主夫をめざす男子学生のために

2003年5月18日

名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂


はじめに


職業の上では,男女平等の考え方が少しずつ浸透してきているにもかかわらず,家庭生活においては,家事・育児は女の仕事という固定観念をもっている人は少なくありません。

私の聞き取り調査によっても,男子学生に顕著に見られる傾向ですが,子供が小さいうちは,誰かが家にいて育児に専念すべきである,つまり,夫婦のどちらかが,主夫か主婦をすべきであるという考えを持っている人が多いのです。そのような人,とりわけ男子学生の本音を聞きただすと,どちらが主夫または主婦をすべきかは,稼ぎの多い方で決めればよいというのが決まり文句です。つまるところは,夫が外で稼ぎ,妻が主婦をするというパターンに落ち着かせようと考えていることが明白でした。

しかし,今年度の学生の中には,以下のように述べて,本音で主夫を引き受けてもよいという学生が現れるに至りました。そこで,主夫という仕事がどのような仕事なのか,主夫の務めを果たすには,どのような準備と心構えをすべきかを知らせる必要が生じました。

男子学生:いろいろと結婚について考えることが多くなりました。それでちょっと気になったのは,専業「主夫」についてです。男性も子どもを産むこと以外は家事・育児の能力に女性とたいした差はないのだから,専業主夫がいても何の問題もないし,個人的には将来専業主夫になるのもありだと思っています。ただ,「専業主夫はそういう職業なんだから家事・育児をすべてこなして当たり前。私(妻)は仕事があるから家事・育児はよろしく」的な考え方ではダメです。
講師:一般論はそうかもしれませんが,これまでの聞き取り調査では,こういう発言をする学生は,第1に,自分の本心は違うことがほとんどでした。第2に,専業主夫は家事に専念するものなのだから,専業主婦も家事に専念すべきであり,その場合には,夫は育児休暇をとる必要もないし,家事も手伝いをする程度でよいという,実に男性に都合のよいものでした。この点,あなたは,第2の点で一般の学生とは見解が異なるのですが,「個人的には将来専業主夫になるのもありだ」という発言は,やはり気になります。本心だとしたら,その理由も教えてください。
男子学生:専業主夫になるのもありだという理由は,仕事をすることに対してあまり熱意がないことと,家事・育児をするのも何か仕事をするのも大変なことにかわりはないのだからそれなら好きなほうをできたらいいなと思っているからだと思います。この大学に通っている学生なら多くの人は何かの職業を目指していると思いますが,僕の場合はそういうのがないですね。やりたい仕事が決まってないというわけではなく,ただそれの優先順位みたいなものがあまり高くないという感じです。

以下の文章は,主夫(結局は,主婦の場合も同じである)になろうとする学生に贈る私の餞(はなむけ)の文章です。


1 赤ん坊は世話を怠るとすぐに死ぬ 命を預かる仕事にとりかかろう


主夫の仕事は,主婦の仕事と同じと考えることにしましょう。つまり,家庭の運営に責任を持って,家事・育児に専念する仕事だと考えます。もちろん,すべてのカップルが子を儲けるわけではありませんが,子ができるということになったら,主夫または主婦が当然に,育児と家事とを引き受けなければなりません。その場合,最も過酷で消耗の多い仕事は,育児です。したがって,主夫の仕事を論じるに際して,この育児の仕事について説明することから始めることにしましょう。育児には,その他の仕事もすべて含まれているため,育児がこなせる主夫であれば,その他の家事も当然にこなせることになるからです。

主夫のしんどさは,育児に顕著に表れます。赤ん坊は,基本的に自立できていませんので,きちんと世話をしなければ,すぐに死んでしまいます。母親が母乳を豊富に出してくれる場合でも,最初の何日かは,ミルクの調合が必要ですし,母乳が出ない場合には,数時間ごとに規則正しくミルクの調合をし,オムツ替えをしなければなりません。育児に必要な品々をあらかじめ用意し,規則正しく,あるいは,赤ん坊の要求に応じて,昼夜を分かたず世話をしなければならないのです。「5〜7時間以上まとまった睡眠をとらないとやっていられない」という人は,この時点で,主夫業からリタイアせざるをえません。24時間態勢で人間の命を預かるというのが,育児の出発点であり,主夫ひとりで最初の育児をすることはほぼ不可能です。夫婦が協力しなければ成立しないのが最初の育児です。


2 24時間の臨戦態勢 再び赤ん坊時代を経験しよう


生まれたばかりの子は自然体で生活しますから,夜昼なしにミルクをくれと泣き,飲んだら眠って排泄するということを繰り返しますから,これにつきあっていると,主婦・主夫は,まとまった睡眠はできません。何かを計画してまとまった仕事をすることもできないわけで,ストレスがたまります。そうかといって,「子供は自然」ということを理解せず,大人に合わせさせようとすると,子供の性格をゆがめてしまったり,泣き止まなかったりするため,それ以上にストレスがたまります。サラリーマンは,過剰労働で過労死すると同情されますが,主婦・主夫は,それ以上の労働をしていても,同情されることはありません。

24時間の臨戦態勢を継続するためには,夫婦の協力が不可欠です(この時期は,専業主婦も専業主夫も成り立ちません)。さらに,自分にもこの時代があったのだという自覚が大切です。夫婦の協力と過去の自分を振り返ることによって,初めて,育児という,24時間態勢の過酷な労働を乗り切ることができるのです。

主夫をめざさない男性も,この時期は,仕事を休んで,育児に協力すべきです。育児の最初の時点で夫が参加の機会を失うと,夫は,常に妻の育児を受動的にサポートすることしかできなくなってしまいます。この時点で,夫が最初から育児に参加すると,妻もわからないことだらけなので,両者が協力しながら,育児のコツを双方が同時に習得することができ,夫も,妻とまったく平等な立場で育児を続けることが可能となります。世間では,出産に際して,立会いをしない夫,妻の里帰りを認める夫が多いのですが,そのような夫は,人生で最も大切なものを失うことに気づいていないといわざるを得ません。主夫を目指さない夫も,万難を排して,妻の出産あるいは退院から少なくとも1週間,できれば1ヶ月の間は,仕事を休んででも育児に参加すべきです。


3 大切なのは栄養学 健康維持のための食事を作る能力を身につけよう


育児にとって最も大切なことは,栄養学の知識です。体を作っていく過程にある子供にとって,バランスのいい食事こそが命の源です。母乳が出る場合でも,離乳期からはバランスのよい食事を与える必要があります。健康の元は食事にあることを実感できるのが,この育児期です。実際には,いくつになっても,健康の元は食事にあるのですが,ほとんどの大人は,このことを忘れ,無視し,結局,生活習慣病にかかって寿命を縮めているのが現状なのです。子供のために,この時期に栄養学を学んでおけば,一生,病気とは縁のない生活を送ることも不可能ではありません。

栄養学の知識のある人の特色は,安くて,おいしくて,栄養バランスの取れた食事を自分で作ることができる点にあります。安い食事,うまい食事は世の中に氾濫しています。しかし,栄養学的にバランスの取れた食事は,よほどの高級料理を除いて,外食でとることはほとんどできないというのが,現代日本の悲劇です。経済的で健康的な食事を作る能力が今ほど要求されている時代はありません。育児の過程で獲得する,栄養バランスの取れた離乳食を作れる能力は,子どもだけでなく,親自身の健康を左右する重大な能力でもあるのです。


4 心の栄養は心理学 怒ってはいけない


赤ちゃんを怒っても仕方がないことは自明です。しかし,子供が言うことを聞かない,泣き止まないといって怒ったり,しかったり,手を出す親が現実に存在するのは,人間が理性だけで行動しているわけではない証拠です。しかし,育児に際して,子供を怒ることは避けなければなりません。怒ってもいいことはないと自覚すべきです。子供が泣いているのは,理由があるのです。言葉を発することができない赤ん坊の要求をいち早く察知するには,育児書を精読し,子供の心理を理解した上で,その子の性格に合わせて,そのつど,泣く原因を確かめていく作業を怠ってはなりません。おなかがすいて泣いているのか,排泄したために泣いているのか,病気で泣いているのか,何かほかのことを要求して泣いているのか,甘えたいのか,そのことを瞬時に判断し,必要な行動をとったり,気分転換を図れば,子供は泣き止みます。

怒るのは人間の自然の姿であり,自分が何かに腹を立てるのは悪いことではありません。しかし,何かを達成する上で,他人を叱っても,何の効果もないばかりか,逆効果の方が大きいことを理解すべきです。特に,議論をする場合には,どんな意見が出されても,それに腹を立てると,自由な議論はできなくなってしまいます。

聖徳太子の「十七条の憲法」は,高等学校の教科書などでは大切な箇所がことごとく省略されていますが,私が一番重要だと思う箇所を引用しますので,真の意味での「和」の思想を味わってみてください。

第1条 調和があって和やかであることが望ましい。さからわないのが本筋である。人は皆派閥を組む,また,悟って秀でた者はほとんどいないのである。ということで(そういう人たちは)君主や父に従わず,隣人と仲違いする。けれども,上の者も調和をもって和やかに,下の者も睦まじく話し合えば,おのずから事の道理が通じ合い,どんなことでも成就するものである
第10条 心の怒りを絶ち,顔色に怒りを出さないようにし,人が自分と違うからといって怒らないようにせよ。人には皆それぞれ心があり,お互いに譲れないところもある。彼がよいと思うことを,自分はよくないと思ったり,自分が良いことだと思っても,彼の方は良くないと思ったりする。自分が聖者で,彼が愚者ということもない。ともに凡人なのである。是非の理は誰も定めることはできない。お互いに賢者でもあり愚者でもあることは,端のない環のようなものだ。ということで,相手が怒ったら,自分が過ちをしているのではないかと反省する。自分一人が正しいと思っても,衆人の意見も尊重し,その行なうところに従うがよい。

泣いたり,ぐずっている赤ん坊を上手にあやすことができるようになれば,その人は,人生においても,他人を怒ったり殴ったりせず,上手な人間関係を築けるようになります。


おわりに


このように考えてくると,主夫が育児をすることは生易しいことではありません。最初は妻と一緒にやるべきですが,コツをつかんだら,一人で育児を担当しなければなりません。24時間態勢で他人の命を預かり,同時に,家事もこなさなければなりません。睡眠時間はまともに取れず,緊急事態に備えて,常に,子供の行動を監視しておく必要があります。その上,子供が怪我をしたり,病気になると,ケアが十分でないと非難され,うまくいっても当たり前で,無償なのです。常識では成り立たないことを,主婦たちは,これまで,ずっと続けてきたのです。主夫になると,そのような不合理性を自ら引き受けることになるのですが,以上のような覚悟をしたうえで,引き受けるかどうか判断してください。

結論を述べれば,主婦も主夫も職業としては絶対に成り立ちません。24時間態勢の無償労働など論外だからです。つまるところ,家事と育児とは,夫婦が平等に負担すべきものなのです。そして,実は,2人でも,無理の多い過酷な作業なのです。社会的な支援体制を充実しなければならない理由がここにあります。

成り立たない職業をあえて選んだ人は,以上の点を理解した上で,社会のネットワークを広げつつ,孤立せずに主夫や主婦をやってみてください。この仕事をやり遂げた人は,人生で最も大切なスキルと哲学とを同時にマスターすることができるでしょう。

しかし,本来は,この仕事は,夫婦のどちらか一方に任せるべきではなく,二人でやり遂げるものであることを自覚すべきです。一方だけに人生で最もすばらしい仕事とその成果を独占させる理由はないからです。