第4回 婚姻制度と「家」制度

2004年4月13日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂


講義のねらい


ある個人を中心に考えた場合,その人の存在の開始である出生は,通常,一組の男女の性的結合による受精と女性の胎内で着床した胚の266日間にわたる成長を経てはじめて可能となる。しかも,人間の場合,出生した個人は,一人では生きていけない未成熟子であり,一人立ちするまでには,相当期間(約20年間)の養育を必要とする。

そこで,人間社会においては,個人が出生から一人立ちを行なうまでの養育を確実にするために,子を儲けた一組の男女を社会的に独立の存在として扱い,安定的な地位を与えるとともに,さまざまな社会的な利便をも提供するというシステムを作り上げてきた。それが,理念型としての婚姻制度である。

しかし,いったん婚姻制度が構築されると,その制度は,多様な目的で利用されるようになる。例えば,二人の男女の孤独を癒し,精神的な安定を得るためだけの目的で婚姻をし子どもをもうけないカップルもいる。反対に,家系を絶やさないために嫡出子を儲けるため,または,派閥を形成するために姻族を利用するというような政略的な婚姻も存在する。しかし,当事者が婚姻から生じる主な効力を享受しようとする意思をもって婚姻を行なう限り,その婚姻は有効であり,法律上も保護を受ける。これが,婚姻形態の多様化といわれる現象である。

しかしながら,婚姻形態の多様化は,必然的に,当事者の一方と他方との婚姻に対するイメージのギャップを生じさせる。婚姻の後にそのギャップが表面化するに及んで,当事者は互いに相手に失望し,婚姻生活を維持する意欲を失い,離婚へと向かうケースが増加している。

厚生労働省の人口動態統計によれば,平成13年度の婚姻件数は,799,999件(婚姻率は6.4)であるのに対して,離婚件数は285,911件(離婚率は2.27)である。そうすると,平成13年度には,わが国では,40秒に1組が結婚し、2分に1組が離婚していたことになる。

後に詳しく分析するように,離婚原因のうち,夫と妻の言い分が顕著に異なるのは,嫁・姑問題とDV(ドメスティック・バイオレンス)の問題である。例えば,妻は,夫と結婚したと思っているのに,いつの間にか,夫の家の嫁とされて,舅,姑に対する「親」孝行を強要され,舅・姑と仲が悪くなると,「家族・親戚と折り合いが悪い」と言って夫からも非難される。また,やさしい人だと思って結婚してみると,「夫のいうことを聞かない」という理由で暴力を振るわれる。この様な事態に至って,はじめて,妻は結婚相手を間違えたことに気づくという例が後を絶たない。

幸せの頂点といわれる婚姻によって,人生はどのように変わるのか。婚姻による様々な環境変化に適応できず,離婚へと至る道筋にはどのような背景が隠されているのか。そのことを具体的な実例を通じて理解し,現行法の婚姻制度に存在する「家」制度の残滓の実態に迫ろうとするのが,今回の講義の目標である。


演習


以下の文章を読んで,次の問に答えなさい。


毎日新聞社・生活家庭部編『ひとりで生きる−家族から個族の時代へ』エール出版社(2000)111-113頁
会社員,涼子さん(38)=仮名=が,学生時代からの交際の末,結婚したのは27歳の時。式後,義母から言われた。「きょうからは家(うち)の嫁なのだから,息子を大切にしてくれないと困りますよ」

「あれ?」と思った。「結婚すれば大好きな彼と一緒にいられる,と単純に思っていたのですね。ところが,結婚してついて来たのは彼の家族,そして嫁という役割でした

結婚後間もなく,夫は半年間ほど海外出張へでかけた。その間にも「あれ?」は膨らみ続ける。

彼の実家は東京の都心から約2時間。父はすでに亡く義母はひとりで暮らしているものの,結婚した2人の姉たちが近くに住み,夫や子供たちと一緒に毎週末のように集まって食事をしていた。

彼がいなくても,この集まりに加わるよう再三 “お呼び” がかかる。近所に葬式があれば「長男の嫁として3日間手伝いに来るように」と言われる。家族に対する考え方がまるで違っていた。

結婚後も東京で暮らすことは,仕事を持つ涼子さんには当然のことだった。夫も同居を口にしたことはない。だから,義母からの電話で,2世帯住宅の新築工事が進んでいることを知った時は,すぐに言葉が出なかった。夫は言い出せないでいたのだ。

「あまりに違うことがわかっていたから,母親と私が理解しあえるように間に立つという努力を放棄しちゃったのですね。両方にいい顔をして。でも,いざとなったら私が折れると期待していたのでしょう

結婚したとたん,当然のように嫁として彼の家に取り込まれていくことは,耐え難かった。妻の思いをきちんと受け止めてくれない夫への不信感も募った

しまいには,涼子さんは精神のバランスを崩した。「彼と別れたいというより結婚という枠から出たかった」。「離婚はしない」といい続けた夫も同意した。

「本当にこれでよかったのか」。離婚後も迷いは続く。しかし時間とともに選択は間違っていなかった,と自信を持てるようになった。

今,彼とは「子供のころ,よく遊んだいとこと大人になってまた会うっていう感じ」と涼子さんは言う。かっこつける必要もないし,何でも話せる。ほかの男友達とは「全く違う “特別感” がある。ガールフレンドのことも相談されるが,素直に「がんばってね」と言える。

問1 結婚によって何が変わると考えているかという観点から,涼子さんの考え方と義母の考え方を比較しなさい。

民法旧規定

第788条 妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル
2 入夫及ヒ壻養子ハ妻ノ家ニ入ル
第746条 戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス
第749条 家族ハ戸主ノ意ニ反シテ其居所ヲ定ムルコトヲ得ス
2 家族カ前項ノ規定ニ違反シテ戸主ノ指定シタル居所ニ在ラサル間ハ戸主ハ之ニ対シテ扶養ノ義務ヲ免ル
3 前項ノ場合ニ於テ戸主ハ相当ノ期間ヲ定メ其指定シタル場所ニ居所ヲ転スヘキ旨ヲ催告スルコトヲ得若シ家族カ正当ノ理由ナクシテ其催告ニ応セサルトキハ戸主ハ裁判所ノ許可ヲ得テ之ヲ離籍スルコトヲ得但其家族カ未成年者ナルトキハ此限ニ在ラス

問2 義母の考え方(家制度)を,民法旧規定の条文に即して説明しなさい。

問3 涼子さんの結婚観を,現行民法の条文に即して説明しなさい。

問4 義母が廃止されたはずの家制度の考え方が今でも通用しているかのように振舞える精神的バックボーンは何か。以下の文章(ルース・ベネディクト,長谷川松治訳『菊と刀−日本文化の型』社会思想社(1972)155頁以下)を読んで,嫁や婿の果たすべき義務について考察しなさい。

日本人のよく言う言葉に「義理ほどつらいものはない」というのがある。人は,〔報恩という〕義務を返済せねばならないと同様に「義理」を返済しなければならない。しかしながら「義理」は,〔報恩という〕義務とは類を異にするする一連の義務である。また,人類学者が世界の文化のうちに見だす,あらゆる風変わりな道徳的義務の範疇の中でも,最も珍しいものの一つである(155頁)。
ある日本語辞書の説明によれば,義理とは,「正しき筋道。人のふみ行うべき道。世間への申し訳に,不本意ながらすること」である(156頁)。
「義理」は,法律上の家族〔姻族〕に負っている一切の義務を含み,〔報恩という〕「義務」は,直接の家族〔血族〕に対して負っている一切の義務を含む。法律上の父は「義理」の父と呼ばれ,法律上の母は「義理」の母,法律上の兄弟および姉妹は,それぞれ「義理」の兄弟,「義理」の姉妹と呼ばれる。この呼称は,配偶者の血族,および血族の配偶者のいずれにも用いられる(156-157頁)。
結婚は日本においては,むろん家と家との間の契約であって,生涯相手方の家に対して,これらの契約義務を遂行することが「義理を果たすこと」とされている。「義理」は,この契約を取り決めた世代−親−に対する「義理」が最も重い。なかんずく重いのは,嫁の姑に対する「義理」であって,それは嫁は自分の生家とは違う他家にいって,そこで暮らさなければならないからである(157頁)。
ある日本人が言ったように,「成人して息子が彼自身の母親のためにいろいろなことをしてやるのは,母親を愛しているからであり,したがってそれは義理ではありえない,心から行う行為は,義理を果たすことではない。」しかしながら,人は義理の家族に対する義務を几帳面に果たす。それは,どんな犠牲を払ってでも,あの「義理を知らない人間」という,恐ろしい非難を避けなければならないからである(157頁)。

問5 母親の意見と妻の意見とが対立したときに,最終的には妻が折れてくれると思う夫の精神的な基盤はどのような思想か。

問6 次の文章(ルース・ベネディクト,長谷川松治訳『菊と刀−日本文化の型』社会思想社(1972)117頁以下)を読んで,親孝行という考え方の功罪について論じなさい。

何世紀もの久しい間にわたって「恩を忘れない」ということが日本人の習性の中で最高の地位を占めてきた…恩が,親たちを子供に対してあのように権力のある枢要な地位に置いているあの有名な,東洋の孝行の基礎である。それは子供が親に対して負っており,返済に努力する負債として言い表されている(117頁)。
日本では,孝行は,たとえそれが親の不徳や不正を見て見ぬふりをすることを意味する場合においても,履行せねばらならない義務となった。それは天皇に対する義務と衝突する場合にだけ廃棄することができるのであって,親が尊敬に値しない人間であるとか,自分の幸福をそこなうとかいう理由で棄て去ることは絶対にできなかった(140頁)。
小説にも,実生活にも,結婚したのちに,重い孝行の義務を負わされる青年の例が幾らでも見受けられる。一部の“モダン”な人びとを除いて,良家では息子の嫁は当然両親が,通常媒酌人の斡旋によって選ぶべきものとされている。…善良な息子は,親の「恩」に報じなければならないから,親の決定に異議をさしはさまない。結婚したのちも,彼の報恩の義務はなお継続する。特に息子が家督相続人である場合には,彼は両親といっしょに生活するのであるが,姑の嫁を好まぬことは,万人周知の事実である。姑は何かにつけて嫁に難癖をつける。時には里に追い返し,たとえ息子が自分の妻と仲睦まじく,何よりも妻と共に生活することを望んでいる場合にでも,結婚を解消させてしまうことがある。日本の小説や身の上話は,妻の苦悩と全く同様に,夫の苦悩を強調する傾きがある。夫が結婚の解消に承服するのは,むろん孝を行うためである(141−142頁)。

問7 あなたが結婚するとしたら何のためか。結婚の目的を5つ以内の項目で答えなさい。

問8 あなたが結婚したくないとしたらなぜか。結婚に付随する問題点を5つ以内の項目で答えなさい。

問9 与謝野晶子の詩(君死にたまふこと勿れ(旅順口包囲軍の中にある弟を嘆きて))は,天皇制絶対の中で反戦を唱えた詩として評価されるべきものであるが,反戦を「家制度」,「孝行」等を基礎に組み立てることには限界があることも示しているように思われる。以下の詩を読んで,「報恩」における「孝行」と「忠君」との優劣関係を考察しつつ,「孝行」という徳目の功罪について論じなさい。

君死にたまふこと勿れ(旅順口包囲軍の中にある弟を嘆きて)
与謝野晶子
あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ

末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて 人を殺せとおしへしや
人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事か
君知るべきやあきびとの 家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ

すめらみことは戦ひに おほみづからはい出まさね
かたみに人の血を流し 獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは 大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思されむ
あゝをとうとよ戦ひに 君死にたまふことなかれ

すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく わが子を召され家を守り
安しと聞ける大御代も 母のしら髪はまさりぬる

暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を
君わするるや思へるや
十月も添はでわかれたる 少女ごごろを思ひみよ
この世ひとりの君ならで あゝまた誰をたのぶべき

君死にたまふことなかれ

問10 以下は,私の「親不孝の薦め」である。子の身勝手・親不孝こそが,結果的には,両親に対する最大の報恩となるという論理である。これを,批判的に検討しなさい。