言わせない交渉術』三笠書房(1995)(原著 Getting past NO negotiating with difficult people, 1992)も参考にして,ハーバード流交渉術の構造化・体系化を試みることにしよう。

1 ハーバード流交渉術の目標(19)と特色

  1. 当事者双方の正当な要望を可能な限り満足させる。←相互利益型交渉*得・得交渉)
  2. 対立する立場の裏にある利害に焦点をあわせ,双方が参加・協力して利害を公平に調整する。←協働型交渉(横並び(隣席)交渉**
  3. 時間がたっても効力を失わず,社会全体の利益を考慮に入れた解決を行う。←原則立脚型交渉***勝ち・勝ち交渉)
*図書館で二人の男が言い争っているとしよう。一人は窓を開けたいし,もう一人は閉めたい。彼らはどれだけ窓を開けておくか,さっきから言い争っているが,なかなか埒があかない。そこへ図書館員が入ってきた。彼女は,一方の男になぜ窓を開けたいか尋ねた。「新鮮な空気が欲しいからですよ」と彼は答えた。次にもう一方に,なぜ閉めたいか尋ねると,「風に当たりたくないんですよ」という答えだった。少し考えてから,彼女は隣の部屋の窓を開けた。こうして風に当たることなく新鮮な空気が入れられ,二人の男は満足した(77)。
**交渉を成功に導く最も確かな方法は,相手のペースにはまる前に,相手をこちらのペース,つまり,協力方式の交渉パターンに引き入れてしまうのだ。柔道,柔術,合気道といった日本武道・武術は,相手の攻撃にまともに対することを避けて,それを巧みに受け流すことを教えている。交渉で無理に相手のガードを崩そうとすれば,相手はかえって意固地になってしまうことが多い。こういう場合には,正面から攻めようとしないで,回り込めばよい(cf. 入り身投げ小手返し)。これこそが,交渉を成功させる究極の秘訣なのである(NO31)。
合気道の基本技としての「入り身投げ」にみられる合気道の極意
攻撃の受け流し 回り込み 横並び・視線が同一方向
合気道の特色
崩しと技。相手の大きな動きに比べ,技をかけている人の体の位置は動いていない
Big Mountain's AIKIDOU (http://www.aikidou.info/)
***ここで大きな役割を果たすが,どちらの側の意思からも独立した公正な基準である。独立した基準は,何が公正な解決なのか判断するための物差しとなる。共通の基準とは,たとえば市場価格や平等な待遇,法律,あるいは単に,問題が以前どう解決されたかという前例〔先例〕などである(NO46)。

2 ハーバード流交渉術の方法(30)

  1. …人と問題とを分離せよ
  2. 利害…立場でなく利害に焦点を合わせよ
  3. 選択肢…行動について決定する前に多くの可能性を考え出せ
  4. 基準…結果はあくまでも客観的基準によるべきことを強調せよ

3 ハーバード流交渉術の流れ(193-211)

A. 典型的な事例に関する交渉の流れ

  1. 私が間違っていたら教えてください(194)
  2. あなたがしてくださったことには感謝しています(195)
  3. われわれの関心は公平さにあるのです(196)
  4. 私の事実確認が正しいかどうか,二,三質問してもいいですか(201)
  5. こんな公平な解決策も考えられませんか(207)
  6. 同意できたらこうしましょう。…もし同意できなかったらこうなるでしょう(208)
  7. おかげさまで話がうまくつきました(210)

B. 典型的な事例に関する交渉の流れと戦略の位置づけ

交渉の流れ 戦略 交渉の定型文言 交渉の内容 ねらい
1.問題の提起 問題の攻撃 「私が間違っていたら教えてください」(194) ターンブル: ジョーンズさん,もし間違っていたら教えていただきたいのですが,我々のアパートには,家賃統制が適用されると今聞きました。それによると法定最高額は月233ドルだそうですが,間違っていますでしょうか。 認知不協和の現象を生じさせる
人格を肯定し誉める 「あなたがしてくださったことには感謝しています」(195)

ターンブル: ポールも私も,あなたが個人的な好意で我々にこのアパートを貸してくださったことを知っています。時間と労力をかけてくださったことに感謝しています。

2.目標の設定 公平な解決 「我々の関心は公平さにあるのです」(196)

ターンブル: 我々は,当然の支払い額以上には支払っていないことを確認したいのです。支払った家賃がアパートに住んだ期間とだいたい見合うと納得すれば,公平と判断し,だまってこのアパートから出ていきますよ。

原則立脚型交渉に誘い込む
「欲得ずくや力ずくでなく,原則に従って解決したいのです」(197)

ジョーンズ夫人: あなたが公平さを云々するのはおかしいわ。結局あなたもポールもお金が欲しいだけなんでしょう。それに,アパートに今住んでいることを武器にしようとしているのでしょう。それが我慢できないの。できることなら,今日にも追い出してやるのに。

ターンブル: (憤りをやっと抑えながら),どうも私の言うことが理解されていないようですね。もちろん,ポールと私がお金をもらえれば結構なことですよ。それに当然ながら,追い出されるまではこのアパートに居させてもらうつもりです。でもジョーンズさん,問題はそんなことじゃないんです。
そんなことで何ドルかもらうより,我々にとって大事なのは公正に扱われることなのです。だまされていると感じるのは誰でもいやなものです。それに立ち退きを要求する権利があるとか,引越すのを拒否するとかの問題になると,裁判所へ行かねばなりません。それは時間と金の浪費です。頭の痛い問題を残すだけですよ。あなたにとっても同じです。誰がそんなことを望みますか。そうでなくて,我々はこの問題を力や欲得ずくでなく,公平な基準に基づいて公平に解決したいのです。

「信用するか否かは別問題です」(200)

ジョーンズ夫人: 私を信用しないの? あんなにいろいろやってあげたのに。

ターンブル: ジョーンズさん,我々はあなたのしてくれたことに感謝しています。でも,信用するかどうかは,ここでは問題ではありません。問題は原則なのです。我々は払いすぎてはいないでしょうか。これを判断するのに,どんな点を考慮に入れるべきだと思いますか。

3.共同作業 質問による立場の相互理解 「私の事実確認が正しいかどうか,二,三質問してもいいですか」(201) ターンブル: 私のつかんだ事実が正しいかどうか,二,三質問してもいいですか。
まず,このアパートは本当に家賃統制の適用を受けているのですか。法定の最高額は本当に233ドルですか。それ以上の家賃に同意したことは,我々も 法を破ったことになるのではないかとポールは心配しているのです。彼が 賃貸契約にサインしたとき,このアパートが家賃統制の対象となり,法定最高額が契約額より67ドル低いと彼に教えてやりましたか。
相手方が納得する解決案の作成に参加させる
「あなたの行動の背後にある原則は何ですか?」(202) ターンブル: あなたが月300ドルの家賃にしたのは,どんな理由からですか?
質問による共通の利益の発見 「あなたがおっしゃることを私が十分理解しているかどうか確認させてください」(203)

ターンブル: ジョーンズさん,あなたが言われることを私が十分理解しているかどうか確認させてください。
私の理解が正しいとすれば,前回の統制家賃の評価後,あなたはいろいろな修理修繕をしたから,我々の支払った家賃額は公正だとおっしゃるのですね。我々に貸していた数カ月間に,家賃統制委員会に値上げを申請しなかったのですね。
あなたは好意からポールに部屋を貸したのですね。そして今は我々が有利な立場にあって,立ち退き料を請求するのではないかと心配なのですね。他に言い忘れた点,または誤っている点はありませんか。

選択肢の協働作成 「もう一度うかがわせてください」(204) ターンブル: あなたのお考えがわかりましたので,ルームメートと相談してきます。明日,またうかがってもよろしいでしょうか。
解決案の候補の検討 「納得のいかないところがいくつかありますので,それを確認させてください」(206) ターンブル: 家賃が1カ月67ドルも法定額を超過していた理由に納得のいかないところがいくつかありますので申し上げます。一つは,アパートの修理です。家賃統制検査員は,67ドルの値上げが正当化されるのは,改修に1万ドルくらいがかった場合だと言っていました。あなたは改修にいくら使いま したか。
率直に言って,ポールと私には1万ドルもかけたようには見えません。あなたが直すと約束したリノリウム床の穴は,直してもらえませんでしたし,居間の床の穴もそうです。トイレは何度もこわれました。これらは私たちが気づいた欠陥や故障のほんの一部です。
4.解決案の提示 解決案を呑んだ場合の利益 「こんな公平な解決策も考えられませんか」(207) ターンブル: これまで話し合ったことをまとめてみますと,ポールと私には,我々の支払った家賃の,法定限度を越える分を返済してもらうのが一つの公正な解決策のように思えますが,どうでしょうか。 サンドイッチ効果
解決案を呑まない場合の不利益・警告 「同意できたらこうしましょう。…もし同意できなかったらこうなるでしょう」(208) ターンブル: もし,あなたと話し合いがつけば,ポールと私はすぐに引越します。
もし合意できない場合,家賃統制委員会の調査官が言うには,家賃を払わずにアパートにとどまるか,または家賃の償還と超過支払い分の3倍に相当する賠償金と訴訟費用を請求する訴えをあなたに起こすか,あるいはその両方の手段がとれるということです。我々としては,このどちらも気が進みません。
この件は,あなたと我々双方に満足のいくように公平に解決できると思いますが。
相手の面子を立てる 「あなたの都合のよいときに立ち退くよう努力します」(209) ターンブル: アパートにいた期間に見合った家賃額で合意ができ次第,あなたの最も都合のよいときに出るよう努力します。いつがよろしいですか。 相手方が勝利宣言をできるように配慮する
5.交渉の妥結 公平な解決の実現 「おかげさまで話がうまくつきました」(210) ターンブル: ジョーンズさん,ポールも私もあなたが我々のためにしてくれたことにとても感謝しています。そして,この最後の問題を公正に,仲よく解決できたことを嬉しく思っています。

ジョーンズ夫人: どうもありがとう,ターンブルさん。よい夏をお過ごしください。

C. 交渉の流れの分析と教育システムとの比較

交渉の流れ 交渉戦略と戦術 交渉戦略と戦術をを裏づける理論 備考
(新しい教育システム)
ソクラティック・メソッド
(IRAC)
e-learning
(ARCS)
1.問題の提起 問題に対する攻撃 認知不協和の現象を生じさせる Issue 争点 Attention 注目
人格の肯定
2.目標の設定 公平な解決 原則立脚型交渉に誘い込む Rule ルール Reference 参照
3.共同作業 質問による立場の相互理解 相手方が納得する解決案の作成に参加させる Argument 議論 Confidence 自信
質問による共通の利益の発見
選択肢の協働作成
解決案の候補の検討
4.解決案の提示 解決案を呑んだ場合の利益 サンドイッチ効果 Conclusion 結論 Satisfaction 満足
解決案を呑まない場合の不利益・警告
5.交渉の妥結 公平な解決の実現 相手方が勝利宣言をできるように配慮する

4 ハーバード流交渉術の理論的な裏づけ


おわりに


本書(ハーバード流交渉術)の結論部分には,「どれも当たり前のこと」という小見出しの下に,以下のような記述が成されている(239)。

この本に出ていることで,読者の経験に照らして初耳のことはほとんどないだろう。ここで試みたことは,常識と普段の経験を組み立てて,考えたり行動するのに便利な枠組みを提供することである。これらの構想は,読者の知識や直感に近ければ近いほどよい。

これらの方法を,長年の交渉経験をもつ熟練弁護士やビジネスマンに教えると,「これで,今までずっとやってきたことが何だったのか,なぜそれらの方法がときには成功するのかわかったよ」とか,「書いてあることは前から知っていたことですから,正しいことはわかっていましたよ」といった意見が返ってくる。

紹介者である筆者は,熟練弁護士やビジネスマンではない。しかし,法学部と法科大学院での教育経験に照らしてみて,「これで,今までずっとやってきた『法教育』の方法が何だったのか,なぜそれらの方法がときには成功するのかがわかった」といって脱帽するほかない。

今後は,法科大学院での法教育方法の改善に本書の考え方を活かしていきたいと考えている。


参考文献


フィッシャー&ユーリー/金山宣夫,浅井和子訳『ハーバード流交渉術』三笠書房(1990)(原著 Getting to Yes, 1981)

W.ユーリー/斎藤精一郎訳『ハーバード流”NO”と言わせない交渉術』三笠書房(1995)(原著 Getting past NO negotiating with difficult people, 1992)

フリチョフ・ハフト/平野敏彦訳『レトリック流法律学習法』〔レトリック研究会叢書2〕木鐸社(1992)

フリチョフ・ハフト/服部高宏訳『レトリック流交渉術』〔レトリック研究会叢書3〕木鐸社(1993年)

ロバート・フルガム/池央耿訳『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』河出文庫(1996)

ラリー・クランプ/小森理生,住友進訳『日本人のためのハーバード流交渉術』日本能率協会マネジメントセンター(1998)



参考文献


[民法修正案理由書(1896/1987)]
広中俊雄編著『民法修正案(前三編)の理由書』有斐閣(1987)
[梅・民法要義(3)(1887)]
梅謙次郎『民法要義』〔巻之三〕有斐閣(1887)
[中島(玉)・予約論(1908)]
中島玉吉「予約論」京都法学会雑誌3巻5号(1908)29頁
[山中・契約総論(1949)]
山中康雄『契約総論』弘文堂(1949)
[我妻・各論中1(1957)]
我妻栄『債権各論中巻一』岩波書店(1957)
[須永・ホテル旅館宿泊契約(1963)]
須永醇「ホテル・旅館宿泊契約」『契約法大系VI』有斐閣(1963)195頁
[吉田・解約手付(1965)]
吉田豊「近代民事責任の原理と解約手付制度との矛盾をめぐって」法学新報72巻1・2・3号(1965)
[浜上・形成権授与契約(1968)]
浜上則雄「『契約形成権授与契約』について」ジュリスト389号(1968)84頁
[末川・全訂法学辞典(1974)]
末川博編『全訂法学辞典〔増補版〕』日本評論社(1974)
[来栖・契約法(1974)]
来栖三郎『契約法』(1974)有斐閣
[ボールディング・愛と恐怖の経済学(1974)]
ボールディング(公文俊平訳)『愛と恐怖の経済学』佑学社(1974)(Kenneth E. Boulding, "Economy of Love and Fear", Belmont, Wadsworth Publishing Company (1973).)
[広中・債権各論(1979)]
広中俊雄『債権各論講義』有斐閣(1979)
[星野・民法概論W(1981)]
星野英一『民法概論W(契約)』良書普及会(1981)
[石田穣・契約法(1982)]
石田穣『契約法』青林書院新社(1982)
[三宅・契約法(1983)]
三宅正男『契約法(各論)上巻』青林書院新社(1983)
[我妻・民法案内6-1(1984)]
我妻栄『民法案内6-1(債権各論上)』一粒社(1984)
[吉田・手付(1985)]
吉田豊「手付」『民法講座第5巻契約』有斐閣(1985)160頁
[遠藤他・民法(6)(1987)]
遠藤浩・川井健・原島重義・広中俊雄・水本浩・山本進一編『民法(6)契約各論(第3版)』有斐閣(1987)
[Creifelds, Rechtswoerterbuch(1988)]
Creifelds, Rechtswoerterbuch, 9. Auflage, C.H. Beck, 1988.
[横山・不動産売買契約の成立(1990)]
横山美夏「不動産売買契約の『成立』と所有権の移転(2・完)」早稲田法学65巻3号(1990)302頁
[小川・予約の機能(1990)]
小川幸士「予約の機能としては,どのような場合が考えられ,何を問題とすべきか」『講座・現代契約と現代債権の展望(5)契約の一般的課題』(1990)84頁。
[司法研修所・要件事実2(1992)]
司法研修所『民事訴訟における要件事実』〔第2巻〕(1992)
[松坂・債権各論(1993)]
松坂佐一『民法提要債権各論』〔第5版〕有斐閣(1993)
[柚木,井熊・売買の予約(1993)]
柚木馨・生熊長幸「売買の予約」柚木馨・高木多喜男『新版注釈民法(14)債権(5)贈与・売買・交換』有斐閣(1993)
[樋口・アメリカ法(1993)]
樋口範雄『アメリカ契約法』弘文堂(1994)
[ハフト・交渉術(1993)]
フリチョフ・ハフト著/服部高宏訳『レトリック流交渉術』木鐸社(1993)
[鈴木・債権法講義(1995)]
鈴木禄弥『債権法講義〔三訂版〕』(1995)
[水本・契約法(1995)]
水本浩『契約法』有斐閣(1995)
[藤田・契約締結と予約(1995)]
藤田寿夫「契約締結と予約」法律時報67巻10号(1995)66頁
[齋藤・ゼミナール現代金融入門(1995)]
斎藤精一郎『ゼミナール現代金融入門』〔第3版〕日本経済新聞社(1995)
[香西・日本経済事典(1996)]
香西泰他監修『日本経済事典』日本経済新聞社(1996)
[平野・契約法(1996)]
平野裕之『契約法(債権法講義案U)』信山社(1996)
[加賀山・予約と申込みの誘引との関係(1996)]
加賀山茂「『予約』と『申込みの誘引』との関係について」法律時報68巻10号(1996)76頁
[法務総研・債権法U(1997)]
法務創造研究所『研修教材・債権法U〔第5版〕』(1997)
[内田・契約各論(1997)]
内田貴『民法U債権各論』東京大学出版会(1997)
[加賀山・判批・適法転貸借の帰趨(1998)]
加賀山茂「債務不履行による賃貸借契約の解除と適法転貸借の帰すう−最三判平9・2・25判時1599号69頁−」私法判例リマークス16号(1998)46頁
[横山・手付(1998)]
横山美夏「民法775条(手付)」広中俊雄・星野英一編『民法典の百年V』有斐閣(1998)309頁
[石田喜久夫・消費者民法(1998)]
石田喜久夫『消費者民法のすすめ』法律文化社(1998)
[民法判例百選U(2001)]
星野英一,平井宜雄,能見善久編『民法判例百選U』〔第5版〕(2001)
[大村・基本民法U(2003)82頁]
大村敦志『基本民法U(債権各論)』有斐閣(2003)
[曽野他訳・UNIDROIT契約法原則(2004)]
曽野和明,廣瀬久和,内田貴,曽野裕夫訳『UNIDROIT(ユニドロワ)国際商事契約原則』商事法務(2004)

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