作成:2010年4月26日
明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
物権的請求権について,通説は,以下のように説明している[我妻・有泉・コンメンタール(2009)]。(なお,斜体部分は,筆者が誤りだと思う箇所を示している。また〔 〕内の番号は,筆者が補ったものであ る)
〔1〕物権の内容の完全な実現が何らかの事情で妨げられている場合には,物権者は,その妨害を生じさせている地位にある者に対し て,その妨害を除去して物権内容の完全な実現を可能とする行為を請求することができる。たとえば,動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し,土 地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる。物権のこのような効力を,「物権的請求権」または「物上 請求権」という。民法は,占有についてこれを規定しているが (§§198〜200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていない。し かし,学説・判例は,所有権についてもこれを認め,その他の物権についても,それぞれの特質に応じて これに対応する請求権を認めるべきだとしている。
〔2〕その根拠は,つぎのように説かれる。そもそも,物権は目的物を直接に支配することを内容とするものであるから,その内容の 実現がなんびとかの支配内に存する事情によって妨げられている場合には,物権はその作用としてその侵害の排除を請求することができるとするのが,まさに法 律が物権を認めた趣旨に適合すると考えられる。条文上の根拠を考えれば,民法が一時的な支配権である 占有権についてさえこれを認め,また,占有の訴えの他 に本権の訴えなるものを認めている(§202参照)のは,本権すなわち占有権以外の,占有権より強力 な物権に基づく請求権を当然に予定するものであろう,と考えられる。
物権法の専門家による近時の論文(松岡久和「物権的請求権」大塚直=後藤巻則『要件事実論と民法学との対話』(2005)186頁)においても,物 権的請求権については,以下のような総括的な記述が見られる。
〔1〕物権的請求権については,法律に明文の根拠規定を欠くが, 微妙な表現の差異を度外視すれば,「物権の円満な物支配の状態が妨害され,またはそのおそれのある場合に,その相手方に対してあるべき物支配の状態の回 復,または妨害の予防措置を求める請求権である」という定義で見解がほぼ一致している。
〔2〕そして,現在も民法上の通説は,所有権に基づく返還請求権につき,物権か債権かを問わず被告が自己の占有を正当ならしめる 権原を有するときは,そもそも所有権に基づく返還請求権は発生しないと説いている[我妻・物権法(1983)263頁]。これは,不法占有が要件とされて いると表現することもできる。
しかし,通説によるこれらの説明には,以下のような4つの疑問点がある。
わが国の民法は,ドイツ民法とは異なり,所有権に基づくいわゆる物権的請求権(妨害排除・妨害予防・請求権を規定していない というのは本当だろうか。
そうではなかろう。なぜなら,上記の「動産の所有者は盗人に対してその返還を請求し」という点については,民法193条が,「占有物 が盗品…であるときは,被害者…は,…占有者に対してその物の回復を請求することができる」として,所有者に基づく返還請求権を明文で定めている([民法 理由書(1987)] は,民法193条の立法理由について「所有権保護の精神を全ふせり」として,所有権に基づく返還請求権の規定であることを明らかにしている)。したがっ て,上記の「所有権については何の規定も設けていない」という記述は明白な誤 りである。さらに,「土地の所有者は隣地から倒れてきた樹木の除去を請求することができる」という点についても,民法233条1項が,「隣 地の竹木の枝が境界線を越えるときは,その竹木の所有者に,その枝を切除させることができる」として,妨害の除去を明文で規定している。枝が隣地に張り出 している場合でさえ枝の除去を請求できるのであるから,樹木が倒れてきた場合に,民法233条1項を適用して,隣地の所有者に対して,所有権に基づいて樹 木の除去を請求できることは当然であろう。したがって,この点でも,上記の「所有権については何の規 定も設けていない」という記述は誤りである。
これほど明確な誤り(条文を見れば,誰でもわかるし,反論の余地のない誤り)が,何十年も指摘されることなく通説として認められ ているところに,わが国の法律学の権威主義的性質(東大と京大の教授の見解が一致している場合には,それが通説として尊重されるという風潮)が表れている といえよう。
このように,民法は,確かに,物権一般について「物権的請求権」なるものを認めてはいないが,所有権に基づく妨害予防請求権,妨害排除請求権,返還 請求権については,これを明文で定めている。
特に,相隣関係に関する規定である民法216条は,「…土地の所有者は,当該他の土地の所有者に,工作物の修繕若しくは障害の 除去をさせ,又は必要があるときは予防工事をさせることができる」と規定しており,所有権に基づく妨害排除請求権だけでなく,妨害 予防請求権をも明確に規定している。民法立法理由書[民法理由書(1987)249頁]によれば,民法216条の元となった旧民法財産編225条2項は, 「高地の所有者は,平常の疏通に復する為め,自費を以て必要の工事を為す権利を有す」というように,相手方に忍容義務を課すだけにしていたのであるが,現 行民法の立法者は,これを改め,「隣地の所有者をして修繕を為さしむる〔相手方に対する行為請求権〕を本即とし,若し,隣 地の所有者にして其義務を尽さざるときは履行の方法として,債権者自ら修繕の行為を為し,債務者をして其費用を償はしむることを債権者に於て規定 すべし」 として,民法216条を所有権に基づく請求権の性質を忍容請求権ではなく,行為請求権として規定し,しかも,費用負担も債務者負担であると考えていたこと が明らかである。
先に述べた,民法233条1項の「竹木の枝の切除請求権」も,さらには,民法234条,235条の「境界線付近の建築制限」も,民法237 条,238条の「境界付近の掘削の制限」も所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権の規定にほかならない。さらに,相隣関係の最初の規定である民法209 条は,「土地の所有者は,境界又はその付近において障壁又は建物を築造し又は修繕するため必要な範囲内で,隣地の使用を請求することができる」と規定して いるが,これは,妨害予防の観点から,所有権に基づく「忍容請求権」を認めた規定である。民法210条〜213条の「囲繞地通行権」の規定も,袋地所有者 にする所有権に基づく忍容請求権の規定である。民法214条の自然水流に対する妨害の禁止も,民法215条の水流に関する工作物の修繕工事権も,いずれ も,所有権に基づく忍容請求権を認めたものである。
その上,先に述べたように,民法193条は,「被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対してその物の回復を請求することができ る」と規定しているが,これは,所有権に基づく返還請求権を認めたものに他ならない。
このように考えると,民法は,一般的な「物権的請求権」を規定していないだけであって,占有訴権(民法197条〜202条)だけでなく,物権本権で ある所有権に基づく妨害予防請求権・排除請求権(民法216条,233条1項,235条),返還請求権(民法193条)を明文で定めている。そもそも物権 すべてに認められる「一般的物権的請求権」など存在しないし,それに関する規定はその必要性も存在しない。むしろ,一般的な物権的請求権を認めることは, 後に述べるように,抵当権者による濫用が危惧されるのであり,賃借人の保護の観点からは危険ですらある。民法は,具体的には,様々な箇所で,所有権に基づ く妨害予防請求権,妨害排除請求権,返還請求権の外,いわゆる物権的請求権の議論の中で話題となる侵害行為の忍容請求権(民法209条,210条〜215 条,221条,223条,225条,233条2項),不作為請求権(民法218条〜219条,234条,236条〜238条)についても物権本権に基づく 請求権として明文で定めている。つまり,いわゆる「物権的請求権」に関して,民法の規定には,「法の欠缺」など存在しないのである。
「民法は,占有について物権的請求権を規定しているが(§§198〜200),その他の物権,ことに所有権については何の規定も設けていない」とい う通説の主張が誤りであることは,民法に所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権が明文で定められていることからも,明らかである。
民法が明文で規定している所有権に基づく妨害予防,妨害排除請求権(本権に基づく請求権)を,所有者の作為義務,不作為義務,受忍義務という観点か ら分類して一覧表にまとめると,以下の表のようになる。
民法に規定された所有権に基づく妨害予防・妨害排除請求権(本権に基づく請求権)
土地所有者の義務の態様 | 根拠条文 | ||
---|---|---|---|
土地所有者の義務 (相手方の妨害予防・妨害排除請求権) |
作為義務 (安全,環境,プライバシィ保護) |
接道義務 | 建築基準法43条1項 |
損害予防のための工事義務 | 民法216条 | ||
目隠し設置義務 | 民法235条 | ||
不作為義務 (妨害予防・禁止) |
雨水直接排水禁止 | 民法218条 | |
水路・幅員変更禁止 | 民法219条1項 | ||
枝の切除禁止 | 民法233条 | ||
近傍工作物の距離保持義務 | 民法234条,236-238条 | ||
受忍義務 (土地の有効利用のための 法定の共同利用権) |
立ち入り受忍義務 | 民法209条 | |
囲繞地通行受忍義務 | 民法210-213条 | ||
排水流入受忍(承水)義務 | 民法214条 | ||
水流疎通工事受忍義務 | 民法215条 | ||
工作物利用受忍義務 | 民法221条 | ||
境界標識設置受忍義務 | 民法223条 | ||
境界囲障設置受忍義務 | 民法225条 | ||
根の切り取り受忍義務 | 民法233条 |
なお,所有権に基づく返還請求権については,先に述べたように,民法193条が,「被害者又は遺失者は,盗難又は遺失の時から2年間,占有者に対し てその物の回復を請求することができる」と規定している。このことから,民法は,本権に基づく請求権として,所有権に基づく妨害予防請求権,妨害排除請求 権,返還請求権のすべてについて,明文の規定を設けており,わが国の民法には,物権本権に基づく「物権的請求権」の規定を欠いているという主張は,根拠の ないデマに過ぎないことが明らかとなったと思われる(加賀山説)。
民法には,所有権に基づく物権的請求権が存在しないという通説の見解が誤りであることが明らかとなった。それでは,所有権に基づく請求権以外に,すべての物権に認められる一般的な概念としての物権的請求権という概念は必要なのであろうか。
通説は,ドイツ民法には,物権的請求権に関する一般的な規定があるとしているが,ドイツ民法においても,明文の規定があるのは,所有権に基づく請求権であって,物権的請求権ではない。そして,質権には所有権に基づく請求権(返還請求権,妨害除去請求権)が準用されているが,抵当権には,妨害除去請求権だけが認められており,所有権に基づく請求権がすべて認められているわけではない。
わが国の民法においては,物権のうち,所有権に基づく請求権は,先に述べたように,明文で認められている。しかし,物権のうち,留置権には,本権に基づく請求権は認められておらず(民法302条),先取特権も追及効が否定されており(民法333条),動産質においても,本権に基づく請求権は否定されている(民法353条)。
そうだとすると,すべての物権に共通に認められる概念としての物権的請求権という概念は不要であるということになる。なぜなら,わが国の民法においては,物件の中でも,留置権,先取特権,動産質権については,いわゆる物権的請求権が明文で否定されており,物権すべてに通用する物権的請求権という概念は,そもそも認められないからである。
旧民法財産編第36条には,所有権に基づく請求権について,以下のような規定が置かれていた。
旧民法 財産編 第36条
@所有者其物の占有を妨げられ又は奪はれたるときは,所持者に対し本権訴権を行ふことを得。但動産及び不動産の時効に関し証拠編に 記載したるものは此限に在らず
A又所有者は第199条乃至第212条に定めたる規則に従ひ,占有に関する訴権を行ふことを得。
この規定が現行民法の作成の過程で削除された理由は,以下の通りである。
(理由)同編第36条の規定は占有権及ひ時効に関する規定に因りて自から明かなるが故に,亦之を削除せり。
つまり,民法において,所有権に基づく請求権(本権の訴え)の規定が削除されたのは,それが,否定されたわけではなく,所有者が所有権に基づく請求 権を有することも,所有者も当然に占有訴権を利用できることは,当然であり,わざわざ規定する必要がないとして,規定されなかったのである。
ドイツ民法における物権的請求権に関する規定のうち,主要な部分について,紹介しておく。なお,わが国の要件事実論は,この条文に基づき,この条文 に忠実に構成されている。条文に忠実なことを売り物にしている要件事実論が,わが国に条文がないとしながらも物権的請求権についての要件事実論を気軽に展 開しているのは,占有による権利適法の推定(民法188条)と矛盾するドイツ民法の以下の条文をわが国の条文であるかのように,そのまま利用しているから である。
ドイツ民法典 第3編 物権 第3章 物権 第4節 所有権に基づく請求権(§985〜§1007 BGB)
§985(所有者の返還請求権(Herausgabeanspruch))
所有者は物の占有者に対してその物の返還を請求することができる。
§986(占有者の抗弁(Einwendung des Besitzers))
@占有者又はその占有者に占有権を与えた間接占有者のいずれかが,所有者に対して占有権原を有している場合には,占有者は,所有者からの物の返還請求を 拒絶することができる。(以下略)
§1004(侵害除去及び差止請求権(Beseitigungs- und Unterlassungsanspuruch))
@所有権が占有の侵奪もしくは不当な留置以外の方法によって侵害されているときは,所有者は侵害者に対して,侵害の除去を請求することができる。引き続 き侵害のおそれがあるときは,その差止めを請求することができる。
A所有者が侵害を忍容する義務がある場合には,前項の請求権は排除される。
このようなドイツ民法の規定は,証明責任の観点から見ると,あまりにも所有者に有利な規定であるため,これを額面通りに受け取り,所有権に基づく請 求権を妨げる原因の証明を被告に負担させるというのは問題である。なぜなら,わが国の民法においては,占有者は,民法188条によって,すべての占有者は 権利適法の推定を享受している。これは,所有権の証明が悪魔の証明として困難を極めるため,占有者にその証明を免除しているからである。したがって,占有 者が所有権を主張する者から占有を脅かされた場合には,ドイツ民法とは逆に,所有権を主張する者において,占有者が正権原を有しないことを証明すべきであ る。この点について,わが国の通説を代表する我妻説が,「所有権に基づく返還請求権につき,物権か債権かを問わず被告が自己の占有を正当ならしめる権原を 有するときは,そもそも所有権に基づく返還請求権は発生しない」としていることは,重要な意味を有しているといえよう。
このように考えると,わが国における要件事実論は,条文に忠実であることを売り物にしつつ,条文の根拠なしに,物権的請求権なる抽象的な権利を想定 している点で問題があるばかりでなく,所有権に基づく返還請求(たとえば,建物引渡請求,または土地明渡請求)において,所有者に占有権原が適法でないこ との立証責任を負わせるのではなく,民法188条によって正権原が推定されている占有者に対して,抗弁として,正権原があることについて立証責任を負わせ ている点で,完全に誤っており,全面的な見直しが必要であろう。
わが国においては,いわゆる物権的請求権が発生するのは,契約関係のない相隣関係が存在する場合に限定されるのであり,返還請求権については,不当 利得の返還請求権の場合と同様に,民法188条,民法200条に即して,ドイツ民法985条と986条との関係を裏返し,占有が法律上の原因に基づかない ことの証明を原告に負担させるのが妥当である。また,妨害排除・妨害予防請求権については,民法188条,198条,199条に即して,ドイツ民法 1004条と同様に,原告に忍容義務があることを被告に証明させるのが妥当である。
これを条文の形で表現するとすれば,以下のような構成となろう。
所有権に基づく返還請求権
所有者が自己の物を奪われたときは,所有者は,侵奪者に対してその物の返還を請求することができる。侵奪者の特定承継人に対しては,その占有が法律上の 原因に基づかないことを所有者が証明した場合に限り,その物の返還を請求することができる。
所有権に基づく妨害排除・妨害予防請求権
所有権が侵奪以外の方法で妨害されている場合には,所有者は,妨害の排除及び損害の賠償を請求することができる。引き続き妨害のおそれがあるときは,所 有者は,その妨害の予防および損害賠償の担保を請求することもできる。ただし,いずれの場合においても,所有者に妨害を忍容すべき義務がある場合はこの限 りでない。
占有権を伴う物権以外に,占有を伴わない物権(たとえば先取特権,抵当権)に物権的請求権を認めるべきだろうか。
前記のように,わが国の民法の下では,占有を伴う物権(物権本権),特に,所有権については,占有訴権が利用できるばかりでなく,相隣関係の規定に おいて,所有権に基づく妨害排除・予防・忍容・不作為・返還請求権が認められている。つまり,所有権に基づくいわゆる物権的請求権は具体的な権利として, 民法に明文をもって規定されているのである。
所有権以外の物権にも物権的請求権が当然に認められるというのが,通説の考え方であるが,たとえば,物権とされている留置権,質権には,占有訴権以 外の請求権は認められていない(民法302条,353条)。そして,これらの権利に占有訴権以外の物権的請求権を認めるべきだという見解は存在しない。つ まり,物権の中でも,占有訴権しか認めれていない物権が存在しており,それは,それなりに理由があって,問題とはされていないのである。むしろ,最後に述 べるように,占有を伴わない権利に過ぎない一般先取特権や抵当権に物権的請求権(特に,返還請求権)を認めることの方が問題ではないだろうか。
物権的請求権を明文で認めているとされるドイツ民法においても,質権と抵当権では,その扱いが厳密に区別されている。占有を伴う質権の場合には,ド イツ民法1227条は,「質権者の権利が侵害された場合には,質権者の請求権については,所有権に基づく請求権に関する規定を準用する」として,質権者に 返還請求権と妨害排除・妨害予防請求権を認めている。
§1227BGB(質権の保護)
質権者の権利が侵害されたときは,質権者の請求権については,所有権に基づく請求権に関する規定を準用する。
これに反して,占有を伴わない抵当権の場合には,ドイツ民法1133条,1134条は,抵当権者に妨害予防・妨害排除請求権のみを与え,返還請求権 は認めていない。
§1133BGB(抵当権の担保の侵害)
土地の損傷により抵当権の担保が害されたときは,債権者は所有者に対して相当の期間を定めて危険を除去させることができる。債権者はその期間が経過した ときは直ちにその土地から弁済を受ける権利を有する。ただし,土地の修復又は他の抵当権設定(増担保)によって危険が除去されたときはこの限りでな い。(以下略)
§1134BGB(妨害停止の訴え)
@土地所有者又は第三者が土地を損傷し抵当権の担保を害する恐れがある方法によって土地に侵入したときは,債権者はその停止を請求することができる。
A所有者が前項の侵入を始めたときは,裁判所は債権者の申請により,危険の防止に必要な措置を命ずることができる。所有者が第三者の侵入その他の侵害行 為に対して必要な予防を怠ることによって損傷を生じる恐れがある場合も同様である。
通説が,本権に比べて「占有権が一時的な支配権である」というのは,賃借権(借地権を含む)に基づく占有権を考えれば,偏見 ではないだろうか。そもそも,占有権を物権だと考え,占有権に占有訴権があるなら物権本権にも物権的請求権が認められるべきだという発想自体に問題がない だろうか。
占有権は物権,債権を問わず,本権を取得・証明・保護するものである。したがって,本権の訴えを拡張したいのであれば,物権に限らず,占有を伴う本 権(所有権,賃借権等)にも妨害予防・妨害排除・返還請求権が認められるべきであるという方向,すなわち,物権にこだわらない方向での主張をすべきであ る。なぜなら,判例(最二判昭28・12・18民集7巻12号1515頁)も,第三者に対抗できる借地権を有する者は,その土地に建物を建ててこれを使用 する者に対し,直接その返還を請求することができるとしているからである。
民法202条に規定されているように,占有訴権以外に本権の訴え(賃借権のように債権からも発生するので,物権的請求権とい う名称が的確かどうかは慎重に判断されるべきである)が認められるべきことは当然である。しかし,以下の2点に注意すべきである。
第1点は,所有権(占有を根拠づける本権としての物権)に妨害予防・妨害排除・返還請求権を認めることは当然であ るが,その内容は,占有訴権(妨害排除・妨害予防,返還請求権)の範囲内にとどめるべきである。占有訴権の内容を逸脱し,賃借人を追い出すための,所有者 の側からの建物収去(土地明渡)請求権を安易に認めることは問題である。なぜなら,民法616条によって賃貸借に準用される民法598条においては,「借 主は,借用物を原状に復して,これに付属させた物を収去することができる」と規定しており,賃貸人の権利ではなく,賃借人の権利として,建物収去権を規定 している。また,これを受けて,借地借家法13条は,建物の収去を望まない借地人のために,賃貸人に対する建物買取請求権を認めている。すなわち,賃貸借 の終了の際に,賃借人に対して建物収去義務を認めているわけではない。したがって,物権的請求権の名の下に,賃借人に対する所有者からの一方的な建物収去 権を安易に認めるべきではない。
第2点は,占有を伴わない物権(たとえば,先取特権,抵当権)に安易に物権的請求権を認めるべきではない。占有を 伴わない先取特権や抵当権に返還請求権を認めること(最一判平17・3・10民集59巻2号356頁)は,明らかに行き過ぎである。
わが国には占有訴権の規定はあるが,一般的な物権的請求権の規定は存在しない。しかし,占有訴権に対応する本権の訴え(本権に基づく請求権)は,相 隣関係の規定を中心に具体的な規定が多数存在する。したがって,ドイツ民法を参考にして,物権本権に基づく請求権以外に,一般的な「物権的請求権」を認め るべきであるという通説の考え方は,つぎの理由で,完全に誤っていることがわかる。
民法には,占有に裏付けられた物権「本権の訴え」が,相隣関係の規定を中心にして多数存在する。その代表的な規定である 民法211条以下の規定(囲繞地通行権)には,費用負担のあり方を含めて,それらの本権に基づく請求権は,「必要であり,かつ,他の 土地のために損害が最小限のもの」でなければならないという考慮の下に妨害予防,妨害排除の規定が詳細に規定されている。したがって,「物権本権 に基づく請求権」としてのいわゆる「物権的請求権」がわが国の民法には規定されていないというのは,全くのデマである。
物権的請求権は,債権的請求権とは異なり,消滅時効にかかることはないという命題は,今では,疑いの余地がないように思われている。しかし,本件の事実関 係を見ると,上に述べたように,契約関係のない当事者間で生じた典型的な物権的請求権の事案ではなく,当事者間に契約関係類似の婚姻予約の関係があり,そ の関係が解除された場合の書状の返還請求事件である。そうすると,本件の事案は,純粋な物権的請求権の問題ではなく,むしろ,契約解除に基づく返還請求権 の問題であって,10年の消滅時効にかかっても不思議のない事件であることがわかる。したがって,本件の事案から,抽象的な法命題(物権的請求権は消滅時 効にかからない)を帰結することは,個別事案の妥当性から考えても,また,それを抽象化することについても,疑問があるといえよう。
大審院大正5年6月23日判決 民録22輯 1161頁
本件は,X(原告,控訴人,上告人)・Y(被告,被控訴人,被上告人)間で婚姻予約が成立し,XがYに対して結納を送り,婚姻の儀式の日取りも決まったに もかかわらず,Yが正当な理由なしに違約したとして,XからXに対して婚姻予約の不当破棄に対する損害賠償を求めるとともに,Yが所持する書状4通につい て,Xが所有権に基づいてその返還を求めた事案である。
2審は,本件書状のXによる返還請求権につき,債権に関する規定が適用されるとし,その請求権は債権に関する消滅時効によって消滅したとして,Xの請求を 棄却した。そこで,Xが上告した。
破棄差戻し。
所有権に基く所有物の返還請求権は其所有権の一作用にして,之より発生する独立の権利に非ざるを以て所有権自体と同じく消滅時効に因りて消滅するこ となしと云はざるを得ず。本件の事実は原裁判所の確定する所に依れば,上告人が其所有に属する書状四通の返還を被上告人に訴求するに在ることは判文上明瞭 なり。
然らば,上告人の右書状の返還請求権は前示の法則に徴し消滅時効に因りて消滅することなきに拘はらず,原裁判所は事茲に出でずして右書状の返還請求 権に付き,債権に関する規定の適用あるものとし其請求権は債権に関する消滅時効に因りて消滅したるものと認め,上告人敗訴の判決を為したるは違法にして, 其判決は破毀を免がれざるものとす。
本判決は,物権的請求権(妨害排除請求権,妨害予防請求権,物権に基づく返還請求権)は,債権的請求権とは異なり,消滅時効にかからないことを明らかにし たものとして,わが国の民法解釈論上,不動の地位を占めている。債権的請求とは異なり,物権的請求権の場合には,なぜ消滅時効にかからないのかについて は,物権的請求権は消滅時効にかからない物権から派生する権利であるからというのが本判決の考え方であるが,物権的請求権の独立性を認めつつ,それは,物 権から継続的に生じる権利であるために消滅時効にかからないとする説も有力に主張されている。
物権的請求権と対比される占有訴権についても,消滅時効が存在するように,本権の訴えであるいわゆる物権的請求権にも消滅時効が存在すると考えても 背理ではない。
占有訴権の場合にも,「妨害が存する間」は,消滅時効が進行しない(民法201条1項)。また,「占有保全の訴えは,妨害の危険の存する間は,提起 することができる」(民法201条2項)。本権の訴えとしてのいわゆる所有権に基づく妨害排除,・妨害予防請求権についても,妨害が生じている間,また は,妨害の恐れがある間は,継続的に妨害排除・妨害予防請求権が生じているのであり,たとえ,消滅時効,いつまでも,本権の訴えを提起できるのである。
すべての物権に,占有訴権以外の「物権的請求権」を認めるべきであるという議論は,危険な抽象化であって,否定されるべ きである。なぜなら,第1に,所有権においてさえ,物権的請求権を安易に認めることは,先に述べたように,賃借人の権利を考慮して,慎重でなければならな い。第2に,所有権以外の物権については,たとえば,留置権や動産質権の場合には,本権の訴えを認める必要がないのであり(民法302条,353条),机 上の空論に過ぎない。第3に,占有訴権に対応する本権の訴えに関しては,判例によって,賃借権に基づく妨害排除請求が認められており,これは明らかに物権 から生じる「物権的請求権」ではなく,「本権に基づく請求権」というべきであろう。さらに,物権的請求権と債権的請求権とを区別する際に強調される「物権 的請求権だから消滅時効にかからない」というテーゼも,そのリーディングケース(大判院大5・6・23民録22輯1161頁)をよく検討してみると,解除 による原状回復請求権の事件に他ならず,この場合は,「物権的請求権」であっても,消滅時効を認めても何ら差し支えない事案であったことに 注意しなければならない。第4に,本権としての「物権的請求権」を認める場合でも,契約法の規定(たとえば,民法616条で準用される598条,借地借家 法13条参照)を破るような強い効力を認めるべきではないという点が強調されるべきであろう。