2004年7月13日
名古屋大学大学院法学研究科教授 加賀山 茂
遺留分制度とは,共同相続人のうちの一定範囲の者に対して,被相続人の財産の一定割合について相続権を保障する制度である。遺言自由主義の下で,被相続人の意思とそれを不公平と感じる他の共同相続人との利害を調整し,個人の平等と自由を支える制度である。遺留分制度が必要かどうかについては,以下のような議論がある。
遺留分制度肯定派 | 遺留分制度否定派 | |
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生活保障 | 被相続人の財産処分の自由を前提にして,近親者である相続人の生活保障が必要である。 | 平均寿命の伸長している現在,子は親の相続の時には自立し壮年を過ぎており,子の生活保障の意味はない。また,配偶者に関しては,生活保障は,遺留分制度によってではなく,法定夫婦財産制の解釈やその改正によって解決すべき問題である。 |
財産形成への寄与 | 相続人の財産形成への協力の評価など,遺産に対する一定の規定を保護することが必要である。 | 配偶者の財産形成への評価は,法定夫婦財産制の解釈やその改正,および,寄与分によってなされるべきで,遺留分によって解決する必要はない。また,農業や自営業など共同経営の場合には,組合の規定の適用によって問題の解決がなされうるのであり,遺留分の規定は不要である。 |
相続人の平等の確保 | 農業など自営業についても相続の平等を一定程度確保する必要がある。また,老親の扶養にあたらなかった子にも一定割合を相続させる必要がある。そうでないと,長男に財産を集中させる遺言が多い現状において,家制度の復活を認めることになってしまう。 | 法定夫婦財産制の解釈とその改正を通じて,配偶者の共有持分が明確になれば,遺留分の規定は不要となる。また,子についても,家族が共用している財産について,法定の持分を与えることにすれば,遺留分の制度は不要となる。遺留分の制度の意味としては,共有持分の割合の最小限を法定し,各相続人の共有持分をそれ以下に抑えることを禁止するという機能を果たすものとして位置づけるだけで十分である。 |
以上のような議論があるにもかかわらず,現状において遺留分制度に意義が認められるのは,以下の理由に基づく。
相続分の算定と遺留分の算定において問題とすべき「相続財産」という概念は,民法の条文においても多義的に用いられている。そこで,ここでは,具体的相続分と遺留分の算定において,その基礎となる「相続財産」について,整理しておくことにしよう。
被相続人の権利義務の分類 | 被相続人の財産の具体例 | 承継関係 | ||
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「相続人の財産に属した一切の権利義務」 (896条) |
相続開始時に被相続人に属していた財産 (996条,997条の「相続財産」) |
共同相続の対象外 | 一身専属の権利義務 | 相続人に承継されない |
祭祀財産 | 祭祀承継者が承継 | |||
死亡退職金債権 | 受給権者が承継 | |||
共同相続の対象となる権利義務 (898条の「相続財産」) |
(−)非相続人への遺贈 | 受遺者が承継 | ||
(−)相続人への遺贈 | 受遺者が承継 | |||
土地建物,現金,預金等 | 相続人が相続によって承継 | |||
相続債権 | ||||
(−)相続債務 | ||||
相続開始後に被相続人に帰属する財産 | 生命侵害による損害賠償債権 | |||
(−)生命侵害による損害賠償債務 |
以下においては,相続財産とは,共同相続の対象となる相続財産のことをいうことにする。
民法903条は,特別受益者の具体的な相続分について算定方法を,また,民法904条は,寄与分がある場合の具体的な相続分について規定を置いている。その場合に算定の基礎となる「みなし相続財産額」と,遺留分の算定方法を定めた民法1029条において算定の基礎となる「遺留分算定の基礎となる財産」とは,以下のように,異なっている。
具体的な相続分の算定式 | 遺留分の算定式 | ||
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基礎となる相続財産額 | 特別受益 | 寄与分 | 遺留分の基礎となる財産額=相続開始時に被相続人が有した積極財産+被相続人が贈与した財産の価額(注)−被相続人の債務の全額 (注) 相続開始前の1年間になされたすべての贈与,および,1年前になされた贈与であっても遺留分権者に損害を加えることを知ってなされた贈与+共同相続人への特別受益 |
みなし相続財産=相続開始時の相続財産の価額+特別受益とみられる贈与の価額 | みなし相続財産=相続開始時の相続財産の価額−寄与分額 |
民法903条および民法904条の具体的な相続分の算定式においては,遺留分の基礎となる財産額とは異なり,相続債務が考慮されておらず,また,共同相続人以外への贈与も考慮されない。しかも,この算定式で計算した具体的相続分が,遺留分権をを害する場合には,遺留分者は,減殺請求をすることができるが,その場合に,誰の具体的な相続分が減殺されて,最終的な相続分がどのようになるのかは,結局のところ,遺留分の算定式で計算してみないとわからない。また,民法902条に基づいて,被相続人が,相続分の指定をしていた場合には,その指定は,共同相続人の遺留分を害することがでいないとされているし,民法903条3項に基づいて,被相続人が特別受益の持戻しの免除を行っていた場合にも,その意思表示は,遺留分権を害しない範囲でしか効力を生じない。さらに,寄与分の算定においても,判例は,遺留分を考慮して算定すべきであるとしている(東京高決平3・12・24判タ794号215頁)。
そうだとすると,具体的相続分の計算においては,遺留分を無視して計算して,それで終わりとするのではなく,相続分の計算と平行して,遺留分の算定を行い,遺留分の侵害が生じない範囲で具体相続分が配分されるような方法を模索するのが賢明であろう。
問題 相続人は,被相続人甲の生存配偶者乙と4人の子A,B,C,Dの5名である。現存遺産は4,000万円の積極財産のほかに相続債務が2,400万円あり,子Aには3,000万円,子Bには1,000万円の生前贈与がなされていたほか,乙に対しては,1,000万円の遺贈がなされていた。2つの贈与の日付は同日であったとする。相続人のうち,誰が,誰に対して,いかなる範囲で遺留分の減殺請求をなしうるか。
具体的相続分の算定方法 | 遺留分を考慮した具体的な相続分の算定方法 | |
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算定の基礎 | みなし相続財産額=相続財産の価額4,000万円+特別受益3,000万円+1,000万円=8,000万円 | 遺留分の基礎となる財産額=現存積極財産額4,000万円+加算されるべき贈与額(Aの特別受益3,000万円+Bの特別受益1,000万円)−債務額2,400万円=5,600万円 |
配分可能な遺産 | 正味の遺産額=遺産額4,000万円−遺贈額1,000万円=3,000万円 | |
遺留分と自由分の算定 |
全体の遺留分=5,600万円×遺留分率1/2=2,800万円 |
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各遺留分の算定 |
・乙の遺留分…全体の遺留分×配偶者の相続分率1/2=1,400万円 |
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相続分の抽象的算定 |
・乙の法定相続分…8,000万円×1/2=4,000万円 |
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具体的相続分の算定 |
・乙の具体的相続分…4,000万円−遺贈額1,000万円=3,000万円 |
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個別具体的相続分と債務負担額の同時確定 | 乙の具体的相続分3,000万円,CとDの相続分それぞれ1,000万円は,遺贈を除いた正味の遺産が3,000万円しかなく,債務が2,400万円あるため,具体的な相続分と債務負担は,抽象的な相続分の割合に応じて,以下のように配分されることになる。 ・乙の個別具体的相続分…3,000万円×3/5=1,800万円 ・乙の債務負担額…2,400万円×1/2=1,200万円 ・C,Dの個別具体的相続分…3,000万円×1/5=600万円 ・A,B,C,Dの債務負担額…2,4000万円×1/2×1/4=300万円 |
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遺留分侵害額の算定方法 | 遺留分侵害額=遺留分額−(相続によって得た財産額−相続債務負担額)−(特別受益の受贈額+遺贈額) | |
具体的な遺留分侵害額の算定 |
・乙の遺留分侵害額…遺留分額1,400万円−(相続によって得た財産額1,800万円−相続債務負担額1,200万円)−(特別受益の受贈額0円+遺贈額1,000万円)=-200万円 |
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結論 |
減殺の順序は遺贈,贈与の順なので(民法1033条),C,Dは,乙の遺贈1,000万円から,50万円ずつ,100万円を減殺請求できる。 |