私法判例リマークス43号(2011)
(最三小判平二二・四・一三判時二〇八二号五九頁、判タ一三二六号二二頁)
作成:2011年4月16日
(明治学院大学教授)加賀山 茂(かがやま・しげる)
本判決は,2001年に制定された特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(以下「プロバイダ責任制限法」という。)第4条(発信者情報の開示請求等)の適用に関する最高裁判所として最初の判決である。
匿名による情報発信が許されている場(2ちゃんねる)において,意見または感想として書き込んだ「気違いはどうみてもA学園長」という情報がインターネットで発信された事案について,原審が,A学園長の特定電気通信役務提供者に対する発信者情報の開示請求を認めたのに対して,最高裁は,これを破棄し,発信者情報の開示請求,および,損害賠償請求をともに否定した。プロバイダ責任制限法4条の発信者情報開示請求を制限的に解釈し,被害者の名誉感情よりも,「匿名による表現の自由」を保護した点で,本判決は,重要な意義を有する。
X(原告,被上告人)は,小学1年生から高校3年生までの発達障害児のための学校である「A学園」を設置,経営する学校法人A学園の学園長を務めている。Y(被告,上告人)は,電気通信事業を営む株式会社であり,「DION」の名称でインターネット接続サービスを運営している。
平成18年9月以降,インターネット上のウェブサイト「2ちゃんねる」の電子掲示板の「A学園Part2」と題するスレッド(以下「本件スレッド」という。)において,X及びA学園の活動に関して,様々な立場からの書き込みがされた。本件スレッドにおいて上記のような書き込みが続く中で,平成19年1月16日午後5時4分58秒,Yの提供するインターネット接続サービスを利用して,「なにこのまともなスレ気違いはどうみてもA学長」との書き込み(以下「本件書き込み」という。)がされた。このため,Xは,平成19年2月27日,Yに対し,裁判外において,「本件書き込みの気違いという表現は,激しい人格攻撃の文言であり,侮辱に当たることが明らかである」との理由を付し,法4条1項に基づき,本件書き込みについての氏名又は名称,住所及び電子メールアドレス(以下「本件発信者情報」という。)の開示を請求した。
これに対して,Yは,平成19年6月6日付け書面をもって,Xに対し,本件書き込みの発信者への意見照会の結果,当該発信者から本件発信者情報の開示に同意しないとの回答があり,本件書き込みによってXの権利が侵害されたことが明らかであるとは認められないため,本件発信者情報の開示には応じられない旨回答した。
Yは,インターネット上の電子掲示板にされた書き込みによって権利を侵害されたとして,その書き込みをした者にインターネット接続サービスを提供したYに対し,(1)プロバイダ責任制限法4条1項に基づき,上記書き込みの発信者情報の開示を求めるとともに,(2)裁判外においてXからされた開示請求に応じなかったYには重大な過失(同条4項本文)があると主張して,不法行為に基づく損害賠償を求めた。
原審は,「対象となる人を特定することができる状況でその人を『気違い』であると指摘することは,社会生活上許される限度を超えてその相手方の権利(名誉感情)を侵害するものであり,このことは,特別の専門的知識がなくとも一般の社会常識に照らして容易に判断することができるものであるから,本件書き込みがこのような判断基準に照らして被上告人の権利を侵害するものであることは,本件スレッドの他の書き込みの内容等を検討するまでもなく本件書き込みそれ自体から明らかである。したがって,上告人が被上告人からの本件発信者情報の開示請求に応じなかったことについては,重大な過失がある」と判断し,プロバイダ責任制限法4条1項に基づき,A学園の学園長のプロバイダに対する情報開示請求並びに不法行為に基づく損害賠償請求について,損害賠償請求を15万円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容した。
そこで,Yは,Xの損害賠償請求に関する原審の判断のうち,Yに重大な過失があるとした判断は,法令に違反するとして,上告した。
一部原審判決破棄自判,一部上告棄却
1 プロバイダ責任制限法4条1項に基づく発信者情報の開示請求に応じなかった特定電気通信役務提供者は,当該開示請求が同項各号所定の要件のいずれにも該当することを認識し,又は上記要件のいずれにも該当することが一見明白であり,その旨認識することができなかったことにつき重大な過失がある場合にのみ,損害賠償責任を負う。
2 インターネット上の電子掲示板にされた書き込みの発信者情報の開示請求を受けた特定電気通信役務提供者が,当該書き込みにより請求者の権利が侵害されたことが明らかでないとして開示請求に応じなかったことにつき,その書き込みは,侮辱的な表現を一語含むとはいえ,具体的事実を摘示して請求者の社会的評価を低下させるものではなく,特段の根拠を示さずに書き込みをした者の意見ないし感想としてその語が述べられているという事情の下においては,上記書き込みが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であることが一見明白であるということはできず,上記特定電気通信役務提供者に重大な過失があったとはいえない。
2001年11月30日に制定され,2002年5月27日から施行されているプロバイダ責任制限法は,特定電気通信による情報の流通によって権利の侵害があった場合について、第1に,特定電気通信役務提供者の損害賠償責任を明確にすると同時責任が拡大しないように適切に制限する(プロバイダ責任制限法3条)とともに,第2に,他人を誹謗・中傷するような情報,他人のプライバシーを侵害するような情報,他人の著作権を侵害するような情報等が「匿名で発信された場合には被害の回復が困難である」([大村他・プロバイダー責任制限法の概要(2002)]28頁)という理由で,発信者情報の開示を請求する権利を定めている(同法4条)。
しかし,第2の「発信者情報の開示を請求する権利」(同法4条)については,その請求が認められると,「匿名による表現の自由」が侵害されることになる([松本・プロバイダー民事責任(2002)115頁])。したがって,立法当時から,「裁判所の許可を得た上でプロバイダーに発信者情報の開示を請求できる」というように被害者の権利を制限すべきである[松本・プロバイダー民事責任(2002)115,116頁]参照)とか,「暴力的不法行為や社会的影響力を背景にして開示を強要する者や,あるいはそうでなくとも被害者意識にかき立てられて執拗に開示を要求してくる者も出てくることが考えられ」,「裁判外での開示請求については,とりわけ慎重に対応することを要請される」([大村他・プロバイダー責任制限法の概要(2002)]33,35頁)とか,発信者情報の開示を請求する権利については制限的な解釈を取るべきであるとされてきた([飯田・プロバイダ責任制限法(2002)112頁]も,裁判外の請求が認められているとはいえ,実際には,裁判所の判断に依拠する場合が多くなるとしている)。
プロバイダ責任制限法4条の解釈としても,プロバイダが,誤って本人情報を開示しなかった場合には,プロバイダ責任制限法4条4項によって責任が制限されているのに対して,本人情報を誤って開示した場合には,責任が制限されないことを考慮するならば,本人情報の開示の要件((1)侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであり,かつ,(2)当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき)を充足するかどうかに確信を持てない「限界的事例の場合には,法は不開示を選択するよう誘導していると評しえよう」[高橋・インターネット上の表現の自由と名誉毀損(2010)84頁]と解されていることが重要である。
最高裁の判決に賛成する。
本件は,匿名による議論が許されているインターネット上のウェブサイト「2ちゃんねる」の電子掲示板において,「A学園 Part2」と題するスレッドが立てられ,同学園の活動に関してなされた議論のうち,「気違いはどうみてもX」という書き込みについて,情報発信者の匿名による言論の自由を許すのか,それとも,Xの名誉感情に対する侵害を重視して,プロバイダに対する発信者情報開示請求が認められるかが問題となった事案である。
原審は,上記の書き込みは,プロバイダ責任制限法4条1項1号の「侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかである」という要件が満たされているとし,開示請求を認めなかったプロバイダは,プロバイダ責任制限法4条4項により,不法行為に基づく損害賠償責任を負うと判断した。これに対して,最高裁は,以下のように判断し,原審判決を破棄して,A学園長のプロバイダに対する「発信者情報の開示請求」および「損害賠償請求」をともに否定した。
「本件書き込みは,その文言からすると,本件スレッドにおける議論はまともなものであって,異常な行動をしているのはどのように判断しても被上告人であるとの意見ないし感想を,異常な行動をする者を「気違い」という表現を用いて表し,記述したものと解される。このような記述は,『気違い』といった侮辱的な表現を含むとはいえ,被上告人の人格的価値に関し,具体的事実を摘示してその社会的評価を低下させるものではなく,被上告人の名誉感情を侵害するにとどまるものであって,これが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であると認められる場合に初めて被上告人の人格的利益の侵害が認められ得るにすぎない。そして,本件書き込み中,被上告人を侮辱する文言は上記の『気違い』という表現の一語のみであり,特段の根拠を示すこともなく,本件書き込みをした者の意見ないし感想としてこれが述べられていることも考慮すれば,本件書き込みの文言それ自体から,これが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であることが一見明白であるということはできず,本件スレッドの他の書き込みの内容,本件書き込みがされた経緯等を考慮しなければ,被上告人の権利侵害の明白性の有無を判断することはできないものというべきである。そのような判断は,裁判外において本件発信者情報の開示請求を受けた上告人にとって,必ずしも容易なものではないといわなければならない。」
最高裁が,匿名性が許されるインターネットの掲示板においてなされた「気違いはどうみてもA学長」書き込みについて,「本件書き込み中,被上告人を侮辱する文言は上記の「気違い」という表現の一語のみであり,特段の根拠を示すこともなく,本件書き込みをした者の意見ないし感想としてこれが述べられていることも考慮すれば,本件書き込みの文言それ自体から,これが社会通念上許される限度を超える侮辱行為であることが一見明白であるということはできず」として,「発信者情報の開示請求」および「損害賠償請求」をともに否定したことは正当である。
現代における民主主義においては,議論を尽くした後の「投票の秘密は、これを侵してはならない」とされている(憲法15条4項)。しかも,匿名の投票行動については,何人も「公的にも私的にも責任を問われない」ことが基本的人権として保障されている(憲法15条4項)。そうだとすると,投票の前提となる民主的な議論の方法においても,匿名による議論が許される場においては,投票の場合と同様のことが成り立つように思われる。すなわち,本音での意見交換が必要とされる等の理由により,匿名による議論が許される場においては,議論の発言内容によって「責任を負わされることがない」ことが保障されなければならない。確かに,顕名による場合には,言論の自由が保障されているとはいえ,発言の内容が,他人の名誉等を侵害する場合には,責任を免れることができない。しかし,匿名で議論することが許されている場合には,秘密投票の場合と同じ考慮がなされれるべきであり,実名が暴かれて,その個人に責任が及ぶことは,匿名を許すという前提に反することになるのであって,許されないと考えるべきである。
確かに,インターネットにおける匿名による議論は,感情がむき出しになったり,過激になったりするという傾向が見られる。しかし,そのような傾向は,通常の顕名による議論の場でも見られることであり,その原因を匿名性に求めるのは早計である。ネットによる議論が「荒れ」たり,「炎上」したりするのは,議論が真理探究や合意形成のプロセスではなく,「相手をやり込める」ためのプロセスへと堕した場合に生じるのであって,匿名性とは無関係であることが論証されているからである([岩田・議論のルールブック(2007)71頁]参照)。
議論の説得力を強めるものとして,アリストテレス(弁論術1巻2章)以来,(1)情報の発信者のエートス(人格),(2)受信者のパトス(感情),(3)情報のロゴス(論理)の3要素が挙げられている。この点,匿名による情報は,もともと,エートスによる説得を欠く情報であり,しょせんは,「落書き」以上の価値を持たない([岩田・議論のルールブック(2007)]72頁)。それを無責任な意見として無視するか,そこから教訓やヒントを得るかどうかは,受け手の判断に任されているのである。そのような落書きによる表現の自由は,匿名が許される場においては,議論の結果としての秘密投票(憲法15条4項)と同様に,責任を負わない「表現の自由」として保護されると考えるべきであろう。
そのような落書き(匿名による書き込み)に対しては,名誉やプライバシー等を侵害された被害者は,第1に,反論の機会が与えられている場合には反論をしたり,自らの情報発信手段(ブログ,ツイッター,ホームページ)が利用できる場合には,それによって対抗手段を講じたりことが可能である(いわゆる「対抗言論(more speech)の理論」に関しては,[高橋・インターネット上の表現の自由と名誉毀損(2010)64−66頁]参照)。第2に,情報の発信を媒介している特定電気通信役務提供者に対して,書き込みを消去することを含め,妨害の排除(情報の送信を防止する措置)を求めることができる(プロバイダ責任制限法3条2項参照)。第3に,特定電気通信役務提供者,正当な理由なくそのような妨害排除請求に応じない場合には,被害者は,特定電気通信役務提供者に対して損害賠償を請求することができる(プロバイダ責任制限法3条1項)。第4に,書き込みが悪質な場合には,刑事事件として,告発・告訴することもできる。したがって,そのような権利の行使を超え,匿名による書き込みに対して発信者情報の開示を請求することは,「匿名による表現の自由」を侵害するものとして,原則として許されないと解すべきである。
確かに,プロバイダ責任制限法4条は,発信者情報の開示の要件として,「侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき」(同法4条1項1号),かつ,「当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき」(同法4条1項2号)という要件を挙げており,この要件が満たされた場合に限り,発信者情報の開示を請求できるとしている。
しかし,第1に,匿名による情報は,匿名であることによって無責任なものであることが明白なのであるから,たとえ,名指しされた者の感情を傷つけることがあっても,それが,消去される等の適切な措置が取られるならば,権利侵害の要件は充足されないと思われる。第2に,現代の民主主義においては,匿名による表現の自由は,秘密投票,内部告発と同様,情報発信者に責任を負わせない表現手段として尊重されるべきであり,「匿名による表現が許されている場」においては,その発信者情報の開示は,原則として,その必要性・正当性を欠く(プロバイダ責任制限法4条1項2号の要件を満たさない)と考えるべきである。
したがって,プロバイダ責任制限法4条による発信者情報開示請求は,裁判所に対する請求を通じてのみ(発信者情報開示訴権),かつ,開示請求が必要かつ正当と認められる範囲に限って,ごく例外的に認められる場合があり得ると考えるのが穏当であろう。この点に関しては,匿名による言論の自由と,名誉およびプライバシーの権利との衝突を調整する方法としては,問題を加害者と被害者との間の直接対決へと導くのではなく,むしろ,間に入った特定通信役務提供者に対する請求の範囲で問題を解決するという戦略を採用する方が,紛争を平和的に解決するのにより適切であるという点が考慮されるべきである。
このように考えると,最高裁が,原審の判断を覆して,プロバイダ責任制限法4条の「発信者情報開示請求」を否定したことは重要な意義を有しており,今後も,最高裁によって,このような解釈・運用が維持されることが必要であると思われる。