家庭裁判月報22巻3号57頁,判例時報577号67頁,判例タイムズ241号77頁
今井利秀 vs. 今井富美江
婚姻無効確認本訴並びに反訴請求事件(昭和42年(オ)第1108号,昭和44年10月31日第二小法廷判決,棄却・確定)
【上告人】 控訴人 被告 今井富美江 代理人 河合伸一 外一名
【被上告人】 被控訴人 原告 今井利秀 代理人 金子新一
【第一審】 大阪地判昭39・2・1昭和35年(タ)第56号,昭和38年(タ)第11号
【第二審】 大阪高判昭42・6・26昭和39年(ネ)第242号
民法742条1号にいう「当事者間に婚姻をする意思がないとき」の意義
民法742条1号にいう「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは,当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指し,たとえ婚姻の届出自体については当事者間に意思の合致があったとしても,それが単に他の目的を達するため(子の嫡出化を達するため)の便法として仮託されたものに過ぎないときは,婚姻は効力を生じない。
【参照法令】 民法742条
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
上告代理人河合伸一、同河合徹子の上告理由について。
所論は、民法七四二条一号にいう「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは、法律上の夫婦という身分関係を当事者間に設定しようとする意思がない場合と解すべきである旨主張する。
しかし、右にいう「当事者間に婚姻をする意思がないとき」とは、当事者間に真に社会観念上夫婦であると認められる関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指すものと解すべきであり、したがつてたとえ婚姻の届出自体について当事者間に意思の合致があり、ひいて当事者間に、一応、所論法律上の夫婦という身分関係を設定する意思はあつたと認めうる場合であつても、それが、単に他の目的を達するための便法として仮託されたものにすぎないものであつて、前述のように真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかつた場合には、婚姻はその効力を生じないものと解すべきである。
これを本件についてみるに、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の適法に認定判示するところによれば、本件婚姻の届出に当たり、被上告人と上告人との間には、小夜美に右両名間の嫡出子としての地位を得させるための便法として婚姻の届出についての意思の合致はあつたが、被上告人には、上告人との間に真に前述のような夫婦関係の設定を欲する効果意思はなかつたというのであるから、右婚姻はその効力を生じないとした原審の判断は正当である。所論引用の判例(最高裁昭和三七年(オ)第二〇三号、同三八年一一月二八日第一小法廷判決、民集一七巻一一号一四六九頁)は、事案を異にし、本件に適切でない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 色川幸太郎 裁判官 村上朝一)
原判決は、民法第七四二条第一号の解釈を誤まつたものであります。
一、本件は、右法条にいう「婚姻をする意思」についての鋭く且つ徹底した分析と解釈を要請する事案であり、またそのような事案として最初のものであると考えます。
すなわち、いわゆる「婚姻意思」を
(イ) 婚姻の届出をする意思……以下、「届出意思」といいます。
(ロ) 法律上の夫婦という身分関係を当事者間に設定しようとする意思……以下、「法律関係設定意思」といいます。
(ハ) 社会通念上夫婦と認められる生活関係を営もうとする意思……以下、「夫婦生活意思」といいます。
の三段階に分析するとすれば、本件においては、原判決(およびその引用する一審判決)の認定した事実によつても、本件婚姻届出当時、当事者間に右(イ)の届出意思および(ロ)の法律関係設定意思の存在したことが認められるのであります。このような事案は、上告代理人の調べ得た限りでは、これまでの判例に現れたことがありません。そして、おそらくそのためでありましようが、従来の解釈論においても、右(ロ)の法律関係設定意思と(ハ)の夫婦生活意思との区別が、明確に意識されていなかつたように思われるのであります。
上告代理人は、前記法条にいう「婚姻をする意思」の核心は、右(ロ)の意思、すなわち「法律上の夫婦という身分関係を当事者間に設定しようとする意思」に求められるべきであり、従つて、そのような意思の存在が認められる限り、たとえ、原判決の認定する如く、本件当事者間に現実に夫婦生活を営もうとする意思の合致が認められなかつたとしても、なお「婚姻をする意思」を欠くものと言うことはできない、と考えるのであります。
二、原判決は、
「民法七四二条第一号にいう婚姻をする意思とは、夫婦関係を設定する意思であつて、その夫婦関係とは、習俗的標準にてらしてその社会で一般に夫婦関係と考えられる男女の精神的肉体的結合を意味するものというべきである。」
と説かれます。その後の説示、ことに「被控訴人(被上告人)には控訴人(上告人)と夫婦生活を営む意思はなかつた」との判示部分からすれば、原判決が「婚姻をする意思」をもつて前記(ハ)の夫婦生活意思であると考えておられることが明白であります。
しかし、少なくとも、婚姻の実質的要件の存否を判断する基準としてかゝる夫婦生活意思の有無を論じることは、理論的に誤りであり、実際問題としても妥当でないと考えます。
(1) 婚姻(およびその他の身分行為)は一種の契約でありますが、一般に認められているとおり、これら身分法上の契約は、財産法上の契約とは違つた特殊な性質をいろいろ持つています。その一つは、当事者が現実に合意に達した具体的な意思表示の内容と、法によつて与えられる法律効果の内容とが、必ずしも一致しないという点であります。
財産法上の契約に於ては、原則として、当事者の具体的に合意した内容に応じて法律効果が生じます。ところが、婚姻契約に於ては、生ずべき法律効果−当事者間の身分関係−はあらかじめ法定されていて、それ以外の法律効果を欲しても、あるいは法の予定する以外の夫婦生活を営むことを合意しても、その合意は法律上の効果を生じません。たとえば、夫婦別氏の合意をしても、民法七五〇条によつて、夫または妻のいずれかの氏を称しなければなりませんし、同居はしないと約束しても、七五二条の同居義務を免れることはできません。婚姻するか否かの自由はありますが、どのような婚姻をするかの自由はないのであります。
婚姻という契約は、右のように法により規格化され定型化された包括的な身分関係を当事者間に創設しようという契約であります。そう考えれば、民法七四二条一号にいう「婚姻をする意思」とはまさにこのような身分関係を創設しようとする意思である、と解するのが当然であります。換言すれば、右のような定型的包括的身分関係すなわち「法律上の夫婦という身分関係」を当事者間に設定しようとする意思こそ、いわゆる婚姻意思の中核であると考えるのが、少なくとも論理的にもつとも自然な帰結であります。
原判決は、「習俗的標準にてらしてその社会で一般に夫婦関係と考えられる男女の精神的肉体的結合」を設定する意思がいわゆる婚姻意思であるとされます。この立場からすれば、当然、当事者が具体的且つ現実にどのような生活関係を営もうとしていたかを探究し、それが右にいう婚姻意思概念に適合するか否かを決することになるでありましよう。しかし、そのような考え方が、婚姻契約の本質に照し、理論的にどれほどの必然性があるのか、極めて疑わしいと言わねばなりません。何故なら、婚姻契約の法律効果は、前述のとおり定型化されていて、当事者の具体的合意の内容によつて左右されるものではないからであります。当事者がどのような具体的生活関係を営むことを欲しまたは欲していないかを認定したとしても、その認定された意思に従つた法律効果が与えられるものではありません。いつたんそのような具体的生活に向けられた意思を認定したうえで、それが右の婚姻意思概念に適合しているか否かを判断し、そのうえで前記定型化された婚姻の法律効果を承認するか否かを決するよりは、当事者がそのような婚姻の法律効果−婚姻身分関係の創設に向けられた意思そのものを有していたか否かを直截に認定し、それによつて直ちに婚姻の成否を定めるほうが、はるかに簡明であり、理論的に自然な考え方であります。
(2) もし裁判所に、当事者がどのような具体的夫婦生活を営もうとしているのかを審査し、道徳的・倫理的・宗教的その他何等かの観点からこれを許否する使命が与えられているのであれば、原判決のいう如き判断方式を採ることも必要でありましよう。しかし、裁判所にそのような使命はなく、また権限も付与されていないことは、いうまでもありません。
婚姻無効事件における裁判所の機能は、当該婚姻に法定の婚姻効果を認めるか否かの決定であり、その決定は当事者がそのような効果を欲したか否かによつてのみ決せられるべきであります。当事者は、婚姻法の定める権利義務の範囲内で自由な婚姻生活を営むことができるべきであり、裁判所には、そこまで立ち入つて介入すべき使命もなく、且つ権限もないのであります。
(3) のみならず、原判決のように、当事者が営もうとする具体的な生活関係に着目し、まず「習俗的標準にてらしてその社会で一般に夫婦関係と考えられる男女の精神的肉体的結合」という夫婦関係の理念型を想定したうえ、その理念型に適合する夫婦生活を営む意思をもつて「婚姻をする意思」であるとする考え方は、少なくとも婚姻無効事件における判断基準としては、適当でなく、また実際の役にも立たないものであります。何故なら、そのような夫婦関係の理念型を明確且つ客観的に定めることが、そもそも不可能だからであります。
言うまでもなく、婚姻の実質と形態は、常に流動し且つ限りない多様性を持つものであります。全体としての婚姻が、社会の変化とともに、徐々にしかし確実に流動して止まないものであることは、こゝ二、三〇年のわが国での経験が明らかに示しています。また、ある時ある社会の個々の婚姻は、それが個性ある男女の本質的な結合であるだけに、必ず、何等かの点で相互に異るものであります。このように絶えず流動し且つ無限の多様性を持つ婚姻の実質の中に、「ここまでが真の婚姻であり、これ以外は婚姻ではない」という一線を画することができるでしようか。たしかに、流動する中にも比較的変らないもの、多様な中にも比較的共通する要素を把えて、「これが通常の婚姻である」といういわば標準型を想定することはできるでしよう。その意味で、夫婦生活につき一つの理念型を想定することは、多くの健康で正常な婚姻を説明するには十分有益でありましよう。しかし、問題は異常な場合であります。
婚姻意思の有無が争われ、婚姻無効の訴が提起されるような場合は、いずれにしても正常でない、原判決のいわゆる習俗的標準からはみ出すかはみ出さないかというような場合であります。従つて、このような異常な場合について婚姻意思の有無を決するための基準、すなわち民法七四二条一号にいう「婚姻をする意思」の解釈は、できる限り明確で客観的なものでなければなりません。しかし、当事者が現実に営み、あるいは営もうとする婚姻の実質関係に着目する限り、「これが真の婚姻であり、これ以外は婚姻でない」という一線を明確且つ客観的に確定することは明らかに不可能であります。蓋し、はじめに述べたとおり、婚姻の実質関係は絶えず流動しまた限りなく多様で、何人もあらかじめ想像し得ないような結合関係が常に存在し、且つ常に発生する可能性があるからであります。
それにもかかわらず、あえてこのような一線を画しようとすれば、それはきわめて抽象的であいまいなものにならざるを得ません。現に、原判決の想定する理念型も、何ら明確・客観的な基準を示したものではありません。たとえば、「習俗的標準にてらしてその社会で一般に夫婦関係と考えられる」か否かは、客観的な証拠と蓋然性の網をもつてする立証の対象となり得るでしようか。あるいは、動かしがたい基本法理ないし万人の承認し得る利益衡量から出発した論理操作による判断に親しむでしようか。そのいずれも否であります。結局それは、「何をもつて真の夫婦関係と考えるか」あるいは「考えるべきか」という裁判官のまつたく直観的な判断によつてのみ、決し得ることであります。しかしながら、「何が真の夫婦関係か」あるいは「何をもつて正しい夫婦関係とすべきか」というような判断は、個々人の道徳観・倫理観・宗教観等により強く左右される虞のあるものであり、このような主観的判断に婚姻意思の有無を委ねることは可能な限り避けるべきであります。
一般に、現実の裁判過程においては、結局裁判官の直観的判断に頼らざるを得ない部分を払底し去ることはできないかも知れません。しかし、その部分はできるだけ狭く限局されねばなりません。問題を分析し、可能なかぎり客観的で明確な基準によつて解決する途を拓くのが正しい態度であると愚考します。その意味で、原判決の採用した、その限界を明確に確定することの不可能な婚姻理念型をもつてする判断基準よりも、「法律上の夫婦という身分関係を設定しようとする意思」の有無という、明確で、客観的な立証のまさに対象となり得る基準によつて婚姻の効力を定めるほうが、はるかに正当であると考えるのであります。
(4) 憲法二四条は、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」すると規定しています。
民法上の「婚姻をする意思」は、右憲法規定にいう「合意」と同一内容のものと考えねばなりません。ところで、民法は、婚姻意思に加えて、届出をも婚姻の成立要件としています。このことは、婚姻意思の一致すなわち憲法にいう「合意」の存在を確認し、且つ客観的に明確化するため、その合意を要式行為としたもの、と解することによつてのみ、憲法の要請と調和するものであります。そうだとすれば、その届出という方式に盛らるべき合意の内容は、将来の具体的・現実の生活に向けられた意思と解するよりは、届出時点でのより抽象的な婚姻身分関係の取得に向けられた意思と解するほうが、妥当であります。
もし、原判決のように、婚姻意思、従つて憲法二四条前段にいう「合意」を、社会通念上夫婦と認められる生活関係を営もうとする意思であると解するならば、届出はしていないがそのような合意をもつて生活している両性の結合、すなわちいわゆる内縁関係について婚姻の成立を認めないことを憲法上如何に説明するか、一つの困難に逢着するでありましよう。
以上詳述したとおり、民法第七四二条第一号の「婚姻をする意思」とは、一項(ロ)に掲げた法律関係設定意思、すなわち「法律上の夫婦という身分関係を設定しようとする意思」と解するのが理論上も実際上も妥当であり、原判決の如くこれを同(ハ)の夫婦生活意思と解することは、理論上の必然性を欠き、実際にも必要でないのみならず、具体的事案の解決に当つて十分に有用でなく、かえつて判断基準の客観的明確性を失なわせる危険があり、さらに憲法上の疑義すら生じるものであります。
三、原判決はさらに、貴裁判所が昭和三八年一一月二八日判決(集一七巻一一号一四六九頁)において示された判例に矛盾するものであります。右事件は、婚姻と離婚の差を除けば、まつたく本件に酷似する事案であります。同事件の上告人夫婦は、妻(死亡)が戸主となつていたのを夫(上告人)の戸主にあらためるため、合意のうえ、昭和二一年七月一日協議離婚届を提出し、同日さらに上告人を戸主とする再入夫婚姻届を提出しました。これについて、貴裁判所は、
「妻を戸主とする入夫婚姻をした夫婦が、事実上の婚姻関係は維持しつゝ、単に、夫に戸主の地位を与えるための方便として、協議離婚の届出をした場合でも、両名が真に法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいてこれをしたものであるときは、右協議離婚は無効とはいえない」
と判示されたのであります。
何をもつて身分行為意思の核心と考えるかについて、婚姻と離婚とを区別する合理的根拠を見出すことはできません。一部の学者は、身分行為設定の場合と解消の場合を区別して、前者においては現実の生活関係に向けられた意思を必要とするが、後者の場合には必要でない、と説かれます。しかし、その理由とされるところは、いずれも論理的説得力を持つようなものではありません。むしろこれらの学説は、その論者が自ら言われるように、大審院以来の一見矛盾する結論を示す上告審判例(主として、養親子関係および離婚に関するもの)を統一的に解釈する試みとして唱えられたもので、一種の思いつきないし方便の域を出ないものであります。右の統一的解釈は、むしろ届出の動機ないし目的の反社会性の点に求めるべきであると考えます。
すなわち、右貴裁判所判例の趣旨は、そのまゝ婚姻関係についても適用されるべきであります。そして、右判例の表現に従つてこれを婚姻の場合にあてはめれば、
「事実上の婚姻関係は設定せず、単に…ための方便として、婚姻の届出をした場合でも、両名が真に法律上の婚姻関係を設定する意思の合致に基ずいてこれをしたものであるときは、右婚姻は無効とはいえない」
ということになります。原判決が右判例に矛盾することは明白であると信じます。
四、原判決は、民法七四二条一号の「婚姻をする意思」とは具体的婚姻生活関係に向けられた意思であるとの前提に立つて、被上告人の本訴請求を認容されました。しかし、この前提が右法条の解釈を誤まつたものであり、貴裁判所の判例にも矛盾することは、前二項において詳論したとおりであります。そしてこの法令違背が判決に影響を及ぼすことは明白であります。原判決の認定事実によれば、被上告人は、上告人と夫婦生活を営む意思がなかつたけれども、少なくとも、両名間の子である小夜美に嫡出子としての地位を得させるため、いつたん上告人との間に婚姻届をして(法律上の夫婦という身分関係を設定し)、のちに離婚するということを承諾した、というのであります。届出意思の合致があつたことは、原判決の明言されるところであります。法律関係設定の意思については、原判決は明言を避けておられますが、しかしその事実認定の記載から見ると、その存在を認めておられることは明らかだと言わねばなりません。そうだとすれば、民法七四二条一号の正しい解釈に立つて、被上告人の本訴請求は棄却さるべきであります。またもし、法律関係設定意思の存否につきなお審理を要するとされるなら、本件は原裁判所に差し戻されるべきであります。いずれにしても、原判決は破毀を免れないと信じます。
五、今日まで判例集等に現れた婚姻無効の裁判例は、いずれも、本人に届出意思がなかつたため婚姻が無効とされた事例ばかりであります。これらの事例では、届出意思と区別された意味での(いわゆる実質的)婚姻意思の存否は問題ではなく、従つて、そのような婚姻意思とは何かについて考究する必要もなく、またされませんでした。
婚姻以外の身分行為、ことに養子縁組については、当事者の合意により届出をしながら縁組意思(実質的身分行為意思)がないため無効とされた事例が数多く見られます。しかし、これらのうちのほとんどのものは「法律上の養親子関係を設定する意思」がなかつた場合のように思われます。のみならず、これらのすべては、違法なまたは反社会的な目的を達成するために養子縁組制度を利用しようとしたもので、これら縁組が無効とされた理由はむしろその点にあつたと見られるのであります。従つて、これら判決の中で、たとえば「真に養親子関係の設定を欲する効果意思」(最高昭和二三年一二月二三日判決、集一巻六九頁)の有無が論ぜられても、それが親子としての実質的生活関係に向けられた意思のことなのか、それとも法律上の養親子関係設定に向けられた意思を問題にしているのか、いずれとも断定できないのであります。
このように、身分行為の無効に関し従来判例に現れた事案は、ほとんど、(イ)そもそも届出意思がなかつたか、(ロ)法律上の身分関係を設定する意思がなかつたか、(ハ)当該身分行為の直接の法律効果以外の(違法または反社会的な)目的のために身分行為がなされたかのいずれかでありました。そのために届出意思と区別された意味でのいわゆる実質的婚姻意思を如何に考えられるかが、まさしくぎりぎりの決着を迫られる問題として爼上に据えられたことがなかつたのであります。
本件においては、既に述べたとおり、右(イ)の届出意思および(ロ)の身分関係設定意思の存在が認められるのみならず、(ハ)仮りに本件婚姻届が、原判決の表現する如く、長女小夜美に嫡出子としての地位を与えるための便法としてなされたものであつても、それは、完全に適法で社会的にも好ましいことであり、しかも婚姻の直接効果の少くとも一部を目的とするものであります。
これらの点で、本件は、従来の諸判例の事案とは峻別されるべきものであり、いわゆる実質的婚姻意思の何たるかについて初めて貴裁判所の御判断を求めるものであります。貴裁判所の賢明な御決断を切望する次第であります。
大阪地判昭39・2・1日判時376号38頁,婚姻無効確認本訴並びに反訴請求事件(昭和35年(タ)第56号/昭和38年(タ)第11号),本訴認容、反訴却下(控訴)
【要旨】 1.婚姻届がなされていても、その届出が当事者双方の届出の意思に基づくものでなかつたり、更に根本的に婚姻の意思がなかつたような場合には、その婚姻は無効といわなければならない。
2.他女と婚姻することに踏切らざるをえなくなつた原告男が、被告女とその家族からその罪を責められ、かつ原被告間の子に嫡出子としての地位を得させてほしいとの懇請をうけ、一時的なその場の収拾策として、婚姻の届出に応じたまでのことであるような場合、原告は届出の意思はあつたが婚姻の意思は有しなかつたのであるから右婚姻は無効である。
3.婚姻無効の訴の反訴として事実上の夫婦関係を破棄したことによる損害賠償の反訴を提起することはできない。
【参照法令】 民法742条/人事訴訟手続法7条
【出典名】 最高裁判所民事判例集23巻10号1907頁 判例時報376号38頁
【判例評釈】 嶋田敬介・同志社法学16巻4号59頁1964年9月
昭和三四年一〇月二七日大阪市東住吉区長に対する届出によつてなされた原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との婚姻は無効であることを確認する。
本件反訴を却下する。
訴訟費用は本訴反訴を通じ被告(反訴原告)の負担とする。
原告(反訴被告、以下単に原告という)訴訟代理人は、本訴として主文第一項同旨ならびに訴訟費用は被告(反訴原告、以下単に被告という。)の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、
「一、原告は戸籍上昭和三四年一〇月二七日大阪市東住吉区長に対する届出によつて被告と婚姻した旨記載されている。
二、しかし、右婚姻届は被告が原告と訴外熊谷千鶴子との婚姻を妨げるため原告の署名および印章を偽造してこれを作成し、原告に無断でしたものであり、その届出当時原告は被告と婚姻する意思を有しなかつたものであるから右届出による原、被告の婚姻は無効である。
原告は、かつて被告と肉体関係があつたが後日解消し、昭和三四年一〇月二九日、熊谷千鶴子と結婚式を挙げたのであるが、その届出をなそうとして始めて右原告と被告との婚姻届出の事実を知つた。
よつて、原告は右届出による原告と被告との婚姻の無効であることの確認を求める。」
と述べ、なお、被告の答弁に関して、
「原告は昭和三四年一〇月二四日被告宛(立会人訴外秋次常弘、同訴外江川喜通)に被告と結婚し、長女訴外小夜美の出生を法律的に明白にし、後日被告と離婚する旨記載した誓約書(乙第二号証)を作成交付したが、これは秋次常弘らに強迫されて無理に作成させられたものであり、当時原告に被告との婚姻の意思があつたのではない。
原告は被告あるいは秋次常弘に対し被告との婚姻の届出を依頼したこともなければ、被告に原告の印鑑を預けたり、その買入れを承諾したこともない。
なお本件婚姻届出には原告の署名、捺印が偽造である違法があるのみならず、届出後本籍を他に移すには転籍届によならければならないのに婚姻届書を取り戻して本籍の訂正をした違法があり、この点からしても本件婚姻届出はその無効を免れない。原告は右本籍の訂正を自らしたものではなく、また被告らに委任したこともない。むろん、右本籍訂正のときにも婚姻の意思はなかつた。」
と附陳し、
被告の反訴につき本案前の抗弁として「本件反訴は婚姻無効確認請求の本訴と関連性のない不適法なものである。」と述べ、仮に右抗弁の理由がないとすれば「被告の反訴請求を棄却する。反訴の訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、 答弁として、
「被告主張の請求原因事実のうち、被告が今井利雄方に下宿していたこと、原告と被告との間に肉体関係があつたこと(但し昭和三四年一〇月二四日関係があつたことは否認する。 )被告が三回の妊娠中絶をしたこと、原告が熊谷千鶴子と結婚式を挙げて同棲していることは認めるが、小夜美が原告の子であること、原告が被告に定期的に送金していたこと、原告が昭和二四年一〇月二四日被告と結婚を約したことは否認する。」
と述べた。
証拠(省略)
被告訴訟代理人は本訴につき「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として、
「一、被告が勝手に原告の署名および印章を偽造して本件婚姻届をしたことは否認する。本件婚姻届は原、被告双方の合意にもとずいて適法になされたものである。その届出のいきさつは次のとおりである。
(一) 原告と被告とは昭和二八年秋以来事実上の夫婦関係にあり、昭和三二年一二月二〇日長女今井小夜美を儲け、かねてより婚姻の届出をして法律上正式の夫婦になる約束をしていた。そうであるのに原告は昭和三四年一〇月二四日突然、被告に対し、同月二九日に訴外熊谷千鶴子と結婚式を挙げるから承知してくれと申出た。これに対し被告がかねての約束どおり自分と婚姻してくれるよう懇請した結果、原告は熊谷との婚姻を断念して被告と婚姻することを約し、原、被告間で同月二八日に婚姻の届出をする旨の合意ができた。
そして原告は翌二五日朝、被告の弟の秋次常弘に対し「自分が二八日に来られない場合には代つて婚姻の届出をしてほしい。」と依頼した。
(二) 同月二七日、右秋次常弘は原告との約束の一日前ではあつたが、被告の戸籍謄本など必要書類が整つたので、原告の依頼にしたがつて婚姻届用紙に原告に代つてその氏名を記入し、かつこれに捺印して(被告はその前に原告から印鑑を預つていたがこれを喪失したので、当日新たに購入した原告名義の印鑑を使用した。)前記婚姻届を作成し、これを被告とともに東住吉区役所田辺出張所に持参して提出した。
(三) しかし右届出には新本籍を原告の旧本籍と同じところにしていたので、翌二八日約束どおり被告のもとにきた原告は、被告と秋次常弘を同行して右出張所に赴き、前日提出した婚姻届を取り戻して、秋次常弘とともに新本籍を東京都世田谷区三軒茶屋町一四二番地に訂正するほか、原告の住所欄その他に訂正を加えた。
(四) 右のとおりであるから本件婚姻の届出は原告と被告の合意にもとずく適法なものである。右婚姻届の原告の署名は秋次常弘の代署によるものであるが、原告が届出を依頼し、かつ届出が一旦受理されている以上その届出は有効である(民法第七四二条第二条但書)かりに原告が右届出の依頼をしていなかつたとしても原告は同月二八日に婚姻届を訂正しているのであるからこれにより原告は届出の追認をなしたというべきである。
二、通説によると当事者双方の届出意思にもとずく届出があつても実質的な婚姻の意思を欠く場合には婚姻は無効とされるので、原告、被告に実質的な婚姻意思があつたことを以下に主張する。
原告と被告とは昭和二八年秋以来事実上夫婦関係にあり、その後原告が茨城県日立市に勤務し、被告が大阪市に勤めていた関係上、東京で同棲した一時期を除いて、昭和三二年四月以降は同棲していないが、肉体関係は本件婚姻届出の三日前である昭和三四年一〇月二四日を最後とするまで継続していた。しかるに原告が本件婚姻届の二日後である同月二九日訴外熊谷千鶴子と結婚式を挙げ、同人と、事実上の夫婦関係を結んだため、原告と被告とは右届出後同棲生活も肉体関係もないまま本訴が提起され現在に至つている。しかしこれをもつて原告と被告の婚姻をその実体をともなわない仮装のものとみるべきでない。なぜなら原告と被告とは右届出に至るまで七年間に亘る事実上の夫婦としての生活があり、その間に長女小夜美を儲けているのであつて、右婚姻届出はまさに先行する実体に合致するからである。しかして当事者双方の意思にもとずく婚姻の届出があり、かつ社会的に婚姻生活の実体とみなされる事実があれば、当然婚姻意思があるものというべきである。
三、仮に、本件婚姻届に際し、原告に将来被告と同棲しいわゆる夫婦生活を営む意思がなかつたとしても少くとも原、被告間に従来つづいた事実上の夫婦関係を一旦法律上の夫婦関係にまで高め、同時にその間に出生した子供に嫡出子の地位を与える意思があつたことは明らかであり、この夫婦関係設定を欲する意思は婚姻意思にほかならないものである。
四、仮に、以上の被告の主張がその理由がないとしても、いやしくも大阪大学工学部を卒業し我国一流の会社に勤め、思慮分別をそなえた知識人であるはずの原告が、自らの責任においてなした婚姻の届出について後になつて都合が悪くなるとそれが真意でなかつたとして無効を主張するようなことはクリーン、ハンドの原則からしても許されない。
以上の次第であつて、本件婚姻届出による原告と被告の婚姻は有効であるから原告の本訴請求は失当である。」
と述べ、
本訴請求の認容を解除条件とする予備的反訴として、「原告は被告に対し金三〇〇万円を支払え。反訴の訴訟費用は原告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
「被告は昭和二七年から大阪市立浪速保健所に保健婦として勤務し、昭和二八年八月頃、同保健所の上役の訴外今井利雄方に下宿することになつたが、約一ケ月後の同年九月二三日以来今井利雄の一人息子で当時大阪大学工学部一年に在学中であつた原告との間に肉体関係ができ、二人は結婚の約束をする仲となつた。しかし、原、被告の結婚については原告の両親が反対であるため被告は昭和二九年九月同家を出て他の下宿に移つたが二人の関係は続き、被告は昭和二九年五月、同年九月、同三〇年五月の三回に亘り原告との肉体関係による妊娠の中絶をした。原告は昭和三二年三月大学を卒業し茨城県日立市の株式会社日立製作所に就職した。被告は同年四月頃四度目の妊娠(三月二七日前後受胎と推定される)を覚知したので原告にその旨知らせたところ原告から両親の反対があつても二人で協力してやつていこうと励まして来たので、今度は子供を生もうと決心し、同年一一月中旬原告の求めにより上京し、東京都世田谷区三軒茶屋町一四二番地に原告名義で家を借りて居住するようになり休日毎に日立市から上京する原告と再び同棲生活をするに至つた。そして被告は同年一二月二〇日女子を出産し、原告が小夜美と命名した。そのうち原、被告は日立市と東京都の二重生活の維持に行きづまり、被告は昭和三三年一月五日大阪にもどつて元の保健所に勤務した。その後も原告は再々帰阪して被告を訪れ、かつ定期的に送金をし、被告も日立市に赴き、二人は夫婦としての生活を続けていた。
ところが、原告は昭和三四年一〇月二四日、本訴に対する答弁において述べたとおり、被告に対し他の女性と結婚式を挙げると告げたが、被告の反対にあつて右結婚式をとりやめ被告と婚姻することを約した。にもかかわらず原告は、昭和三四年一〇月二九日熊谷千鶴子との結婚式を挙げ、以来同女と同棲して今日に至つた。
原告は被告と将来の結婚を約束し合つていたばかりか、昭和二八年から同三四年まであしかけ七年に亘つて事実上の夫婦関係を続け、しかもその間に一子を儲けておきながら、何の過失もない被告とその子の立場をふみにじつたのである。
被告は昭和二八年当時二六才にして原告とはじめて男性との関係を持つたものであり、それから一〇年を経て三六才に達し、他の男性との結婚の機会は殆んどなくなり、しかも学令に満たない女子をかかえ自らの働きによるほか何の資産もなく、正式な婚姻によらないで子供を生んだ母としてその子とともに世間の冷たい蔑視に耐えつゝこれからの人生を生き抜かなければならない。原告が被告との関係を破棄したことにより被告が蒙つた苦痛、精神的損害はとうてい金銭によつて償われるものではないが、これを金銭に評価すると少くとも三〇〇万円以上であると考える。
よつて被告は原告に対し金三〇〇万円の慰藉料の支払いを求める。」
と述べた。
証拠(省略)
一、公文書であるから真正に成立したものと推定される甲第一号証(戸籍謄本)によると、原告は昭和三四年一〇月二七日大阪市東住吉区長に対する届出によつて被告と婚姻した旨戸籍に記載されている事実を認めることができる。
乙第三三ないし第三五号(婚姻届)の存在、証人秋次常弘の証言によりその成立を認める乙第二号証、被告本人尋問の結果によりその成立を認める甲第七号証の一、二、乙第四ないし第六号証、同第七、八号証の各一、二、同第一〇号証、同第一一号証の一、二同第一二、一三号証、同第一四ないし第一九号証の各一、二、同二〇号証、同第二一、二二号証の各一、二、同第二三号証、同第二五ないし第二七号証、同第二九号証の一、二、同第三二号証、同第三六号証および証人今井利雄、同今井貢、同秋次常弘、同江川喜通、同秋次トシの各証言(いずれも後記措信しない供述部分を除く。)ならびに原告本人(第一、二回)および被告本人各尋問の結果(いずれも後記措信しない供述部分を除く。)を総合すると次の事実を認めることができる。被告は昭和二七年大阪市立浪速保健所に保健婦として勤務し、昭和二八年八月頃より上司の訴外今井利雄(原告の父)方に下宿することになつた。そして被告は同年九月二三日以来、当時大阪大学工学部一年に在学中の原告との間に肉体関係ができ、二人は結婚を約束し合う仲となつた。しかし、原、被告の結婚には原告の両親が反対で、被告は昭和二九年九月頃、同家を出て他に下宿することになつたが、なお二人の関係は続き、被告は三回に亘つて妊娠中絶をした。昭和三二年三月に至つて原告は大学を卒業し、茨城県日立市の株式会社日立製作所に就職赴任したが、その直前においても原告は被告との将来の生活を望んでいる手紙を書き被告に愛情を訴えていた。被告は昭和三二年三月頃原告との肉体関係で四度目の妊娠をし、今度は生むことを決心して同年一一月中旬上京し、東京都世田谷区三軒茶屋町一四二番地に原告名義で家を借りて生活することになつたが、原告は休日には日立市から被告のもとへ来たり、時には送金をし、また被告の出産を励ましていた。被告は同年一二月二〇日、女子を出産し、その頃原告は被告のもとに来てその子に小夜美と命名し、被告との婚姻届および子の出産届をすべく必要書類の作成ならびに取寄せ等に奔走していたが、右手続を了えないうちに被告は大阪に帰つて再び保健所に勤務し、原告は被告に手紙や時には金員を送つていた。
ところが、そのうち原告と熊谷千鶴子との間に結婚話がまとまり、昭和三四年一〇月二九日に結婚式を挙げることが取決められるに至つた。そこで原告は同月二三日被告との過去の関係を清算すべく日立市から大阪へやつて来て被告に会い熊谷と結婚する旨を告げたところ、被告はもちろんこれに反対した。
そして二人は被告宅において被告の母秋次トシ、同秋次常弘、近所に住む江川喜通を交えて話し合つた結果、せめて子供だけでも入籍させたいとの被告側の強い希望で、原告としては一旦被告との婚姻届をして子供を入籍し、のちに離婚するという便宜的手続を認めざるを得なくなり、その旨の誓約書(乙第二号証)を被告宛に作成した。原告は翌二五日、被告に対し同月二八日には再び来るが自分が来られなくても被告において右婚姻届をしておいてくれと言い残して日立へ帰つた。そこで被告は当時の本籍地役場(佐賀県藤津郡嬉野町)へ電話で戸籍抄本の作成方を依頼するとともに、自ら本籍地に急ぎ帰り、戸籍抄本を受取つて大阪に引返し婚姻届に必要な書類を整えて、同月二七日弟の常弘とともに東住吉区役所へ本件婚姻届書を提出した。この婚姻届は常弘が原告の署名を代署し、それにその日被告が誂えた原告名の印鑑を押捺して(被告は前記東京で生活したとき原告から印鑑を預けられていたが、これを喪失していた。)作成したものである。原告は翌二八日婚姻届出のため被告方を訪れ、被告から前日すでに婚姻の届出をすませ、新本籍を原告の旧本籍大阪市東住吉区鷹合町二丁目九九番地にしたことを知らされたが、右のような本籍では原告の両親に本件届出が判るので他に訂正することにし被告および常弘とともに東住吉区役所へ赴き、常弘をして前記婚姻届書中新本籍を東京都世田谷区三軒茶屋町一四二番地と訂正記載させた。しかし原告は被告に対して翌二九日の熊谷との結婚式はこれを挙行する旨を伝えた。そして原告は昭和三四年一〇月二九日予定どおり熊谷との結婚式を挙げ、同日以後同女と夫婦生活を営むに至つた。一方右挙式後は、原告は被告との間で戸籍のことについての書簡の交換はあつたが肉体関係はもちろん夫婦としての生活関係は全くないまゝ本訴に至つた。以上の事実を認めることができる。右認定に反する証人今井利雄、同今井貢、同秋次常弘、同秋次トシの各証言中の供述部分ならびに原告本人(第一、二回)および被告本人尋問の結果中の供述部分はいずれも措信しないし、他に右認定を覆えすにたる証拠はない。
ところで婚姻届がなされていてもその届出が当事者双方の届出の意思に基くものでなかつたり、さらに根本的に婚姻の意思がなかつたような場合にはその婚姻は無効といわなければならないものであるところ、前認定事実によると本件婚姻届(乙第三三ないし第三五号証)は原告自ら署名捺印したものではないが、少くとも原告には本件婚姻の届出をする意思があり、常弘がその意をうけて原告の署名を代署して戸籍法所定の書式により届出で、東住吉区長においてこれを受理したものであるということができるから、右届出には代署によつてなされた瑕疵はあるが、これが受理されている以上右瑕疵があつても、なお当事者に婚姻意思さえあれば婚姻が無効となるものではない。したがつて本件において婚姻が有効か無効かは結局当事者双方に、特に原告に右届出当時婚姻意思があつたかどうかにかかるわけである。
前認定事実によると、原告は、昭和三二年一二月、被告が小夜美を出生した当時においては被告と婚姻する意思を有しその届出をなそうとしていたことは明らかであるが、その後被告との別居生活が続くうちに勤務先において熊谷千鶴子との結婚話が持上りその交渉が進められ、昭和三四年一〇月二九日に同女と結婚式を挙げる日程まで決まるに至り、加えて原、被告の婚姻については到底原告の両親の賛同も得られない情勢にあつたので原告としては被告との婚姻を諦め、熊谷千鶴子と婚姻することにふみきらざるを得なくなり、昭和三四年一〇月二四日被告との従前の関係を清算しようとして被告にその旨伝えたところ反つて被告およびその家族からその非を攻められ、かつ、前記小夜美が非嫡出子として取扱われることとなることをおそれた被告からせめては小夜美に原、被告間の嫡出子としての地位を得させてほしいとの懇請を受け、その処置に窮した原告が、一時的なその場の収拾策として被告側の要請に応じたまでのことであるから、もとより被告との間で婚姻をなす意思は毛頭なかつたものといわなければならない。なお、被告主張のように婚姻の届出により設定せられる法律上の関係がかりに過去における原、被告の事実上の夫婦関係およびその間に生まれた子供との関係に合致するにしても、右届出のとき原告に被告と夫婦生活をする意思がない以上、その婚姻届出があつたからといつて婚姻意思があるとはいえないのである。けだし、婚姻とは新しく夫婦関係を成立させるものであつて、過去にあつた夫婦関係を確認するためのものではないからである。
以上の次第で、原告は本件婚姻の届出がなされた昭和三四年一〇月二七日当時その届出の意思はあつたが婚姻の意思はこれを有しなかつたのであるから右届出による原告と被告との婚姻は無効であるといわなければならない。
二、次に被告の予備的反訴について判断する。
人事訴訟においては、身分関係の訴に財産関係上の請求を併合することは認めないのが原則であるが当事者の便宜ないし訴訟経済を考慮し、併合請求の許される身分関係事件の本訴または反訴の請求原因事実によつて生じた損害の賠償請求については特に併合を認めている。(人訴第七条第二項、第二六条、第三二条第一項参照。)
しかし、内縁は準婚関係として一定の法律的保護が与えられてはいるがこれによつて身分関係は生じないものであり、被告の損害賠償の反訴請求の原因たる事実は原、被告が事実上の夫婦関係にあつたのを原告が一方的に破棄したことであつて明かに本訴の請求原因事実とは異別であるから右損害賠償の請求は右併合の要件を欠き、本件訴の反訴としてこれを提起することは許されないものである。
三、以上の次第で原告の本訴請求は理由があるから認容し、被告の反訴請求は不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(昭和三九年二月一日 大阪地方裁判所第一三民事部)
【裁判官】 麻植福雄 中村捷三 野間洋之助
大阪高判昭42・6・26下級裁判所民事裁判例集18巻5・6号695頁,家庭裁判月報20巻7号23頁,判例時報500号32頁
婚姻無効確認本訴並びに反訴請求控訴事件(昭和39年(ネ)第242号)本訴棄却、反訴取消(上告)
【控訴人】今井富美江
【被控訴人】今井利秀
【裁判官名】 小野田常太郎 松浦豊久 青木敏行
【要旨】 1. 婚姻の届出に当り、子に嫡出子としての地位を得させるための便法として婚姻届出をする意思の合致があつたとしても、当事者は真に夫婦関係の設定を欲する効果意思を有しなかつた場合には、婚姻をする意思がなかつたものとして、婚姻の効力を生じなかつたものと認めるのが相当である。
2.婚姻の届出にあたり夫婦関係の設定を欲する効果意思がないときは、婚姻は無効であり、婚姻の届出をした当事者が右の無効を主張したとしても、クリーン・ハンドの原則を適用する余地はない。
3.自らの責により婚姻予約を破棄した者は相手方に対しその被つた精神上の苦痛に対する損害を賠償すべき義務がある。
4.当事者が婚姻予約をなすに至つた状況、両名間に子が出生した事実、相手方が婚姻予約を破棄するに至つた経緯とその後の状況、当事者の年齢・学歴・経歴・家族関係、当事者ならびに父母の資産収入等諸般の事実を総合すると、相手方は婚姻予約不履行による精神上の苦痛に対する損害の賠償として、金一五〇万円の支払義務がある。
5.訴の併合反訴の提起に関する特則の設けられた趣旨は、一面婚姻無効等の人事訴訟とこれに関連のない通常訴訟との併合反訴の提起を制限し、無制限にこれを許すことにより人事訴訟と通常訴訟とがたがいに性質手続を異にする関係上生ずる審理の錯綜遅延を防止するとともに、他面同一婚姻関係に関する同種事件ならびにこれに関連する損害賠償請求につき訴の併合反訴の提起を許して審理を集中して紛争を一挙にかつすみやかに解決することにより身分関係の安定と家庭内の平和の早期回復を図つているのである。
6.婚姻無効確認本訴の審理にあたり、前提として婚姻当事者間に成立した内縁関係または婚姻予約を一方が破棄した事実の有無が審理の対象となつているときは内縁関係または婚姻予約の破棄に基づく慰藉料の請求は、婚姻無効確認の本訴の原因たる事実によつて生じた損害として、反訴として提起することが許される。
【参照法令】 民法742条/人事訴訟手続法7条
本訴請求についての本件控訴を棄却する。
反訴請求についての原判決を取消す。
被控訴人は控訴人に対し金一五〇万円を支払うべし。
控訴人のその余の反訴請求を棄却する。
本訴についての控訴費用は控訴人の負担とし、反訴についての訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を控訴人その余を被控訴人の負担とする。
控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の本訴請求を棄却する。仮りに被控訴人の本訴請求が認容されるときは、原判決の内反訴に関する部分を取消す。被控訴人は控訴人に対し金三〇〇万円を支払うべし。訴訟費用は本訴反訴を通じ第一、二審共被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、
被控訴代理人は、本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする、旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出援用認否は、左記のとおり付加訂正したほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。
控訴代理人は、
一、被控訴人と控訴人は昭和二八年八月控訴人が被控訴人方に同居するようになつたことから知り合い、間もなく肉体関係を生じた。これは被控訴人のほうから強引に求めた結果生じたものである。そして、控訴人は妊娠したが、被控訴人の両親が許さないため、被控訴人と相談して中絶した。その間二人の間の愛情は次第に高まり、やがて固く結婚を約するようになつた。しかし、二人の結婚には被控訴人の両親が強く反対したため、控訴人は昭和二九年九月頃被控訴人方を出て他に下宿したけれども、二人の関係はその後も変らず、同三二年三月被控訴人が大阪大学工学部を卒業して日立市に就職赴任した後も、互に協力してできるだけ多くの機会を作つては相逢い愛情を確かめていた。
やがて、控訴人は四回目の妊娠をした。それまでの三回は被控訴人に生活能力がないためいずれも中絶手術を受けていたが、被控訴人が就職したことから相談して今度は生むことに決め、同三二年一一月控訴人は上京し東京都世田谷区三軒茶屋町に被控訴人の名前で二人の家を借り、同月二〇日長女小夜美を出産した。被控訴人は休日ごとに控訴人の許へ来り金を送り品物を買い整え、もちろん出産にも立ち会つた。長女の名前は被控訴人が命名したものである。
小夜美の出産を機会に二人の婚姻届を済ませることになり、被控訴人は大阪から届出用紙を持つて帰り署名その他必要事項を自ら記載した。このときには、被控訴人の戸籍抄本の入手を依頼された訴外秋次常弘(控訴人の弟)が誤つて被控訴人の父の戸籍抄本を取つたという手違があり、そんなことから結局婚姻届の提出には至らなかつたが、しかし、二人の間の結婚するという意思は完全に確立した。あるいは届出を婚姻の成立要件とせず単なる効力要件と考える最近の新しい考え方からすれば、被控訴人と控訴人の間にはこの時点において婚姻が成立したとされるであろう。
同三三年一月控訴人は小夜美とともに帰阪したが、それは被控訴人の収入が十分でなかつたので、上京前からの保健所勤務を継続するためであつた。それから、同三四年一〇月に至るまでの間も二人の間に頻繁な文通があつたことはもとより、被控訴人は控訴人と小夜美のため度々現金や品物を送つて来たし、控訴人が日立市に赴き、あるいは被控訴人が帰阪して交歓したことも数回に及んだ。それは、「家庭の事情で単身赴任した夫と共稼ぎをしつつ留守を守る妻」という世間にもよくある夫婦の場合とほとんど変らない関係であつたのである。
ところが、同三四年一〇月二四日の朝控訴人の所に突然被控訴人から会いたいとの電話があり、同日午後控訴人が小夜美を連れて被控訴人と会つた際、被控訴人から訴外熊谷との挙式のことを告げられたのである。控訴人は驚ろいた。そして、もちろん反対した。ただ自分のためばかりではなく、小夜美の母としても必死に反対せざるを得なかつた。二人は近くの公園に行き話し合つた。その結果被控訴人は「熊谷との結婚はとりやめる」と控訴人に約束したのである。
控訴人は被控訴人の性格からしてこの言葉だけではたよりないと感じ、二人で被控訴人の父のところへその旨を話しに行こうと言い出し、被控訴人の希望で訴外江川のところへ付添いを頼みに行つた。控訴人が江川のところから帰ると、被控訴人は再び控訴人を公園に誘い出し、父に話したのではかえつてぶちこわしになる、日立製作所も止めて他に就職先を求めることにするとまで言うので、控訴人も安心し被控訴人の父のところへは行かないことにして、控訴人の自宅へ帰つた。控訴人の自宅にはちようど訴外江川喜通が来ていたが、二人が公園での話し合いの結果を告げたところ、同人が「本当に届出をするのならその旨を一筆書いてくれ」と被控訴人に求め、被控訴人は同夜旅館で誓約書(乙第二号証)を書いたのである。
その後、本件婚姻届が作成提出され、且つ、被控訴人の意見により本籍の記載が訂正された経過は従前主張のとおりであつて、少くとも控訴人としては、本件婚姻届は「熊谷との結婚を止めて控訴人と真実に結婚する」との公園での確約に基いてなされたものと考えており、被控訴人もまた少くとも控訴人に対しては一旦控訴人との婚姻届をし子供を入籍しのちに離婚するというような話はしていなかつたのである。被控訴人は控訴人との公園での約束を破つて同月二九日熊谷との結婚式を挙げたようである。周囲から強く言われると結局はそれに従つてしまう被控訴人の弱い性格からして、両親の反対を押し切り日立製作所での地位を捨ててまで控訴人との約束を守るということが結局できなかつたのであろう。右挙式後、被控訴人が熊谷と夫婦生活をしているかどうかは知らない。控訴人と被控訴人との間には右挙式の日以後肉体関係はなかつた。しかし、戸籍に関する文通のほか子供の誕生日には帰阪してくれとの控訴人の手紙に対し被控訴人は帰阪を約束した。その程度の関係は残つていたのである。そして、もちろん控訴人は被控訴人は必らず自分の許へ帰つてくるものと信じていたのである。
二、(一) 民法第七四二条第一号の「婚姻をする意思」とは、「法律上の婚姻関係を設定する意思」と解すべきである。婚姻(およびその他の身分行為)は一種の契約であるが、これらの身分法上の契約は財産法上の契約とは違つた特殊な性質をいろいろ持つている。その一つは、当事者が現実に合意に達した具体的な意思表示の内容と法によつて支えられる法律効果の内容とが必ずしも一致しないという点である。財産法上の契約においては原則として当事者の合意の具体的内容に応じて法律効果が生じる。ところが、婚姻契約においては生ずべき法律効果−当事者間の身分関係−はあらかじめ法定されていて、それ以外の法律効果を欲することを合意してもその合意は効果を生じない。婚姻するか否かの自由はあるが、どのような婚姻をするかの自由はない。婚姻という契約は右のように法により規格化された包括的な身分関係を当事者間に創設しようという契約である。そう考えれば、民法第七四二条第一号にいう「婚姻をする意思」とは、このような契約をしようとする意思であると解するのが当然である。換言すれば、右のような包括的身分関係すなわち「法律上の婚姻関係」を当事者間に設定しようという意思が婚姻意思なのである。なお、婚姻届をする意思で届出がなされたときは、右の意味での婚姻意思があるものと推定すべきである。しかし、この二つの意思は同じものではない。「法律上の婚姻関係を設定する意思」なしに何等かの便宜のために届出だけをする場合があり得るからである。
(二) 婚姻意思とは法律上の婚姻関係を設定する意思と解すべきであることは前記のとおりであるところ、本件において当事者間に右の意味での婚姻意思の合致があつたことは明白である。本件婚姻届提出に至る事情は前記のとおりであつて、被控訴人と控訴人の間には少なくとも法律上の夫婦関係を設定する合意のあつたことは明らかであつて、乙第二号証の誓約書に、「利秀は富美江と結婚長女小夜美出生せることを法律的に明白にする。」というのは、子供に嫡出子の地位を与えるための前提として、二人が法律上の夫婦となるという意味である。主たる目的は子供のためではあつても、ともかく、届出によつて二人が夫となり妻となり夫婦という法律上の身分関係を取得することを承認したものである。それだからこそ、「富美江とは後日離婚する」という但書がすぐ続くのである。「法律上の夫婦になるんだ」という意識がなければ、「但し後日離婚する」とあわててつけ加えるはずがない。さらに、被控訴人は「富美江との間に法律上の婚姻関係を設定する意思」があつたことは明白であり、控訴人の側に婚姻の意思があつたことは申すまでもないから、本件婚姻届は子供に嫡出子としての地位を与えるための方便として届出た場合でも、両名が真に法律上の婚姻関係を設定する意思の合致に基いてこれをしたものであるから、無効とは言えないのである。なお、仮りに本件婚姻届が子供に嫡出性を与えるための方便としてなされたものであるとしても、(実際は少くとも控訴人としては将来共同生活ができるものと期待していたし、被控訴人にもその気持が全然なかつたとは言い得ない。)その方便が完全に適法で且つ社会的にも望ましいことであり、また婚姻の直接効果の少くとも一部を目的とするもので、その有効性を主張し得るものと考える。
控訴人は最初挑まれて体を許し、その後は被控訴人の愛情と誠意を信じて、同人に身も心も捧げてきた。その間五年、二人は常に将来を誓い合い、婚姻届を出しかけたこともあつた。その後被控訴人は他の女に心を動かし、控訴人と自分の娘を捨てようとした。しかし、控訴人の妻としてまた母としての嘆願と追及にさすが利己的な被控訴人も思いなおし、控訴人と結婚する決心をし、あるいは少なくとも小夜美に嫡出子たる地位を与えるために、控訴人と法律上の夫婦になることを承諾し、婚姻届を提出することに同意したのである。本件婚姻届は有効なものといわなければならない。
三、(一) 本件反訴において控訴人が請求原因として主張する事実は、本訴において争われている事実ないしこれと不可分の事実関係であり、(もつとも損害額に関する事実は別だが、これは人事訴訟手続法第七条第二項但書の予定するところである。)控訴人の反訴を許容したところで、訴訟経済当事者の便宜のためにこそなれ、審理の錯綜遅延を来たすおそれはいささかもないことは明らかである。そもそも、同法が併合訴訟に関し第七条以下の特則を設けたのは、身分関係に関する紛争を一挙に且つすみやかに解決することにより身分の安定と家庭内の平和の早期回復を図ろうとの目的に出たものである。従つて、同条の規定は単なる例示でありこの目的に合致する限り、必ずしも同法第七条の明文にはそのまま該当しなくとも、広く併合請求ないし反訴を許すべきである。同法第七条第二項但書は、「訴の原因たる事実」と言つているのであつて、「本訴請求の原因」とは云つていない。「訴の原因たる事実」とは文理だけからしても明らかに「請求の原因たる事実」というよりは広い概念であつて、「当該訴が提起される原因となつた事実関係で、その訴の審判のため当然事実審理の対象となるべきものまたはなつたもの」と解すべきである。蓋しかかる事実関係に基く損害賠償請求を併合することは審理の錯綜遅延を来すおそれなく、かえつて訴訟経済当事者の利益に合致し、同法第七条以下の目的に副うことだからである。
婚姻無効の訴の請求原因は、これを厳格に解すれば「無効な婚姻届の存在」という事実に尽きるかも知れない。しかし、それだけが訴の原因たる事実のすべてではあり得ない。そのような無効な婚姻届が存在するに至つた原因がすなわち訴の原因となつているのである。しかも、婚姻無効事件においては、いやしくも両当事者が真剣に争うかぎり、なぜそのような婚姻届が存在するに至つたかが必らず審判の対象となるはずである。そして、本件においてもそれが十分に審理され認定されているのである。また、控訴人の反訴請求は、被控訴人の婚姻予約不履行ないし内縁の不当破棄を請求原因とするものであるが、本件の場合婚姻届そのものは一応両者合意のうえ提出されているのであるから、右不履行ないし破棄とは、被控訴人が本訴において主張する婚姻意思不存在の事実そのものである。本件において、もし被控訴人の本訴請求を認めるならば、その審理を通じて明らかとなつた事実に基づく控訴人の反訴請求につき審判されるのが訴訟経済当事者の利益のためのみならず、前記法の目的に副うものと信じる。
(二) 控訴人は昭和二年七月佐賀県藤津郡吉田村において秋次稔およびトシの長女として出生した。父稔は日本画家として展覧会に出品するかたわら乞われて肖像画を描いたり有田焼の絵付をしたりして生計をたてていたが、控訴人が八歳のとき死亡した。その後控訴人は弟常弘および常光とともに母トシの手で養育され、昭和一七年吉田国民学校高等科を卒業し、引き続き吉田村立吉田実践女学校に入学したが、約二年でこれを中退し、同一九年山口市所在の山口日赤病院救護看護婦養成所に入所し、同所において前大戦の終戦を迎え、同二一年これを卒業して看護婦および養護訓導の資格を取得した。そこで、控訴人はふたたび親許に帰り、同二一年二月から佐賀県所在の嬉野国立病院に看護婦として勤務していたが、同二五年保健婦の資格を取得するため一時同病院を退職し、佐賀県の実施した第五回保健婦養成講習会に参加し、約五ケ月の受講により保健婦の資格を取得してふたたび嬉野国立病院に勤務し、同二七年これを退職して、大阪市に来り大阪市浪速保健所に保健婦として就職した。その後、間もなく被控訴人を知つて以来の経過は反訴請求原因として従来主張しているとおりであるが、なお、昭和三五年試験に合格して大阪市技術吏員となり、現在は大阪市東住吉保健所に勤務しているものである。保健婦の資格は、現在では高等学校卒業後三年間の高等看護学校の教育を受けさらに一年間保健婦学校において教育を受けた者あるいは大学の看護学部を卒業した者に与えられる高度の職業的資格である。
控訴人には現在見るべき資産はなく、収入は現在基本給四六、〇〇〇円とこれに若干の諸手当がついているが、昭和三四年頃は約二万円であつた。
(三) 控訴人と被控訴人との間に婚約がなり事実上の結婚生活に入つてからも、当時被控訴人がまだ学生ないし就職間もないころであつたので、生活の資は主として控訴人の収入によつてまかなつていた。もつとも、小夜美出生後はときどき被控訴人から仕送りを受けたことは従来主張しているとおりである。
現在控訴人は母トシおよび小夜美と共に暮しており小夜美は大阪市常盤小学校三年生である。
なお控訴人は被控訴人との関係ができるまで処女であつた。
(四) 被控訴人は昭和一〇年三月大阪市において今井利雄および貢の間に出生した一人子で、鷹合小学校桃山中学校天王寺中学校大阪府立天王寺高等学校を経て、昭和三二年三月大阪大学工学部を卒業し、ただちに株式会社日立製作所に入社し現在に至つているものであつて、現在右会社において主任の地位にあり、年収少なくとも約九〇万円(月収約七五、〇〇〇円)を得ている。被控訴人自身の資産については分明でないが、その両親は少なくとも大阪市内に時価数千万円あるいは一億円を越える土地建物を所有するほか、大阪市外の不動産有価証券動産等相当の資産を有するものである。
(五) よつて、万一被控訴人の本訴請求が認容されるときは、反訴請求趣旨記載のとおりの判決を求める。
四、さらに、万々一本件反訴を不適法と判断されるような場合は、これを却下することなく、弁論を分離したうえ適当な処理をなされるよう求める。蓋し、併合の要件を欠く請求は却下せず分離審判すべきであつて、反訴もまた訴訟中の請求併合である以上、特に別異に取り扱う理由はないからである。
と述べ、
なお、被控訴人主張の本件誓約書(乙第二号証)が江川喜通等の被控訴人に対する強迫に基き作成されたとの事実は否認する。しかして、控訴人が現在秋次姓を名乗つている事実は認めるが、これは被控訴人の父が控訴人の勤務する役所における上司であり、且つ被控訴人との本件婚姻に反対だつたので手続を延しているうちに本訴提起に至つたからである。
と附陳し、
被控訴代理人は、
一、被控訴人と控訴人間に婚姻をする意思はなかつた。
(一) 本件婚姻届のなされた昭和三四年一〇月二七日以降被控訴人と控訴人間に婚姻関係が維持せられた事実は全くない。被控訴人は婚姻の意思なく本件婚姻届に署名捺印した事実はない。ただ、被控訴人は誓約書(乙第二号証)に意思に反して拇印させられた事実があるが、それも六畳一間に八人の多数人が集まり多数人から強迫せられ内一人は菜切庖丁を振り廻わし殺してやるとさわぎたて、江川喜通は「自分の組の者が一人広島で殺された」など被控訴人が控訴人の意に従わないときを仮定し恐怖を感ぜしめる言辞を以ておどしたことに基因する。よつて、控訴人において本件婚姻届は右誓約書による被控訴人の控訴人に対する委任に基きなしたものであると主張するならば、被控訴人は昭和四〇年一一月一日の本件口頭弁論期日において陳述した同日付準備書面を以て強迫を事由にこれが取消の意思表示をする。控訴人には被控訴人が認知できない子小夜美がある。適式な婚姻届があつたとすると、小夜美は嫡出子たる身分を取得する。
(二) 被控訴人が勤務先の上役から熊谷千鶴子と婚姻をなすについては表面化した控訴人との問題を処理せよと注意せられ、日立から来阪し被控訴人の両親に相談せずその努力をなした事実、しかして、故なき本件婚姻届のなされた日の二日後松坂屋長生殿において熊谷千鶴子と双方の親族相集まり正式の結婚式を挙げた事実により、被控訴人には本件婚姻届のなされた当時控訴人と婚姻する意思のなかつた事実を推認せしめるに十分である。一方、控訴人は一ケ月余り東京都に宿所を定めるに当り自己の友人を介し今井姓を名乗つて室借りをしたのに、大阪市に立戻るや再度秋次姓を名乗り現在依然として秋次富美江として保健所に勤務している。控訴人は大阪市職員共済組合から結婚資金の交付を受け現在戸籍上今井富美江でありながら、未だ勤務先に対し氏変更の届出をしていない。このことは控訴人が真に被控訴人と昭和三四年一〇月二四日婚姻する意思があつたものかを疑わしめるに十分である。
本件婚姻届は、一度提出せられその翌日正当の事由なく加筆訂正せられた外、一通分については日附を一日さかのぼらせて受付を求めた事実がある。この事実は一件の届出として当事者双方に一致した婚姻意思のなかつた証左である。換言すると、無権限になされた届出に帰因する。一度二通の婚姻届がなされた限りその記載をなし然る後転籍届を提出せしめるのが正しい事務処理である。強迫から出発し正権限に基かない手続が過誤に過誤を重ねたことを実証している。ここに婚姻無効となすを相当とする。
二、(一) 控訴人の反訴は不適法として却下せらるべきものである。被控訴人の本訴請求につき控訴人が勝訴すれば反訴は理由なきこととなる。条件付訴の提起は許されない。また、控訴人の反訴請求について審判をすることは訴訟遅延を来たし訴訟経済に合致しない。
(二) 控訴人主張の前記三の(二)の事実中控訴人が秋次稔およびトシの子として出生した事実、看護婦と保健婦の資格を取得した事実、大阪市技術吏員として大阪市東住吉保健所に勤務している事実、控訴人には現在みるべき資産なく収入は現在基本給四六、〇〇〇円とこれに若干の諸手当がつき、昭和三四年頃には約二万円であつた事実は認めるけれども、その他の事実は不知である。
(三) 控訴人と被控訴人間に婚約が成立した事実なく、また事実上の結婚生活に入つた事実もない。被控訴人は大阪大学の学生時代に一日たりとも夜間家を明け外泊した事実は全くない。更に、小夜美の生計の資として控訴人に送金した事実もない。
次に、控訴人が被控訴人との間に肉体関係ができるまで処女であつたとの事実は否認する。控訴人は大阪市生野区南生野町三丁目二八番地に住む訴外森川謙三と一年余り同居していた。右森川謙三は傷痍軍人として入院中看護婦であつた控訴人と結ばれ、控訴人は同人を追つて佐賀県から上阪し、同人と同居生活に移つたものである。右森川謙三の母は控訴人を嫁と呼んでいたが、控訴人は同人と不仲となつて森川方から家出をしたところ、ちようどそのとき大阪市浪速保健所に勤めていた被控訴人の父利雄が控訴人の上司であつたので、住むにこと欠く控訴人に同情してかくの如き関係ありとは知らず、しばしその自宅の一室を控訴人に無償提供するに至つたものである。このとき被控訴人は高等学校から大阪大学へと勉学中の学生生徒の時代であつた。控訴人はこの時代の被控訴人を誘惑し肉体関係に持込み深い罪な遊びに類する行為にまで追込んだものである。被控訴人が未だ十幾歳で思慮と分別とに欠けているのと反対に控訴人は職業柄十二分にその道の知識と経験とがあつた。さして技巧を必要としなかつたと推認せられ得る。控訴人が三回も妊娠中絶をすべて同一の病院でなしたということは信を措きかねるのであつて、それが事実であれば正しく遊びと断ずる外はない。控訴人が処女であつた旨の主張は事実に反する。
(四) 控訴人主張の前記の三の(四)の事実中被控訴人の身分学歴並びに被控訴人が現在その主張の如く日立製作所において主任の地位にあることを認めるけれども、月収額は五万円程度にすぎず、被控訴人の父母の資産の額は争う。
三、控訴人において訴訟遅延を策して今日に至り反訴につき弁論の分離を求める事由はない。仮りに分離すると仮定せんか、訴訟記録の謄本を裁判所において作成し各別に進行するほかない。かくては本訴の審理判決は更に遅延し訴訟経済に合致せず、当事者双方の利益とはならない。よつて、控訴人の反訴についての弁論分離の申立には異議を述べる。
四、原判決事実摘示中原判決三枚目裏五、六行目に記載せられている「被告が三回の妊娠中絶をしたこと」を原告(被控訴人)が認めたとの事実は錯誤につき妊娠中絶の事実は不知と訂正する。尤も、中絶云々を三回聞かされた事実はあつたが、被控訴人が中絶をすすめた事実なく、中絶手続書に被控訴人自ら捺印した事実もない。その他、被控訴人の主張に反する控訴人の答弁事実は否認する
と述べた。
立証(省略)
一、当裁判所は被控訴人の婚姻無効確認の本訴請求を正当と認める。その理由は、左記のとおり訂正付加するほか、原判決理由一(原判決九枚目裏八行目から一四枚目裏二行目まで)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
(一) 原判決一一枚目表一一行目の同月二三日とあるを同月二四日と訂正し、同一一枚裏七行目の誓約書(乙第二号証)を被告宛に作成したの次に、しかしながら、原告(被控訴人)は被告(控訴人)等の反対により飜意して熊谷千鶴子との結婚を思いとどまつたものではなく、以上認定事実によると原告(被控訴人)は被告(控訴人)と事実上の夫婦として同棲生活をしていたものではないから、内縁関係が成立していたものとは認められないけれども、被告(控訴人)との間に婚姻の予約が成立していたものと認められるところ、原告(被控訴人)は被告(控訴人)との婚姻予約を破毀して、同月二九日予定どおり熊谷千鶴子との結婚式を挙げることを決意したものであつて、同月二四日以降原告(被控訴人)には被告(控訴人)と夫婦生活を営む意思はなかつたものである。との字句を挿入する。
(二) 右引用の原判決の事実認定並びに右(一)の事実認定を支持する証拠として、当審証人秋次常弘の証言の一部並びに当審における被控訴人並びに控訴人の各本人尋問の結果(各第一回)の一部を付加し、右認定に反する同証人秋次常弘の証言部分及び同被控訴人並びに控訴人の各本人尋問の結果(各第一回)の一部はいずれも措信することができない。
しかして、被控訴人主張の誓約書(乙第二号証)が秋次常弘並びに江川喜通等の被控訴人に対する強迫に基き作成せられたとの事実に符合する原審証人今井貢の証言及び原審並びに当審における被控訴人本人尋問の結果(当審は第一回)の部分は、当審における控訴人本人尋問の結果(第一回)及び前記原判決挙示の証拠と比照し措信し難く、他にこれを肯認するに足る証拠はない。
(三) 民法第七四二条第一号にいう婚姻をする意思とは、夫婦関係を設定する意思であつて、その夫婦関係とは、習俗的標準にてらしてその社会で一般に夫婦関係と考えられる男女の精神的肉体的結合を意味するものというべきである。従つて、同条第一号にいう当事者間に婚姻をする意思がないときとは、当事者間に真に右の如き夫婦関係の設定を欲する効果意思を有しない場合を指すものであつて、たとい婚姻の届出自体については当事者間に意思の合致があつたとしても、それは単に他の目的を達するための便法として仮託されたものに過ぎずして、前叙の意味において真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかつた場合においては、その目的とするところが本来違法なものではない場合においても婚姻の効力を生じないものと解するのが相当である。
ところで、本件についてこれを観るに、被控訴人は、熊谷千鶴子との間に結婚する話がまとまり昭和三四年一〇月二九日に同女と結婚式を挙げることに取決められたので、同月二四日控訴人とのそれまでの関係を清算するため日立市から大阪に来て控訴人に会い熊谷千鶴子と結婚する旨を告げたところ、控訴人やその家族等からその非を責められ、且つ小夜美が非嫡出子として取扱われることになるのをおそれた控訴人からせめて小夜美に被控訴人と控訴人間の嫡出子としての地位を得させてほしいとの懇請をうけ、その処置に窮した被控訴人がその場の収拾策として一旦控訴人との婚姻届をして小夜美を入籍しのちに控訴人の離婚するという便宜的手続を認めざるを得なくなり、その旨の控訴人宛の誓約書(乙第二号証)を作成してこれを承諾したけれども、被控訴人は控訴人等の反対により飜意して熊谷千鶴子との結婚を思いとどまつたものではなく、控訴人との婚姻予約を破毀して、同月二九日予定どおり千鶴子との結婚式を挙げることを決意したものであつて、同月二四日以降(もとより本件婚姻の届出がなされた同月二七日当時)被控訴人には控訴人と夫婦生活を営む意思はなかつたもので、同月二九日予定どおり千鶴子との結婚式を挙げ、同日以降同女と夫婦生活を営み今日に至つていること前認定のとおりであるから、本件婚姻の届出に当り、小夜美に被控訴人と控訴人間の嫡出子としての地位を得させるための便法として両名間に婚姻届出については意思の合致があつたが、被控訴人には控訴人と真に前記の如き夫婦関係の設定を欲する効果意思を有しなかつたものというべきであるから、婚姻をする意思がなかつたものとして、婚姻の効力を生じなかつたものと認めるのが相当である。
(四) 控訴人は、知識人であるはずの被控訴人が自らの責任においてなした婚姻の届出について後になつて都合が悪くなると真意でなかつたとして婚姻の無効を主張するようなことは、クリーン・ハンドの原則からして許されない旨主張するけれども、前認定の如く本件婚姻の届出に当り被控訴人には真に夫婦関係の設定を欲する効果意思がなかつたものであつて、民法第七四二条第一号によつて婚姻は無効であり、この無効は絶対的なものであるから、その主張の如きクリーン・ハンドの原則を適用する余地はないものというべきである。
二、進んで、控訴人の予備的反訴について判断する。
(一) 先ず、被控訴人の反訴の却下を求める本案前の抗弁について考察するに、人事訴訟手続法第七条第二項但書は、同条第一項の婚姻事件の訴(婚姻無効の訴等)の原因たる事実によつて生じた損害賠償の請求はその訴に併合しまたはその反訴として提起することを得る旨規定している。
ところで、同法第七条以下の婚姻事件についての訴の併合反訴の提起に関する特則の設けられた趣旨は、一面右婚姻無効等の人事訴訟とこれに関連のない通常訴訟との併合反訴の提起を制限して、無制限にこれを許すことにより婚姻無効等の人事訴訟と通常訴訟とが互に性質手続を異にする関係上生ずる審理の錯綜遅延を防止すると共に、他面同一婚姻関係に関する同種事件並びにこれに関連する損害賠償請求につき訴の併合反訴の提起を許して、審理を集中して粉争を一挙に且つすみやかに解決することにより、身分関係の安定と家庭内の平和の早期回復を図つているものと解すべきところ、本件被控訴人の婚姻無効確認本訴の請求原因事実は、本件婚姻の届出のなされた当時被控訴人に婚姻の届出をなす意思なくまた婚姻をなす意思がなかつたとの事実であるけれども、その事実審理のため必要な前提事実として、控訴人主張の右届出以前に被控訴人と控訴人との間に成立した内縁関係または婚姻予約を被控訴人が破毀した事実の有無が事実審理の対象となつているものであること前認定のとおりであるから、婚姻無効確認の本訴請求が認容せられるときは、右婚姻無効確認の本訴について審理した結果をそのまま控訴人の損害賠償(慰藉料)請求反訴の原因事実の立証に援用すればこと足り、これがため特に審理の錯綜遅延を来たすおそれなく、本件婚姻関係とこれに関連する損害賠償請求の争を一挙に解決して身分関係の安定と家庭内の平和の早期回復に資することができるものというべきであるから、同法条の規定の趣旨に照らし、控訴人の本件損害賠償(慰藉料)の請求は被控訴人の婚姻無効確認の本訴の原因たる事実によつて生じた損害賠償の請求と認めて、同法第七条第二項但書によりその反訴として提起することが許されるものと解するのが相当である。
(二) そこで、控訴人の反訴損害賠償請求の当否について審究する。本件婚姻無効確認の本訴請求の当否の判断として当裁判所が引用した前記原判決の認定事実並びに前記一の(一)の認定事実によると、被控訴人は控訴人との婚姻予約を破毀したものであつてその不履行の責は被控訴人にあるものとみることができ、これがため控訴人が精神上多大の苦痛を蒙つたことは明らかであるから、被控訴人は控訴人に対し控訴人の蒙つた精神上の苦痛に対する損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
しかして、成立に争のない乙第三八号証の一乃至三同第三九号証の一、二に当審における控訴人並びに被控訴人の各本人尋問の結果(第二回)(被控訴人の尋問の結果中後記措信しない部分を除く)を綜合すると、次の事実が認められる。すなわち、
(イ) 控訴人は、昭和二年七月四日佐賀県藤津郡吉田村において秋次稔およびトシの長女として出生したものであつて、父稔は日本画家として展覧会に出品するかたわら肖像画を描いたり焼物の下絵を描いたりして生計をたてていたが、控訴人が八歳のとき死亡した。
その後、控訴人は、弟常弘および常光とともに母トシの手で養育せられ、昭和一七年吉田国民学校高等科を卒業し引き続き吉田実践女学校に入学したが、約二年でこれを中退し、同一九年山口市所在の山口日赤病院救護看護婦養成所に入学し、同所において前大戦の終戦を迎え、同二一年これを卒業して看護婦および養護訓導の資格を取得し、ふたたび親許に帰り同二一年二月から佐賀県所在の嬉野国立病院に看護婦として勤務していたが、同二五年保健婦の資格を取得するため一時同病院を退職し、佐賀県下の保健婦学校に入学して保健婦の資格を取得し、ふたたび嬉野国立病院に勤務し、同二七年六月これを退職して大阪市に来り大阪市浪速保健所に保健婦として就職し、初め嬉野国立病院の看護婦として勤務中に知り合つた森川謙三の母の家に寄宿していたが、半年位でそこを出て大阪市内のアパートに住んでいたが前認定の如く昭和二八年八月頃から上司の訴外今井利雄(被控訴人の父)方に下宿するに至つた。しかして控訴人は昭和三五年試験に合格して大阪市技術吏員となり、現在は大阪市東住吉保健所に勤務しており、現在みるべき資産はなく、その収入は基本給四六、〇〇〇円とこれに三、〇〇〇円位の諸手当の支給をうけているが、昭和三四年頃の収入は約二万円であつた。しかして、控訴人は現在母トシおよび小夜美と共に暮しており、小夜美は小学校三年生である。なお、控訴人は被控訴人との肉体関係ができるまで処女であつた。
(ロ) 被控訴人は、昭和一〇年三月四日大阪市において今井利雄および貢の間に出生した一人子であつて、鷹合小学校桃山中学校天王寺中学校大阪府立天王寺高等学校を経て昭和三二年三月大阪大学工学部を卒業し、ただちに株式会社日立製作所に入社し現在に至つているものであつて、現在同会社において主任の地位にあり年収約九〇万円を得ており、熊谷千鶴子との間に六歳と三歳の二児を儲けている。
被控訴人の父利雄は大阪市の保健所に勤務していたが退職し現在は無職であり、母貢は大阪市内の幼稚園の園長を勤めておる。被控訴人の資産については明らかでないが、その両親である利雄および貢は大阪市内に時価数千万円の土地家屋を所有し、裕福な生活を営んでいる。
以上の事実が認められ、右認定に反する原審並びに当審における被控訴人本人尋問の結果(当審は第一、二回)の部分は措信し難く他に右認定を左右するに足る証拠はない。
(三) 以上さきに引用した原判決の認定並びに前記一の(一)及び二の(二)に認定の、被控訴人が控訴人と婚姻予約をなすに至つた状況、両名間に小夜美が出生した事実、被控訴人が控訴人との婚姻予約を破毀するに至つた経緯とその後の状況、被控訴人及び控訴人両名の年齢学歴経歴家族関係、被控訴人と控訴人並びにその父母の資産収入等諸般の事実を綜合すると、控訴人が被控訴人の婚姻予約不履行により蒙つた精神上の苦痛に対する損害の賠償として、被控訴人は控訴人に対し金一五〇万円の支払義務があるものと認める。
三、してみると、被控訴人の控訴人に対する婚姻無効確認の本訴請求は正当であつて、これを認容した原判決は相当であり、本訴についての控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人の被控訴人に対する損害賠償の反訴請求中被控訴人に対し金一五〇万円の支払を求める限度で正当としてこれを認容し、その余の部分は失当としてこれを棄却すべく、これと異なる反訴請求についての原判決は不当であるからこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九六条第九二条本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小野田常太郎 松浦豊久 青木敏行)
【判例評釈】 右近健男・ジュリスト増刊(基本判例解説シリーズ)4号219頁1979年2月,
右近健男・民法の基本判例(別冊法学教室 基本判例シリーズ2)199〜202頁1986年4月,
高橋忠次郎・専修法学論集11号68頁1971年9月,
黒木三郎・別冊ジュリスト40号39頁1973年2月,
小林英樹・研修593号37〜38頁1997年11月,
杉田洋一・法曹時報22巻2号188頁1970年2月,
谷口知平・別冊ジュリスト16巻2号28頁1980年2月,
中川淳・家族法判例百選<第4版>(別冊ジュリスト99)8〜9頁1988年11月,
中川淳・家族法判例百選<第5版>(別冊ジュリスト132)4〜5頁1995年1月,
中川淳・法律時報42巻13号146頁1970年11月,
中川善之助・法学セミナー180号9頁1971年2月,
末川博・民商法雑誌63巻2号48頁1970年11月
最一判決昭38・11・28民集17巻11号1469頁
裁集民69号427頁、家月16巻3号65頁、判時360号26頁、判タ157号58頁
離婚無効確認請求事件(昭37(オ)203号)
【判示事項】協議離婚を有効と認めた事例
【判決要旨】妻を戸主とする入夫婚姻をした夫婦が、事実上の婚姻関係は維持しつつ、単に、夫に戸主の地位を与えるための方便として、協議離婚の届出をした場合でも、両名が真に法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいてこれをしたものであるときは、右協議離婚は無効とはいえない。
【参照条文】民法739条、民法763条、民法764条
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
上告代理人木島次朗の上告理由第一点について。
論旨は、本件協議離婚の届出は、離婚当事者の承諾なくして訴外前田又一によりなされたものであると主張するが、右届出が離婚当事者である上告人及びその妻前田岩子の意思に基づいてなされたものであつて、岩子の継父前田又一が当事者の承諾なく壇になしたものでない旨の原審の事実認定は、挙示の証拠により首肯できる。所論は、証拠の取捨判断、事実認定に関する原審の専権行使を非難するにすぎないものであるから、採用できない。
同第二点乃至第四点について。
原判決によれば、上告人及びその妻岩子は判示方便のため離婚の届出をしたが、右は両者が法律上の婚姻関係を解消する意思の合致に基づいてなしたものであり、このような場合、両者の間に離婚の意思がないとは言い得ないから、本件協議離婚を所論理由を以つて無効となすべからざることは当然である。これと同一の結論に達した原判決の判断は正当であり、その判断の過程に所論違法のかどあるを見出し得ない(所論違憲の主張は実質は単なる違法をいうに過ぎない)。所論は、原判決に副わない事実関係を想定するか或は原判決を正解しないで、これを攻撃するものであつて、採るを得ない。
よつて、民訴401条、95条、87条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 斉藤朔郎)
第二点 原判決には条理に反し理由齟齬の違法がある。
原判決は其理由のなかで控訴人及び妻岩子は右離婚届出によつて事実上の婚姻関係を解消する意思は全くなく単に戸主権を岩子から控訴人に移すための方便として離婚の届出をなしたものというべきであるが事実上の婚姻関係丈では法律上の婚姻といえないことから明かなように事実上の婚姻関係を維持しつつ法律上の婚姻関係を解消することはもとより可能であつて、たとえ方便としてであつても控訴人や岩子がその意思に基いて法律上の婚姻関係を解消することを欲した以上離婚の意思なしということはできないというのであるが民法第739条には婚姻は戸籍法の定める所によりこれを届出ることによつてその効力を生ずるとあつて、婚姻の届出にはその前提として両性の自由なる合意による婚姻事実が存在せねばならない両性の合意即ち婚姻の意思がないのに形式上戸籍法に定めた手続による婚姻届出があつたとしても其婚姻は当然無効であるように離婚も又協議離婚の場合は当事者の離婚合意に因る届出によつてのみ其効力を生ずるものと解すべきである。
然るに原判決は上告人と妻岩子との昭和21年7月1日の協議離婚届出は上告人に戸籍簿上戸主の地位を取得させる方便として為されたものであることを認め乍ら真実離婚の意思なくとも法律上婚姻関係を解消することは可能であるとして本件を協議離婚届出を有効であるとなし、上告人の主張を採用し得ないと判断したのは条理に反し日本国憲法第24条民法第739条第762条の解釈を誤り且つ理由齟齬の違法がある。
第三点 原判決は法令違反理由齟齬の違法がある。
原判決は其理由中に事実上の婚姻関係丈けでは法律上の婚姻といえないことから明かなように事実上の婚姻関係を維持しつつ法律上の婚姻関係を解消することはもとより可能であつてと判示してゐる。
当事者が依然同せいし経済生活、性生活を維持しつつ離婚意思のないのに何等かの方便として法律上の婚姻関係丈を解消することを申合せ協議離婚の届出をすることは勿論可能であるけれ共、それが法律上有効な法律行為であるということにはならない。斯る協議離婚の届出は離婚の意思のない届出として婚姻並に離婚に関する民法第739条第762条に違背する無効の届出であるから、離婚の効力を生じないし又民法第94条により相手方と通じて為したる虚偽の意思表示として無効の届出とゆわねばならない。
然るに原判決は全く此点について充分な審理をつくさず何等の判断もしてゐないのは法令に違背し且つ審理不尽、判断遺脱、理由齟齬の違法がある。
第四点 原判決は判断遺脱、理由不備の違法がある。
仮りに原判決でゆうように何等かの方便として為された離婚の意思なくして協議離婚の届出を為し法律上の婚姻関係を解消することが可能であり、且つ一応形式的効力を発生せしめ得るとしても本件の如く上告人と妻岩子とが相通謀して上告人に戸籍簿上戸主としての地位を与える方便として為したる虚偽(離婚の意思なくして)の協議離婚届出により戸籍簿上協議離婚したものとしての記載がなされ其為上告人が長男環の戦死に因り当然受く可き遺族扶助料の支給をうける権利を喪失するに至るものであるから右虚偽の協議離婚届出の無効の確認を求める権利を有するものと謂はねばならない。
然るに原判決は此点についての何等の審理判断を為さず上告人の主張を排斥したことは審理不尽、判断遺脱、理由不備等の違法がある。
(その他の上告理由は省略する。)
【評 釈】蕪山厳・判解88事件・曹時16巻1号144頁、山本正憲・民商51巻2号90頁、中川淳・法時36巻7号104頁、高橋忠次郎・別冊ジュリ12号50頁・40号61頁,阿部徹・熊本法学3号(1965年3月)103頁,菊地博・神戸法学雑誌14巻3号(1964年12月)636頁,石川利夫・法学セミナー245号(1975年)110頁年11月