(参考)新潟地判昭46・9・29下民集22巻9・10号別冊1頁
判時642号96頁,判タ267号99頁


本件中毒症の原因
1 ところで、不法行為に基づく損害賠償事件においては、被害者の蒙つた損害の発生と加害行為との因果関係の立証責任は被害者にあるとされているところ、いわゆる公害事件(ここでは、便宜、公害対策基本法第2条にいう定義を用いる。以下同じ。)においては、被害者が公害に係る被害とその加害行為との因果関係について、因果の環の一つ一つにつき、逐次自然科学的な解明をすることは、極めて困難な場合が多いと考えられる。特に化学工業に関係する企業の事業活動により排出される化学物質によつて、多数の住民に疾患等を惹起させる公害(以下「化学公害」という。)などでは、後記のところから明らかなように、その争点のすべてにわたつて高度の自然科学上の知識を必須とするものである以上、被害者に右の科学的解明を要求することは、民事裁判による被害者救済の途を全く閉ざす結果になりかねない。
けだし、右の場合、因果関係論で問題となる点は、通常の場合、1 被害疾患の特性とその原因(病因)物質2 原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路)3 加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)であると考えられる。
ところで、1については、被害者側において、臨床、病理、疫学等の医学関係の専門家の協力を得ることにより、これを医学的に解明することは可能であるとしても、前記一に認定したような熊本の水俣病の例が端的に示しているように、そのためには、相当数の患者が発生し、かつ、多くの犠牲者とこれが剖検例が得られなければ、明らかにならないことが多く、2については、企業からの排出物質が色とか臭いなどにより外観上確認できるものならばいざ知らず、化学物質には全く外観上確認できないものが多いため、当該企業関係者以外の者が排出物の種類、性質、量などを正確に知ることは至難であるばかりでなく、これが被害者に到達するまでには、自然現象その他の複雑な要因も関係してくるから、その汚染経路を被害者や第三者は、通常の場合、知り得ないといえよう(こうした目に見えない汚染に不特定多数の人が曝らされ、しらずしらずのうちに健康を蝕まれ、被害を受ける、というのが、むしろこの種公害の特質ともいえよう。)。そして、3にいたつては、加害企業の「企業秘密」の故をもつて全く対外的に公開されないのが通常であり、国などの行政機関においてすら企業側の全面的な協力が得られない限り、立入り調査をして試料採取することなどはできず、いわんや権力の一かけらももたない一般住民である被害者が、右立入り等をすることによりこれを科学的に解明することは、不可能に近いともいえよう。加えて、この種公害の被害者は、一般的にいつて加害者と交替できる立場にはなく、加害企業が「企業秘密」を解かぬ以上、その内容を永遠に解き得ない立場にある。一方、これに反し、加害企業は、多くの場合、極言すると、生成、排出のメカニズムにつき排他的独占的な知識を有しており、3については、企業内の技術者をもつて容易に立証し、その真実を明らかにすることができる立場にある。
以上からすると、本件のような化学公害事件においては、被害者に対し自然科学的な解明までを求めることは、不法行為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当ではなく、前記1、2については、その状況証拠の積み重ねにより、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明ができれば、法的因果関係の面ではその証明があつたものと解すべきであり、右程度の1、2の立証がなされて、汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合、3については、むしろ企業側において、自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的因果関係が立証されたものと解すべきである。
2 今、これを本件についてみると、本件中毒症は、すでに認定のような臨床、病理、動物実験等の研究結果により、水俣病と呼ばれる低級アルキル水銀中毒症であつて、その病因物質は低級アルキル水銀、特にメチル水銀であることは科学的にも明らかにされているから、前記1については立証はつくされており
2については、患者らが阿賀野川河口に棲むメチル水銀で汚染された川魚を多量に摂食したことが原因であることは明らかにされたものの、その川魚汚染の原因については、科学的に充分解明されたとは解し得ないうらみがあるが、原告ら主張の工場排液説において、鹿瀬工場がアセトアルデヒド製造工程の廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けていたこと、鹿瀬工場アセトアルデヒド反応系施設および工場排水口付近の水苔からいずれもメチル水銀化合物ないしその可能性が極めて大きい物質が検出されたこと、食物連鎖による濃縮蓄積により、超稀薄濃度汚染から川魚に高濃度の汚染をもたらすことがありうること、上流の汚染有機物(浮遊物)等は、下流、特に河口感潮帯に沈積し易いともいえることなどが立証され、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様との関係も、説明が容易でない現象も一部にはあるとしても、関係諸科学との関連においてもすべて矛盾なく説明できるのであるから、前記1に説示した程度の立証はあつたものと解すべきである。他方、被告主張の農薬説は、塩水楔による汚染経路の可能性しか残らないところ、それ自体にも科学的な疑問点が少なくないばかりではなく、関係諸科学との関連において、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様と矛盾し、説明のつかない点もあり、また、農薬説で立証された事実も、工場排液説の成立を妨げるものではない。
そして、前記3については、被告は、鹿瀬工場におけるメチル水銀の生成、流出を否定することができなかつたばかりではなく、かえつてその生成、流出の理論的可能性は肯定され、あまつさえ、前記のとおり工場内および排水口付近の水苔よりメチル水銀化合物ないしはその可能性が極めて大きい物質が検出されたことが証明されているから、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において、メチル水銀化合物が生成、流出され、工場排水とともに阿賀野川に放出されていたものと推認せざるを得ない
以上からして、被告が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生じた廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けたことと本件中毒症の発生とは、法的因果関係が存在するものと判断すべきである。
なお、前記因果関係論が加害企業に対して酷を強いるものでないことは、本件におけるつぎの指摘からみても明らかであろう。すなわち、すでに再三指摘したように、被告は、鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程関係の製造工程図を焼却し、反応系施設、反応液等から試料を採取する等して資料を保存することなく、プラントを完全に撤去してしまつている。被告が本件の因果関係の存否の立証に、一企業としては他に例を見ない程、人的、物的設備を動員し、これに莫大な費用を投じていることは、弁論の全趣旨から明らかである。
しかし、被告は前記資料を廃棄等する以前、すでに鹿瀬工場が本件中毒症の汚染源として疑われていることを承知していたのであるから、これが疑惑を解くため、前記資料等を保存してさえおけば(これが容易であることは多言を要しない)、これを証拠資料として提出することができ、その場合は、前記因果関係論にしたがつても、3について容易に立証でき、もし真実が被告主張のとおりであるとすれば、右因果関係の存在をたやすく覆すことができたものと思われる。
3 要するに、本件中毒症は、被告鹿瀬工場の事業活動により継続的にメチル水銀を含んだ工場排水が阿賀野川に放出され、同川を汚染して同川に棲息している川魚を汚染し、この汚染川魚を多量に摂食した沿岸住民に惹起させたアルキル水銀中毒症であり、原因出所を含めた水俣病に類似するものとして、第二の水俣病と呼称するのも差し支えないといえる。