私法判例リマークス38号(2009)


3 勤務医の加重業務に起因するうつ病による過労自殺と病院の安全配慮義務違反

大阪地判平19・5・28,判時1988号47頁−一部認容,一部棄却(控訴)

(明治学院大学教授)加賀山 茂(かがやま・しげる)


[判決のポイント]

[事案]

一 Aの経歴と自殺 Aは,平成13年3月,E大学医学部を卒業し,その後,同年5月,医師国家試験に合格し,平成14年1月から後記の死亡に至るまで,Y病院において研修医として勤務し,麻酔科の麻酔医として医師業務に従事していた。そして,Aは,平成16年1月13日,Y病院内において,麻酔薬を静脈内に注射する方法により自殺した。

二 Aの業務の過重性 Y病院におけるAの業務は,拘束時間が長時間に及ぶものであり,処置の当否如何によっては患者の生命,身体に重大な結果をもたらすおそれがあるため,精神的緊張を強いられるものであった。そして,Aはいまだ経験が浅く,経験を積んだ麻酔科医には軽易と思われる業務であっても負担を感じることがあり,また,勤務時間外でも緊急手術等のために呼び出しを受ける可能性があるため,時間的に制約を受けるだけでなく心理的にも完全に解放されることがないなど,執務外における負担も決して小さいものではなかった。

三 うつ病と既往症との複合原因 Aにおいて,てんかんに罹患していたことがうつ病発症にかなり影響していた。すなわち,Aのてんかんの罹患あるいはてんかん発作により思いどおりに業務ができないことへの苛立ちや嫌悪感といったものがうつ病発症にかなり影響していたのであり,Y病院における業務のみによってうつ病に罹患したとはいえない。

四 Aの自殺と業務との間の因果関係 Aが自殺した理由については,遺書は残されておらず,定かではない面があるものの,自殺に至るまでの経緯からすると,Aは,うつ病が悪化し,てんかん発作も出現するなどして,自分の思うように業務ができなかったところ,仕事熱心で自分自身に対する要求水準が高い性格もあって,将来に対する絶望感から自殺するに至ったものと推認することができる。そうすると,被告病院における業務がAの自殺の主要な要因になっていたということができ,被告病院における業務とAの自殺との間には,相当因果関係がある。

[判旨]

一 安全配慮義務違反 一般に,使用者は,従業員との間の雇用契約上の信義則に基づき,従業員の生命,身体及び健康を危険から保護するように配慮すべき義務(安全配慮義務)を負い,その具体的内容として,労働時間,休憩時間,休日,休憩場所等について適正な労働条件を確保した上,労働者の年齢,健康状態等に応じて従事する作業時間及び内容の軽減,就労場所の変更等適切な措置を執るべき義務を負うところ,AはY病院において麻酔科医として勤務していたのであるから,Y病院は,Aに対し,前記義務を負っていた。そして,Y病院におけるAの業務は,労働時間の質量ともに決して軽いものではなく,B医師は,Aのうつ病の症状が悪化していると認識し,遅くとも平成15年11月ころには,Y病院における業務を継続させることは困難であると考えるに至りY病院長においても,同年12月までには,AをY病院において勤務させるのは困難であるとの考えからAを異動させる方針を固めていたのであるから,Y病院としては,その時点でAに休職を命じるか,あるいは業務負担の大幅な軽減を図るなどの措置を執り,Aに十分な休養をとらせるべき注意義務を負っていたというべきである。とりわけ,Aが平成16年1月5日に自殺を示唆するメモを残して失踪した後にあっては,Aが自殺する危険性が顕在化し,かつ,切迫した状況にあったのであるから,より一層Aの健康状態,精神状態に配慮し,十分な休養をとらせて精神状態が安定するのを待ってから通常の業務に従事させるべき注意義務があったというべきである。しかるに,Y病院長は,B医師を通じてAの業務の負担を適宜の方法により軽減する措置を執りつつも,Aを引き続き勤務させ,平成16年1月5日にAが失踪し,自殺する危険性が顕在化した段階においても,Aの業務を軽減するための措置を具体的に講じることなく,当直勤務を含め,通常どおりの業務にAを引き続き従事させていたのであるから,Aに対する安全配慮義務を怠ったというべきである。以上より,被告は,民法715条に基づき,Aの死亡により生じた損害を賠償する責任を負う

二 過失相殺等 被告の主張は,過失相殺にかかる主張を含むものと解されるところ,Aが自殺に至った経緯は前記認定のとおりであるが,うつ病に罹患し,悪化するに至ったことにつき,Aのてんかんの既往症が影響していることは否定し難いところである。また,Aは,B医師から再三勧められたにもかかわらず,精神科医による診察を受けなかったことが,うつ病を悪化させ自殺するに至らせたものと考えられる。かかる事情について,Aの病状を考慮すると,直ちにAに過失があると評価することはできないものの,本件における損害賠償額を算定するにあたっては,これを全面的に被告の負担に帰することは公平を失するというべきであるから,民法722条2項の規定を類推適用して損害額から相当額を控除するのが相当であり,本件においては,前記の事情を総合考慮し,損害額の30%を減額するのが相当である。

[先例・学説]

一 過労自殺に関する民事救済の法理 今から20年ほど前は,自殺は労災とはならないとされてきた。第1に,それは,労働者の自由意思による業務外の行為であること,第2に,たとえ,過重労働が自殺に関連しているとしても,因果関係が中断される,または,相当因果関係がないと考えられてきたことから,自殺については,企業に対して損害賠償を請求することもできないとされてきた。

もっとも,雇用契約に関しては,ドイツ民法(618条),スイス債務法(339条)が使用者に対して,安全配慮義務を課していることもあって,わが国の学説(我妻栄『債権各論〔中巻2〕岩波書店(1962)586頁)も,雇用契約には,労働者の生命・健康の危険を守る義務(安全配慮義務)が含まれるとしていた。そして,社会情勢の変化,心理学等の学問の発展に応じて,過労自殺についても,使用者の安全配慮義務違反を問うことができるのではないかとの考え方が次第に有力となっていった。すなわち,過重労働を原因とするストレス等によって心因性の精神障害・反応性うつ病に罹患し,そのために,自殺を抑制する精神能力が低下し,その結果として自殺したという場合には,従業員の生命・身体・健康に危険が生じないように監督すべき立場にある事業者は,従業員の業務が過重となってストレスから精神疾患に陥らないようにする安全配慮義務を怠っており,過労自殺について損害賠償責任を負うべきであるという考え方の進展である(このような考え方に対する賛否両論については,(鼎談)安西愈,玉木一成,西村健一郎「過重労働による自殺の労災認定と企業の損害賠償責任」労判770号(2000年)7頁が詳しく論じている)。そして,電通事件最高裁判決(最二判平12・3・24民集54巻3号1155頁)は,まさに,そのような考え方を集大成するものであり,その後の判例の動向を決定づけたといってよい。

なお,過重労働による精神障害・自殺の労災認定の基準に関しては,平成11年(1999年)9月14日に出された労働省の通達(「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」基発544号(労判770号24頁),「精神障害による自殺の取扱いについて」(基発545号(労判770号28頁))が重要であり,労災認定の基準としてだけでなく,損害賠償の基準としても参照されるようになっている。

二 自殺に関する複数原因の競合と過失相殺の規定の類推 交通事故に関する判例においては,被害者の心因的要因を斟酌して,過失相殺の規定の類推によって損害賠償額を減額できるとしてきており(最一判昭63・4・21民集42巻4号243頁),また,被害者の既往症を斟酌して損害賠償額を減額することができることも認めてきた(最一判平4・6・25民集46巻4号400頁)。

これに対して,過労自殺について,安全配慮義務違反に理由に使用者責任を認めた電通事件最高裁判例は,原審が,民法722条2項の規定を適用又は類推適用して、弁護士費用以外の損害額のうち三割を減じた部分を破棄し,以下のように判示して,通常想定される労働者の性格等を理由に過失相殺の規定を類推して損害賠償額を減額することは認められないとした。

ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌することはできないというべきである。

過労自殺に関して過失相殺の規定を安易に類推して損害賠償額を減額することに対して,最高裁が慎重な態度を示したことは,高く評価できる(石井保雄「従業員の自殺と使用者の民事責任−電通事件以後の裁判例の動向」労判847号(2003年)5頁)。最高裁判決にしたがって,過失相殺の類推を認めないものとしては,オタフクソース事件(広島地判平12・5・18労判783号15頁),エージーフーズ事件(京都地判平17・3・25労判893号18頁),社会保険庁(うつ病自殺)事件(甲府地判平17・9・27労判904号41頁),山田製作所(うつ病自殺)事件(熊本地判平19・1・22労判937号10頁)がある。

しかし,以上の判決例とは反対に,電通事件に関する最高裁の判例を前提としつつ,労働者の自殺事件について,本判決と同様に,過失相殺の類推等によって,損害賠償額の減額を認めるものがある。

[評論]

一 適用条文 本件は,総合病院の勤務医(労働者)が過労自殺した事案につき,使用者である病院の労働契約上の安全配慮義務違反が認められ,病院に民法715条の使用者責任が認められた事例である。安全配慮義務違反に関するリーディング・ケースである陸上自衛隊八戸車両整備工場事件(最三判昭50・2・25民集29巻2号143頁)においては,安全配慮義務違反を不法行為として構成すると3年の消滅時効にかかって被害者の救済ができなくなることから,あえて不法行為構成をとらず,債務不履行として10年の消滅時効を適用したという事情があった。その点から考えると,本判決が,債務不履行であるはずの安全配慮義務違反を認めた上で,不法行為である使用者責任を認めたというのは,一見奇異な印象を受ける。しかし,契約責任と不法行為責任が競合した場合において,請求権競合説を採用する判例の立場からすれば,安全配慮義務違反を理由として不法行為責任を肯定することに問題はないと思われる。

もっとも,本件において,使用者責任が認められている点については,理論上の問題が生じうる。なぜなら,使用者責任は,被用者が第三者に対して不法行為を行った場合に,第三者である被害者が,直接の加害者である被用者ではなく,利益を享受している使用者に対して責任を追及することを認めた規定だからである。したがって,本件のように,被用者(その遺族)が被害者として使用者の責任を追及する場合に,民法709条の不法行為責任ではなく,代位責任(vicarious liability)といわれている民法715条の使用者責任を使うことができるかどうかについては,理論的な問題が生じる。これを正当化するためには,「独立的に中間管理職たる被用者(代理監督者=民法717条2項)の注意義務として把握し,ただしその違反に際しては使用者にもその代位責任を負担させる」(中嶋士元他「業務上の過重負荷と民事賠償責任−いわゆる過労死・過労自殺と使用者の措置義務」ジュリ1197号(2001年)15(21)頁)と解するほかないと思われるが,過労自殺を防止する責任は,企業自体にあるのであり,その責任を中間管理職の独立の不法行為を介した代位責任として構成することには問題が残されている。

二 企業責任の根拠としての予見可能性と結果回避義務 本件は,過労自殺した労働者の遺族から使用者に対して損害賠償が求められた事件であり,使用者は,労働者が過労自殺しないようにするために,どのような注意義務(安全配慮義務)を負うかが問題とされた。そして,使用者の注意義務の内容については,使用者は,労働者が自殺したことについて,第1に,自殺を予見できたかどうか(予見可能性),第2に,自殺を回避するためにどのような措置を講じるべきであったか(結果回避義務)が問われることになる。

第1に問題となるのは,使用者が労働者の本件自殺を予見できたかどうかである。この点は,民法416条における(通説によれば,相当因果関係における)「特別事情に基づく損害」の場合に,当事者の予見可能性が要求されるという点で問題となる。また,民法415条,または,民法709条以下における債務者(加害者)の過失(注意義務違反)の問題としても重要である。そして,労働者の業務について過重労働の実態があり,それに続いて,労働者がうつ病に罹患したり,それが悪化したりした場合には,使用者は労働者の自殺を予見できるとするのが,電通事件最高裁判決(最二判平12・3・24民集54巻3号1155頁)によって明らかにされた判例の準則である。

電通事件最高裁判決については,「予見可能性を問わずに勤務と自殺との相当因果関係を認めた」(瀬川信久「過労自殺についての使用者の不法行為責任」判タ1046号74(76)頁)と解する見解もある。しかし,電通事件最高裁判決は,先に引用したように,「そのような事態〔損害の発生・拡大〕は使用者として予想すべきものということができる」と述べ,かつ,「うつ病患者の自殺率は高く,Aはうつ状態の進行中に衝動的・突発的に自殺し,自由意思の介在はないから,うつ病と自殺との相当因果関係がある」と判断している。このように,もともと,ある事象(過重業務)が結果(自殺)への蓋然性(確率)を高めたときに,事実的因果関係を法的因果関係として認めるのが相当因果関係の理論のポイントであり,そのことを民法416条は,「通常生ずべき損害」,または,「予見し,又は予見することができた」「特別事情」として表現しているのである。このように考えると,最高裁も広い意味での予見可能性を認めたものと解することができる。

第2の問題は,予見可能な結果に関する結果回避義務の問題である。本判決は,確かに,電通事件最高裁判決と同様,「予見可能性」という用語は使っていない。しかし,本判決は,「Aが平成16年1月5日に自殺を示唆するメモを残して失踪した後にあっては,Aが自殺する危険性が顕在化し,かつ,切迫した状況にあった」と判示しており,このような状態においては,本判決は,Y病院がAの自殺という「特別事情を予見し,又は予見することができたとき」(民法416条)に該当することを当然の前提としていたと思われる。そうであるから,本判決は,Y病院の予見可能性を前提にした結果回避義務違反について,「Aの業務を軽減するための措置を具体的に講じることなく,当直勤務を含め,通常どおりの業務にAを引き続き従事させていたのであるから,Aに対する安全配慮義務を怠ったというべきである」と論じて,Y病院に損害賠償責任を負わせているのである。以上のことから,本判決も,使用者が労働者の自殺を予見し,または,予見すべきであったことを前提として,結果回避義務違反を判断しているのであって,予見可能性の判断を抜きにして,相当因果関係や責任を判断していると考えるべきではない。

三 結果の未然防止の考え方との整合性 予見可能な危険について結果回避義務を怠ることが不法行為上の過失,または,契約不履行上の帰責事由を構成するというのは,ほとんど古典的ともいえるべき学説上の法理である。このような法理が,現代型の医療過誤や本件のような労災事件にも妥当するかどうかは,問題にされてよい。しかし,本件のような新しい労災事件(過労自殺)に関する損害賠償事件についても,古典的法理に基づく解決が今なお妥当することが,前述の一連の判決を通じて示されているといってよい。その理由は,予見可能な危険について結果回避措置を講じるという注意義務の考え方が,事後的に損害賠償を求める場合だけでなく,危険な結果を未然に防止する際にも,そのまま利用できる優れた法理だからである。予見可能な危険を回避するためのもっとも有効な手段は,差止を含む行為の停止である。すなわち,予見可能な危険に関する結果回避の究極の姿は,危険を防止する最も適切な措置が発見されるまで,現在の行為を直ちに停止することだからであり,過失を予見可能な結果を回避する義務違反と捉える考え方は,事後的な損害賠償の基準としてだけでなく,損害の未然防止にとっても,有用な概念となっている。

本判決が,結果回避措置の例として,「Aに休職を命じるか,あるいは業務負担の大幅な軽減を図るなどの措置を執り,Aに十分な休養をとらせるべき注意義務を負っていたというべきである」としたことは,損害賠償の要件としてだけでなく,損害の未然防止の点からも重要な意味を有している。

四 自殺をめぐる複数原因と過失相殺の類推 人間は,1人では生きられないように造られている。自殺は,それにもかかわらず,その人が1人の世界に閉じこもり,自らの人生に終止符を打つことを意味する。わが国の社会で自殺者が年々増加していることは,多くの人が,自分の人生およびこの社会に絶望していることを示しており,われわれは,それらの人々の苦悩のメッセージを真摯に受け止めなければならない。

確かに,自殺は,最終的には,個人の意思決定としてなされる。しかし,自殺の原因は,必ずしも,その人自身だけの問題で収まるとは限らない。自殺の原因を作り出した者がいる場合には,その自殺関与者は処罰の対象となるからである(刑法202条)。

先に述べたように,自殺があると因果関係が中断されるといわれた時代があったが,関与者の行為(作為・不作為を含む)と自殺との間に相当因果関係があり,また,自殺に関与した者に故意または過失がある場合には,関与者も責任を負わなければならない(民法719条)と考えるべきである。したがって,過剰労働によって労働者にストレスを与え,それが原因となって精神障害に罹患したり,それを増幅させたりして,結果的に従業員を自殺に至らせた場合には,事業者も複数原因者の1人として責任を負わなければならない。

もっとも,複数原因の場合に誰に責任を負わせるべきかについては,法律上は困難な問題が生じる。その理由は,事実的因果関係の理論としてほとんどの学説が前提としている「あれなければこれなし」の法理が,複数原因の場合には,全く機能しないからである。なぜなら,「あれなければこれなし」という広く認められた事実的因果関係の法理を適用すると,第1に,使用者が安全配慮義務違反をしていなければ自殺は生じなかったのであるから,使用者と自殺との間に事実的な因果関係が成立して,使用者に全面的な因果関係があるという結論を導くことができる。しかし,第2に,労働者が無理な労働をやめていれば,うつ病をまぬかれ,自殺に至らなかったのであるから,被害者と自殺の間に全面的な因果関係があるという結論も成り立つ。さらに,第3に,家族が被害者の異変に気づいて,適切な措置を講じていれば,自殺には至らなかったという場合には,家族の行為と自殺との間にも全面的な因果関係があるという結論も生じる。そうすると,因果関係の認定は,収拾がつかない事態へと発展するからである(詳しくは,浜上則雄『現代共同不法行為の研究』信山社(1993)219頁以下)。この点については,「不法行為の被害者の自殺について言えば,まず,『あれなければこれなし』によって判定される事実的因果関係は観念できない」(瀬川信久「過労自殺についての使用者の不法行為責任」判タ1046号74(78)頁)と指摘する学説もあり,いずれにせよ,「あれなければこれなし」に頼って因果関係理論を構築してきた学説は,全面的な見直しを迫られている。また,相当因果関係説を批判し,相当因果関係の問題を事実的因果関係と保護範囲と損害の金銭的評価の3つに分け,本件のような問題は,事実的因果関係と保護範囲の問題だとする近時の学説も,事実的因果関係を「あれなければこれなし」で判断しようとしている以上,この問題については,全く無力であり,この意味でも,「あれなければこれなし」を批判し,因果関係を量的に(部分的に)捉える部分的因果関係の理論(前掲の浜上説)が再評価されなければならない(加賀山茂「共同不法行為」『新・損害賠償法講座第4巻』 日本評論社(1997年)373頁以下参照)。

過労自殺には,少なくとも,使用者の部分的な因果関係と本人の意思決定としての自殺行為という部分的な因果関係とが競合している。それぞれの割合は,事件ごとに異なるのであり,その意味で,民法722条2項の趣旨の類推という解釈は,是認されるべきである。電通事件の最高裁判決は,安易な過失相殺をいさめるという意味で重要であるが,過失相殺の類推を行うこと自体を否定するものではないと解すべきであろう。この点からも,本判決は,積極的に評価することができる。