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7/32 過失とは何か?(「法と経済学」による)

【テロップ】
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【ノート】
民事責任は,過失責任といわれているように,過失が最も重要な役割を果たしています。 ■それでは,過失とは何でしょうか? ■従来の法律学では,過失とは,故意と同じように人間の内心の状況と捉え,内心が緊張感を欠いていること,すなわち,「ぼんやりとしている状態」と考えていました。 ■しかし,これでは,故意と同じく,被害者が加害者の過失を証明することが困難であるため,「するべきことをしないこと」すなわち,注意義務違反であると考えるようになりました。 ■そのときの状態に応じて,他人の損害を加えないようにする不法行為上の注意義務を設定し,それを怠ることをもって,過失と考えるのです。 ■この考え方は,現在の通説ですが,問題点がないわけではありません。 ■この考え方では,「相当の注意をする」といっても,「どの程度の注意をすれば,過失ではなくなるのか?」という定量的な問いには答えることができません。 ■そこで,ここでは,「法と経済学」の知見によって,過失を定量的に表現することにします。 過失が何かを考えるに際して,「法と経済学」では,注意の費用,損害の期待値,その合計としての社会費用の三つの概念を準備します。 ■第1は,注意の費用です。 ■損害を防止するためには注意をしますが,損害防止のためには,その費用がかかります。 注意をすればするほど費用はかかりますから注意の費用のグラフは,右上がりの直線となります。 ■第2は,注意の費用をかけることによって,現象が期待できる損害発生の期待値です。 ■費用をかければ,他人に生じる損害は減少しますが,どんなに費用をかけたとしても,損害をゼロにすることはできません。 ■注意の費用を増加させると,それに応じて損害の期待値は,相対的な比率で減少するに過ぎません。 したがって,損害の期待値のグラフは,右下がりの曲線になります。 ■第3は,注意の費用と損害の期待値を合計した社会費用のグラフです。■ 合計した社会費用のグラフは,凹のグラフ,言い換えれば,下に凸の曲線になります。 ■以上の作業を通じて描かれた社会的費用が極小となる点(すなわち,社会的費用関数を微分してゼロとなる点)を下に下ろした注意の量が,過失があるか,過失がないかの臨界点を示すことになります。 この注意の量よりも少ない注意をした場合には,過失があると判断されます。 ■過失があると判断された場合には,社会的費用に該当する損害賠償額を支払う義務を負うことになります。■ 反対に,この注意の量よりも多い注意をした場合には,過失がない,すなわち,無過失であるということになります。 ■過失責任主義のもとでは,このような相当の注意をしたヒトは,損害賠償責任を負いません。直線のグラフの費用だけを負担することで済みます。 ■過失責任主義は,民事責任の根本原理です。この原理は,人々に以下のような行動基準で行動することを求めています。■ 行動基準: 必要なことはしてよい。しかし,損害を最小にするような注意を払うべきである(民法211条1項)。 ■この行動基準を明確に示している民法211条1項については,つぎに詳しく説明します。