- 消費者の差止請求権の法律構成 -
消費者は、事業者の提供する欠陥商品や欠陥サービスによって生命・健康を害される危険にさらされているばかりでなく、ヤミ・カルテル等に代表される不当な競争制限や悪質商法に代表される攻撃的で不適切な取引方法(不公正競争)によって金銭的損害の危険にさらされている。
このような消費者被害を未然に防止するために、行政法としての事業者規制法が大きな役割を果たしていることは疑いがないが、行政規制も万能ではなく、消費者自身のイニシアティブによって、欠陥商品・欠陥サービスの流通の差止めや、攻撃的で不適切な取引方法を差し止めることを可能にするための法理論を確立することが必要・不可欠となっている。
そこで、筆者は、消費者被害を未然に防止するために、差止請求権に関して、以下の2つの理論構成を行っている。
消費者被害の救済は、従来は、欠陥商品による被害の救済においても、また、訪問販売等における契約被害の救済においても、事後的救済にその主眼が置かれてきた。
しかし、消費者被害の場合、以下の理由により、権利侵害や損害が発生する前に、被害のおそれのある者が事業者に対して欠陥商品の出荷・販売の停止や製品の回収措置等の差止請求を認める法理を確立することが緊急の課題となっている。
比喩的にいえば、病気になってから病気を直す医療と並行して、病気にならないようにケアを行う予防医学が発達しなければならないように、消費者法においても、事故が起こる前に事故の発生を事前に規制する予防法学を発展させていくことが求められている。
消費者法の領域では、事後的救済を中心にした私法的解決のほかに、被害の未然予防のための事業者に対する行政規制法が不可欠とされてきた。消費者のための事業者規制法として代表的なものを挙げると以下の通りである (経済企画庁『ハンドブック消費者'93』10頁以下参照)。
このように、行政規制法による消費者被害の未然防止は、消費者被害の未然防止に大きな役割を果たしてきたし、今後も果たすことが期待されている。
しかし、行政規制による消費者被害の事前予防も、完全ではないことは、第1に、新たな消費者被害が発生してからそれに対応する規制法が成立するまで、かなりの年数を必要とし、その間に被害が拡大するおそれがある。第2に、わが国には、総合的な消費者保護行政を行いうる十分な権限を持つ消費者保護庁がいまだに存在しないため、消費者行政規制は、いわゆる縦割行政の弊害が現れており、所轄官庁によって消費者保護の考え方に相当の差が存在し、規制法間の整合性に欠ける面が多いのが現状である。したがって、主務官庁の異なる行政法規にまたがる事件が発生した場合には、行政規制の運用に手間取り、迅速さを欠くことになりがちで、被害の未然防止が実現できない場合もある。
たとえば、PCBの混入した飼料によって大量のニワトリが弊死し、同一会社が同じ製法で製造したライス・オイルの危険性が指摘されていたにもかかわらず、農林省と厚生省との連携がうまくいかずに行政による規制が遅れたため、そのライスオイルの販売が停止されるまでに多くの被害者が出た事例、熱処理をしない血液製剤が、その危険性の指摘にもかかわらず、製造・販売を許可され、多くの血友病患者がエイズに感染した事例、豊田商事の金地金商法が、虚業であることが判明してからも、その規制が遅れたため、消費者に莫大な金銭的損害が生じた事例等、消費者による差止請求が認められていたら、事故が最小限度に抑えられた可能性が大きい事例は枚挙にいとまがない。
新たな消費者被害が発生してから、行政規制法が成立するまで、もしくは、行政規制が実際に運用されるまでに、各地の消費生活センターに数多くの苦情や被害が報告されるのが通常である。行政は、そのような情報を分析・検討し、自らも独自の調査を行ってから、事業者規制に乗り出すのであるが、このような場合、消費者は、行政上の救済措置が講じられるまで、ひたすら待つより外に方法がなかった。
しかし、本来は、消費者としても、行政規制の発動を待つだけではなく、自らの権利を守るために、自らの権利に基づいて被害の未然防止を請求できることが望ましいことは疑いがない。そして、自立する消費者が求められている現在においては、消費者が自らの権利に基づいて消費者被害の未然防止を請求することを可能にする私法上の法理を確立することが求められているといえよう。
従来、私法的救済といえば、事後的救済に重点がおかれてきたが、民法においても、損害賠償だけでなく、物権侵害を中心に差止請求が明文で規定されている (民法197条以下(占有訴権)、民法216条(工作物の予防工事等請求権)、民法234条 (境界線付近の建築制限))。
さらに、物権侵害とは対極にある金銭的利益の侵害に関しても、民法の特別法としての性格を有する不正競争防止法は、その第3条において、「(1) 不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、その営業上の利益を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。(2) 不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害のおそれがある者は、前項の規定による請求をするに際し、侵害の行為を組成した物(侵害の行為により生じた物を含む。)の廃棄、侵害の行為に供した設備の除去その他の侵害の停止又は予防に必要な行為を請求することができる。」と規定し、営業上の利益の侵害のおそれを理由に差止請求を認めていることが注目されなければならない。
消費者は常に、欠陥商品の製造・販売によって生命・身体・健康が危険にさらされているばかりでなく、悪質商法による攻撃的で不公正な取引方法や、不適正な契約の締結によって金銭的損害の危険にさらされており、これらの被害を未然に防止するためにも、消費者の権利に基づく差止請求を認めることが緊急の課題となっているといえよう。
本稿は、消費者被害の未然防止のための私法的救済として、消費者に欠陥商品の販売や欠陥サービスの提供に対する差止請求、さらには、悪徳商法に対する差止請求が私法上も認められることを明らかにしようとするものである。
筆者の問題意識を明確にするため、本稿の課題を具体的な事例に即して提起すると以下のようになる。
上記の例題を設定する上で考慮した点は以下の3点である。
これまで、消費者の差止請求権が論じられてこなかった原因の一つは、消費者被害の発生の危険をいちはやく探知した一消費者がいたとしても、その消費者は、消費者被害の原因となる商品・サービスの購入をしなければ、それだけで、被害の未然防止を実現することができるのであって、そもそも差止請求の必要がなく、また、消費者被害の犠牲者は、被害にあうまで、商品・サービスに危険があることを知らなかった人であり、事実上、差止請求をなしえないと考えられてきたからである。
しかし、消費者情報が企業秘密等の障害によって十分に行き渡っていない現状においては、ある種類の商品・サービスに危険があることを消費者が探知しても、流通している商品・サービスの中から、どの商品・サービスに危険があるかを具体的に特定することは困難であることが多く、しかも、現代の消費社会においては、商品・サービスの購入を一般的に停止したのでは、生活自体が成り立たない。したがって、消費者が、ある種の商品・サービスに欠陥があることを探知したとしても、その種の製品・サービスが消費生活に必要不可欠の場合には、具体的な危険を回避するめには、欠陥商品・サービスの流通の差止請求をする必要があると思われる。
上記の例題1.(a)、1.(c)では、このような状況を踏まえて、消費者の差止請求が、理論上だけでなく、実際にも大きな意味があることを示そうとしている。
消費者自身は商品・サービスの欠陥に気がつき、その購入等をしないように気をつけていても、危険性につき十分な認識をしていない消費者の家族がその欠陥商品や欠陥サービスによって、生命・健康に重大な危険が発生している場合がありうる。上記の例題1.(b)は、そのような場合に、消費者は、実際に家族に死亡損害が生じるまで待って、民法711条により、近親者として、事業者に損害賠償を請求するより外に方法がないのかについて問題を提起している。
さらに、金銭的損害のおそれがある場合についても、例題2.(a)、(b)のような例については、被害を未然に防止するために、家族、消費者団体等による悪質商法の差止めが必要であることを示そうとしている。この場合、解釈論として限界があるならば、立法論として権利主体を拡大する必要がないかどうかについて問題を提起している。
これまで、差止請求と言えば、人格権侵害や物権侵害の場合に限定して考察されるのが通例であった。金銭的損害のおそれがあるに過ぎない場合には、原則的に差止めを論じる必要はないとされてきた。しかし、上記の例題2.(a)は、豊田商事事件のように、詐欺的で、消費者に回復不可能な被害を多発させる悪質な取引行為に対しては、その取引行為の差止請求が必要ではないのかについて問題を提起しようとしている。
消費者被害の救済といえば、クーリング・オフが被害救済に大きく貢献しているが、クーリング・オフの効果は、被害の未然防止ではなく、損害が発生した後の原状回復措置にすぎず、しかも、消費者に与えられているクーリング・オフの権利は、原則として特定商品、特定権利、特定役務の訪問取引に限定されており、それ以外の商品、権利、役務の場合や、最近被害が増大している電話契約等のように、法令に規定のない取引行為の場合には適用がないとされており、例題2.(b)は、このような領域でも、事業者に認められている金銭的損害のおそれを理由とした差止請求(不正競争防止法3条)と同等の権利が、消費者にも認められるべきではないかという問題を提起している (2.(b)の例題は、不法行為法上の差止請求を認める最近の学説によっても、差止が認められるかどうか微妙な問題である。というのは、被侵害利益が金銭的な損害に過ぎず、行為者に故意はあるが、いまだに損害が発生しておらず、特別法として公正取引委員会による差止を規定する独禁法が消費者に訴権を認めていないと解されているからである。) 。
本稿では、以上のような例を念頭におきながら、欠陥商品・サービスの供給や不適切な販売方法に対して、消費者がその差止めを請求できるかどうかを、一般的な差止請求権の法律構成(2)、 消費者の差止請求権の法律構成(3)の順で考察する。
従来の考え方によれば、わが国の民法においては、物権や人格権等の絶対権の侵害のおそれがある場合を除いて、単なる金銭損害のおそれがある場合について、一般的に差止めを認める明文の規定は存在しないとされてきた。
もちろん、権利侵害がすでに生じてしまった場合には、民法709条により、加害者に対する被害者の損害賠償請求権が認められている。しかし、損害が生じない段階において、単なる権利侵害のおそれがある段階では、一般的には差止めは認めらないのであって、人格権や物権侵害などのように、侵害利益が重大と考えられる場合に限って、個別的に差止請求が認められているに過ぎないと考えられてきた (沢井・公害差止の法理4頁以下、大塚直「生活妨害の差止に関する基礎的考察」参照)。
これまで、単なる金銭的損害の侵害のおそれを根拠とする差止請求が認められないと考えられてきた理由は、以下のような考慮によるものと思われる。
違法な行為は規制されるべきであるが、違法かどうかはっきりしない行為については、一般的な禁止はせず、むしろ人間の自由な行為を尊重し、損害が生じた場合にのみ、かつ、それが違法な場合に限って、被害者に損害賠償請求権を認めるというのが、有益な社会活動を促進する上で有効である。損害が発生するかどうかわからない段階で、一般的な差止請求を認め、自由な行為を禁止すれば、有益な社会活動が阻害され、国民経済の発展にとって好ましくない結果をもたらす。
権利侵害および損害の発生という要件は明確な概念であるが、権利侵害のおそれという概念は非常に不確実な概念である。したがって、そのような不確実な概念に基づいて、自由な行為が規制されたのでは、自由な経済活動は成り立たない。権利侵害のおそれがあるというだけで、差止めが認められることになると、濫訴が誘発される危険性が高く、自由な経済活動が阻害されることになりかねない。
自由な行為の尊重と、侵害のおそれのある利益とを比較衡量し、自由な行為によって侵害される危険のある利益が、物権や人格権のように重大であるとき、かつ、侵害の危険が明白な場合に限って、差止請求を認めるのが正当である。
しかし、わが国の民法の解釈として、金銭的損害のおそれを理由とする差止請求が認められないとする理由は、民法709条の条文が損害賠償請求を認めるとしか書かれていないということのみを論拠にしており、説得的なものとはなっていない (伊藤高義「差止請求権」398頁)。
明確な差止請求を認めている民法199条の占有保全の訴えは、物権の中でも最も物権性の薄弱な占有権について認められており、債権でさえ、準占有が存在することを考えれば、差止請求は、人格権や無体財産権等の物権的な権利にしか認められないという議論は、再考を要するといえよう。
先に述べたように、不法行為の特別法といわれている不正競争防止法が、物権とは無縁の金銭的利益に過ぎない営業上の利益の侵害のおそれを根拠に差止請求を認めていることも、差止請求は、物権的権利のみに限って認められるべきだという根拠を一層薄弱なものとしている。
消費者被害を防止するためには、物権侵害、金銭的侵害を問わず、侵害が起こってからその損害賠償をうんぬんするのではなく、権利侵害を未然に防止することが、今や、緊急の課題となっているのである。
そこで、以下において、権利侵害を未然に防止するための一般的差止請求が認められるべき理由を、上記の消極的理由に反論する形で、論証することにする。
人間の自由を高らかに謳いあげたフランスの「人および市民の権利の宣言」(1789年)においても、自由の本質は、「他人の権利を害しない範囲ですべてのことができることに存する」(4条)とされており、営業の自由も、自由競争も、他人の権利を侵害する場合にまで認められているわけではない。ドイツ憲法においても、「各人は、他人の権利を侵害せず、かつ、憲法的秩序又は道徳律に反しない限り、その人格の自由な発展を目的とする権利を有する」(2条)とされており、他人の権利を侵害してまで権利の主張をすることが許されないことは、自明の理となっている。
この点、わが国の憲法は、フランスやドイツの憲法ほど明確には規定していないが、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。また、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」と規定しており、他人の権利を侵害するような権利行使は、権利の濫用、もしくは、公共の福祉に反する行為として制限していることは明らかである。
もっとも、わが国においては、権利濫用や、公共の福祉の規定は、公共機関に対する個人の差止請求を制限する方向で運用されてきたきらいがあるが(原島重義「わが国における権利論の推移」67頁以下)、この規定の精神が、他人の権利を侵害するような行為を禁止する趣旨を有していることは疑いがない。
もっとも、「他人の権利を侵害する権利は存在しない」という命題に対しては、「自己の権利を行使する者は他人を害することはない(Neminem laedit qui suo jure utitur; Nemo damnum facit qui suo jure utitur)」という一見対立する命題が存在する。権利概念を維持しつつ、この二つの命題を同時に両立させるためには、問題となる権利の外延を、従来よりも明確に限界づけることが必要になる。たとえば、「事業者の営業上の権利」と「消費者の権利」とを例にとって考えてみよう。
まず、営業の自由の基礎となっている「事業者の営業上の権利」は、対事業者に対しては、最大限の自由が確保され、事業者の行為が不当な競争制限や不公正な競争とならない限り、「自己の権利を行使する者は他人を害することはない」という命題が成り立つ。しかし、対消費者との関係では、事業者は、商品・サービスの供給に際して、消費者の生命・健康を害さないように最大限の注意を行う義務があり、消費者の生命・健康を害する範囲では、そのような行為は、「営業上の権利」として認められず、したがって、事業者には、消費者の生命・健康を害する自由は存在しない。すなわち、この場合、「他人の権利を害する自由は存在しない」という命題が優先し、最大限の注意を行うという条件でのみ、「自己の権利を行使する者は他人を害することはない」という命題がかろうじて機能するに過ぎないということになろう。
反対に、消費者の権利に関しても、「生命・健康を害されない権利」については、権利濫用の場合を除いて最大限の保護がなされなければならないが、いわゆる「選ぶ権利」については、「事業者の不当な取引制限又は不公正な取引方法によって金銭的損害を受けない権利」というように、権利自体が、事業者の不当な競争制限や不公正な競争方法からのみ保護されていることを明確にすることが必要である。つまり、消費者のいわゆる「選ぶ権利」については、このような作業を通じてのみ、事業者は、不公正な競争方法によって「他人の権利を害する自由は存在しない」という命題と、公正・自由な競争によって「自己の権利を行使する者は他人を害することはない」という命題を両立させることが可能となるのである。
被害が予想される場合には、被害を未然に防止するのが筋であって、被害が起こってからでは、損害賠償請求が認められたとしても、人命が失われた場合などは、実際は、取り返しがつかない。民法は、709条において、被害が生じた場合に、被害者が加害者に対して損害賠償を請求する権利を認めているが、危険が差し迫っている場合に、損害の発生を待たなければ侵害行為を停止させることができないというのでは不合理である。ある人の行為によって権利侵害のおそれがあることが明らかな場合は、その行為を未然に抑制することが好ましいのであって、その場合、行為をする側で、危険回避措置をとっており、その行為が危険でないことを明らかにしてから経済活動を行うことにした方が国民の支持も得られ、かつ、国民経済的損失も少ない。
この点について、四宮和夫も、不法行為法の教科書において、差止請求権を不法行為から導くことができるとして、以下のように論じている (四宮・不法行為479頁。この見解は基本的には正当であるが、差止請求を不法行為の直接の効果として導いている点で問題を残している。この点に関しては、「一般的差止請求権の根拠規定と法律構成」の箇所で詳しく論じる)。
法は、違法な行為による危険が継続し反復されまたは差迫っている際に、手をこまねいて、損害という結果が発生するのを待たなければならないのであろうか。むしろ、進んで、− 一定の要件のもとに − 法の欲しない行為や結果の発生を阻止する手段(差止請求権)を被害者に付与すべきではなかろうか。それは、被害者の保護としても必要、社会経済上も有用であり、しかも、法秩序は、それによって、自らの統一性・一貫性を保持することができるからである。
従来の見解によれば、事故が起こってから損害賠償を認めることは当然であるが、事故が起こる前に営業行為を差し止めることは、損失が大きく、容易に認められるべきでないとされてきた。
しかし、差止請求は、権利侵害が起こるおそれがあるかどうかをはっきりさせるためになされるのであって、多くの場合は、差止めは永久的なものではなく、安全確認のための暫定的な期間で終了するはずのものである。しかも、権利侵害のおそれのある行為を行おうとする者が、事前に安全確認を済ませておれば、安全の証明は容易であり、差止請求が認められないか、認められたとしても、ほんのわずかの期間に限られよう (安全確認のための調査・説明義務と差止請求の要件との関係については、沢井・差止の法理36頁以下参照)。
差止めの範囲についても、必ずしも行為の全面的停止ではなく、部分的な停止で済む場合が多い。たとえば、人格権や物権的請求権等を根拠に差止めが認められている日照阻害を理由とする建築の差止請求事件においても、差止めが実際に許容される場合においては、建築の全面禁止ではなく、高さを低くしたり、北側を境界線より後退させたり、北側を斜面にするなどの合理的な設計変更がほとんどである (沢井・テキストブック120頁)。本稿で論じる差止めの効果としての「将来ノ為メ」の「適当ノ処分」は、非常に柔軟な概念であり、差止めを認めた場合でも、当事者の利害を適切に調整することが可能である(大塚・生活妨害の差止 法協107巻4号615頁以下参照。)
確かに、被害が起こる前に予防することは、実際は、損害が発生せずに済む行為を抑止する危険性をはらむことになるが、被害を未然に防止しようと思えば、その判断基準が不確実となることはやむをえない。そうはいっても、従来とは異なり、どのような場合にどのような結果が予想されるかということは、これまでの経験の蓄積、および、科学技術の発達に伴い、危険予見の精度は、著しく向上している。そのような最近の事情を考慮すれば、被害が起こる前に、危険を訴える人に耳を傾け、安全が確保されていることを明らかにしてから行動する方が、がむしゃらに行動するよりも好ましいことが、一般にも理解されるようになってきているといえよう。
不正競争防止法では、被侵害利益が営業上の利益という、単なる財産的利益の場合であっても、明文で差止請求が認められている。この場合、侵害のおそれのある行為をしている事業者の利益も、侵害のおそれのある利益も、ともに、金銭的な利益の追求を目的とした営業上の利益であり、対立する利害は完全に対等の関係にある。不法行為の特別法としての性格を有する不正競争防止法が、このような金銭的な利益を被侵害利益として差止請求を認めている以上、一般的・普遍的命題として、被侵害利益が物権や人格権の場合にのみ差止請求が認められるべきだと論じることの根拠は薄弱であると思われる。
人格権や物権の場合のみならず、権利侵害が金銭的損害しか引き起こさない場合であっても、権利侵害のおそれが事前に明らかになっている場合には、差止請求を認めるべき理由があることが明らかになったと思われるが、それをどのような条文に基づいて根拠づけるかという法律構成の問題については、争いがある (沢井・差止の法理42頁以下参照)。
人格権や物権等の絶対権侵害以外の権利侵害のおそれについても差止請求権を認めようとすれば、何らかの形で、一般不法行為を規定した民法709条を根拠にせざるをえないのであるが、民法709条の直接の効果として差止請求を認めようとする試みに関しては、現在も根強い反対論が存在している。その理由は、民法709条は、民法199条と異なり、損害賠償請求のみを認め、現状回復請求および差止請求を認めていないというものである。
筆者も、この批判は、正当な考えを含んでおり、民法709条から直接に差止請求を導こうとするには多少無理があると考える。絶対権侵害以外の場合にも差止請求を認めるためには、明文の根拠があることを示す方が説得的であり、一般的差止請求権は以下のように構成すべきであるというのが筆者の基本的な考え方である。
一般的差止請求権は、不作為義務が存在する場合につき、明文で差止めを認めている民法414条3項に求められるべきであり、さらに民法414条3項を適用するための不作為義務の存在理由は民法709条から間接的に導かれる。
以下において、筆者の基本的考え方、すなわち、一般的差止請求権を「不法行為法上の不作為義務を根拠とする強制履行」として構成するという考え方を展開することにしよう。
民法199条が、物権侵害の一種である占有権侵害について、侵害のおそれのある行為に対して差止請求を認めていることについては争いがない。
民法199条の占有保全の訴えの規定は、従来、物権特有の権利に認められるものであるとされてきたが、占有に認められる権利を物権だけにみとめられる特有の権利であると構成することは、債権にも準占有が認められている以上、無理がある。
この規定の存在理由は、むしろ、物権の本質に由来すると思われる。物権は、債権とは異なり、本来、対物的な権利であり、明文の規定なしに、請求権を構成することが困難である。したがって、物権的請求権は差止請求を含めて、明文の規定が必要とされたのである。これに対して、契約、事務管理、不当利得、不法行為に基づく債権は、もともと人と人との関係であるため、請求権を明文で認める必要が存在しない。後に詳しく述べるように、不法行為上の不作為義務が存在することは当然のことであるため、その不作為義務の強制履行の方法としての差止請求権も民法414条3項があれば十分であり、物権的請求権の場合と異なり、ことさら明文の規定を必要としないだけである。
したがって、物権・絶対権侵害以外の一般財産権に関する差止請求の場合に、以下に述べるように、民法414条3項に基づいて、一般的な差止請求が可能であるとすれば、その場合に、ことさら民法199条を根拠として引き合いに出す必要はないと思われる。
民法414条3項が、契約上の不作為義務を負う者に対して、強制履行の方法として、「為シタルモノヲ除去シ且将来ノ為メ適当ノ処分ヲ為スコトヲ請求スルコト」、すなわち、差止請求を認めていることは疑いがない。
さらに、民法414条3項による不作為義務の強制履行の方法としての差止請求は、不作為義務があるすべての場合につき認められるものであり (浜田稔「不法行為の効果に関する一考察」100 - 101頁)、不作為義務が契約から生じることは、体系上も要求されていないと考えなければならない。このことは、民法414条が、いわゆる債権総論の箇所に規定されていることからも明らかである。すなわち、債権発生原因の一つである契約から生じる不作為義務ばかりでなく、他の債権発生原因としての事務管理、不当利得、不法行為から生じる不作為義務についても、不作為義務が存在する場合には、民法413条3項は適用可能である( 名古屋高裁昭60・4・12判時1150号30頁(東海道新幹線騒音・振動差止・損害賠償訴訟控訴審判決)参照)。
したがって、一般的にいって、不作為義務がある場合には、民法414条3項を根拠として、差止請求が認められるべきであり、一般的な差止請求の根拠条文は、民法414条3項に基づくというのが筆者の見解である。
それでは、民法414条3項の適用要件である一般的な不作為義務はどのような根拠に基づいて生じるのであろうか。その根拠は、以下のように、民法709条に求められると解すべきである。
民法709条は、損害が発生した場合の救済しか規定していないが、その前提として、損害を発生させるような権利侵害を一般的に禁止している規定と解すべきである (岡村・債権各論736 - 737頁参照)。
刑法においても、法は、「殺人をすべきではない」とは、直接には規定していない。刑法199条は、単に、「人ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ三年以上ノ懲役ニ処ス」と規定し、殺人が行われた場合の事後処理について規定しているに過ぎない。
刑法が殺人を禁止する明文の規定を持たないから、人は、殺人を犯してはならないという義務を負うものではなく、殺人をしたら刑罰に処せられるだけであると考えるのは不合理であろう。それと同様に、不法行為の規定は、権利侵害をしたときの事後処理のみを規定し、他人の権利を侵害しないような不作為義務を明文で規定していないから、人は、他人の権利を侵害しないような不作為義務を不法行為上負うものではないと考えることも不合理である。むしろ、民法709条により、損害発生の危険のある権利侵害は、違法行為として一般的に禁止されており、すべての人に、それを回避するという不作為義務が課せられていると解すべきである。
そうだとすると、民法709条により、すべての人は、損害発生のおそれのある権利侵害をしてはならないという不作為義務を負っているのであり、この不作為義務を理由として、権利侵害のおそれのある者は、権利侵害を行おうとしている者に対して、民法414条3項に基づき、不作為義務の履行、すなわち、差止請求をなしうると解することができる。
もっとも、このように考えると、一方で民法709条の不作為義務に違反する行為が、他方で民法415条の債務不履行になるいうことになり、民法の体系が維持できなくなるのではないかとの疑問が生じるかもしれない。しかし、契約上の義務違反というのは、通常は作為義務違反であり、契約上の不作為義務違反というのは、競業避止義務等の例外的場合に限定される。したがって、通常は作為義務違反の場合は民法415条が適用され、不作為義務違反の場合は、競業避止義務違反等の例外的な場合を除いて民法709条が適用されることになるのであって、債務不履行と不法行為とを区別する実益が失われることにはならない。理論的にも、例えば、契約締結上の過失責任や安全配慮義務違反の行為を不法行為責任と見るか、契約責任と見るかについては、理論的に争いのあるところであるが、債務不履行と不法行為の要件がともに充足たされる場合につき、両者の競合を認めることで新たな問題が生じるわけではない。
問題の核心は、民法414条3項に定められた救済方法を契約上の不作為義務違反に限定するべきか、それとも、不法行為上の不作為義務違反の場合にも認めるかという問題であり、この問題は、例えば、民法416条の損害賠償の範囲の規定を民法709条の損害賠償の場合にも適用、または、準用することを認めるかどうかという議論と本質的な違いがあるわけではない。
いずれにせよ、不法行為上の不作為義務についても、民法414条3項に基づき差止請求をなしうると構成することにより、物権や人格権侵害の場合だけでなく、単なる財産権侵害のおそれがあるに過ぎない場合であっても、差止請求が認められる場合があることを説明できるだけでなく、不法行為法の特別規定である不正競争防止法3条が営業上の利益の侵害のおそれがある場合に差止請求を明文で認めていることの意味も体系上、明確に位置づけることができる。
確かに、すべての権利について差止請求を認めると、濫訴のおそれがあるとの危惧が生じるかもしれないが、それは、個別的な権利自体に内在する保護範囲の問題(たとえば、一般債権や営業上の権利等は、良俗違反的な侵害行為からのみ保護されているという問題)や、侵害のおそれの証明の問題の中で解決されるべき問題であろう。さらに、差止請求というと、永久的な差止めを考えがちであるが、差止めも、その期間を限定したり、地域を限定したり、さらには、適切な解除条件を付することにより、差止めを受ける側の権利の制限を最小限に抑えることも十分に可能である。その点で、差止めも、分割可能な金銭賠償と同様、柔軟な解決が可能であり、一般に考えられているのとは異なり、イチかバチかという硬直的な制度ではないことも確認しておく必要があろう (沢井・差止の法理47--48頁)。
差止請求の権利主体は、自己の権利が侵害にさらされている者である。実際に権利侵害が生じていなくても権利侵害のおそれがあれば差止めを請求できるのであるから、損害賠償請求よりも当然に権利主体の範囲は拡大される。
さらに、損害賠償請求の場合でも、民法711条により、生命侵害の場合には、被害者本人だけでなく、被害者の父母、配偶者、子が権利主体とされているのであるから、差止請求の場合にも、権利侵害により生命侵害もしくはそれに類する侵害が発生するおそれがある場合には、侵害を受けるおそれのある者だけでなく、その父母、配偶者、子は民法711条の類推により当然に差止めを請求できると解すべきであろう。近親者に生命の危機が迫っており、本人がそれに気づかず、もしくは、その危険の回避を怠っている場合に、近親者が差止めを請求することができず、本人が死亡してから損害賠償だけが請求できるというのは不合理だからである。
差止めの根拠条文のひとつが、民法709条だということになると、差止めの要件として故意・過失が必要とならないかが問題となる。しかし、本稿における差止請求の法律構成においては、民法709条の規定は、一般的不作為義務を引き出すために使われている過ぎず、権利侵害が発生した後の損害賠償義務を認める要件すべてが必要となるわけではないことに注意しなければならない。
他人の権利を侵害してはならないという一般的不作為義務に関しては、一般的な違法性のみを問題にすれば足り、個々の行為者の有責性を問題とする必要はないからである (不法行為の直接的効果として差止請求を認めようとする四宮・不法行為479頁は、差止請求の要件として有責性を問題にすべきでない理由につき、「差止請求権は、法秩序の防衛線を、不法行為によって発生した損害の後始末よりさらに前方に移動させて、違法行為を事前に阻止しようというのであり、したがって、ここで本質的なことは、法秩序の命令に従いうるのに従わなかったこと(一般的非難可能性)にあるのであって、行為者における人的非難可能性は問題とすべきでないからである。」と述べている)。また、本稿においては、差止請求は、一般的不作為義務に関する強制履行の方法として構成されているので、いったん不作為義務の存在が確定されれば、損害賠償の請求と異なり、本来の債務の履行を請求する場合には、故意・過失は必要とされないことも自明の原理である。
たとえ、一般的不作為義務の発生要件にも、故意・過失が要求されるという理論に立った場合においても、差止めの根拠条文が強制履行に関する414条3項であることを考慮すれば、故意・過失の要件は、実際上は、無視しうることが明らかである。なぜなら、権利侵害のおそれのある者が、差止めを請求した瞬間に、権利侵害のおそれのある行為をしようとする者は、侵害のおそれについて、故意・過失を有することになる。そして、訴訟における事実の判断時期は口頭弁論終結時とされているため、不作為義務の強制履行の方法としての差止請求においては、故意・過失の要件は常に満たされることになるからである。
以上述べてきたことから明らかなように、民法709条と民法414条3項に基づく一般的な差止請求の要件は、差止めの相手方の故意・過失を問題とする必要がなく、「権利侵害のおそれがある」ことのみである。
ただし、人格権・物権等の絶対権侵害の場合と異なり、単なる金銭的損害しか生じないような権利、いわゆる純粋財産侵害の場合には、自由競争、契約自由が広く認められている関係上、権利侵害の要件自体が、絶対権の場合よりも相対的に厳格になるのは避けられない。たとえば、ドイツ民法が、純粋財産侵害における損害賠償責任につき、「善良な風俗に反する方法で故意に他人に損害を加える」(ドイツ民法826条)ことを要件としているのも、そのような考慮が働いているためである。
後に述べる消費者の権利のうち、金銭損害のみが問題となる、いわゆる「選ぶ権利」の場合には、消費者の権利は、「公正・自由な競争によって形成された価格」で商品・サービスを購入する権利等として法的に構成されている。したがって、その権利が侵害されたというためには、「不当な取引制限によって」または「不公正な競争によって」そのような権利が侵害された場合に限定されている。
このような現象を捉えて、絶対権侵害以外の権利の差止めには、権利侵害以外に「受忍限度」を超えることが必要であると構成することも可能であるが (大塚・生活妨害の差止107巻3号474頁以下、107巻4号533頁)、本稿では、差止めの要件に権利侵害以外の要件を加重するという立場をとらず、具体的な権利の性質によって、そもそも権利自体の保護が悪質な行為に対してのみ保護が与えられている場合があり、その場合には、権利侵害といえるためには、侵害のおそれのある行為の違法性・悪質性が必然的に必要となるだけであるという考え方を採用している。これは、自由競争秩序の中で、事業者の営業上の利益が、他の事業者の「不正競争」という違法な侵害からのみ保護されていると考える方が、公正・自由な競争の場合も営業上の利益の侵害があるが、それは受忍限度を超えないと考えるよりも実態に即しているのと同様である。
差止めの一般的な効果は、民法414条3項に規定されているように、「将来ノ為メ」の「適当ノ処分」の請求であり、侵害行為の事前の停止、および予防に必要な行為の請求を意味する。もちろん、すでになされた侵害の除去が含まれることは、民法414条3項に明文で規定されている。
これらの効果は一般的に規定されているため、侵害のおそれのある権利の種類によって、その効果はさらに具体的に記述することが可能である。例えば、無体財産権侵害や、不正競争による営業利益の侵害のおそれがある場合には、「侵害の行為を組成した物の廃棄、侵害の行為に供した設備の除去その他の侵害の予防に必要な行為を請求することができる」(特許法100条。実用新案法27条、意匠法37条、商標法36条、不正競争防止法3条も同様)と規定されており、著作権侵害の場合には、「侵害の行為を組成した物、侵害の行為によって作成された物又はもっぱら侵害の行為に供された機械若くは機具の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる」(著作権法112条)と規定されている。
さらに判例によって認められている人格権侵害のうち、名誉侵害の場合には、表現の自由という重大な法益と衝突するにもかかわらず、出版物の発行の差止めまで認められている (北方ジャーナル事件・最大判昭和61・6・11民集40巻4号872頁)。
したがって、不作為義務の強制履行の方法としての差止請求の効果は、さまざまな事案にしたがって、柔軟に解釈されるべきであり、当事者の利害を最も良く調整できるよう、事案に即した適切な処分が選択されるべきである。
これまでの考察を通じて、一般的に、権利侵害のおそれのある者は、民法709条と民法414条3項に基づき、権利侵害のおそれのある行為をしようとする者に対して、その行為の差止めを請求できることが明らかになった。
これから論じようとする消費者の差止請求は、上記の一般的差止請求を基本として、欠陥商品や欠陥サービスによって、生活の安全を脅かされている消費者、および、悪質商法に代表される不適正な販売方法によって、金銭的損害の危険にさらされている消費者に対して、そのような欠陥商品や欠陥サービスの流通の停止、および、不当な取引制限又は不公正な取引行為を停止する権限を消費者個人に与えようとするものである。
営業利益と営業利益とが衝突する不正競争防止法の場合には、事業者に対して、他の事業者の不公正な営業活動を停止する差止請求が認められていることの対比からしても、消費者の生活利益と事業者の営業上の利益が衝突する消費者の差止請求の場合は、不正競争防止法の場合よりも、むしろ、より容易に、事業者の不公正な営業活動の差止めが認められるべきであることは明らかであろう。
以下においては、権利侵害のおそれがある者が消費者の場合に限定して、差止めの要件と効果を論ずることにする。ただし、差止めの権利主体、差止めの要件については、すでに一般的に論じたことと重複するので省略し、ここでは、差止めの根拠となる消費者の権利の内容、差止めの内容についてのみ論じ、全体的考察は、立法提案の形でまとめることにする。
消費者の差止請求を論じる場合、「消費者の権利」という概念は各地の消費者保護条例に規定されている外は、制定法上、明文の規定が存在しないため、消費者がどのような権利に基づいて差止めを請求できるのかを明らかにしておく必要がある。
消費者の権利として有名なのは、1962年にケネディが一般教書で提案した消費者の4つの権利といわれるもので、(1) 安全を求める権利、(2) 知らされる権利、(3) 選ぶ権利、(4) 意見が反映される権利がそれである。これらの権利は、非常にわかりやすく、消費者保護にとって大きな影響力を与えたが、知らされる権利は、安全を求める権利にとっても選ぶ権利にとっても不可分の権利であるため、それぞれの権利の関係があいまいとなっている上に、余りにも一般的な形で宣言されているため、わが国の制定法の解釈として構成するためには、かなりの修正が必要である。
この点、東京都の消費生活保護条例(東京都生活物資等の危害の防止、表示等の事業行為の適正化及び消費者被害救済に関する条例)で規定された消費者の5つの権利は、わが国の制定法上の権利を考慮して編成されており非常に有用である。東京都消費生活保護条例によれば、消費者の権利は、消費生活に必要な物資等に関連して、以下のように5つに分類されている (甲斐道太郎・清水誠編『消費者取引六法』(1991年版)183頁以下参照)。
このうち、第4の権利は手続き規定であるのでここでは省略し、また、第2と第5の権利は、純粋な作為請求に関するものであるのでこれを除外し、ここでは、不作為請求に関連する第1と第3の権利を取り上げることにする。
まず第1に、「生命及び健康を害されない権利」というのは、現在では絶対権としての人格権の中に位置づけられており、この侵害のおそれがある場合に、通常営利企業である事業者に対して、差止請求を含めた法的救済が認められるという点については、民法理論においてもすでに争いはなくなっている。
第2に、「不当な取引条件を強制されない権利」については、多少の解説が必要である。これは、具体的な事例に即して説明すると、たとえば、事業者がヤミ・カルテルによって、法外な値段を決定し、一般消費者がその価格で購入せざるをえなくなるような場合に、消費者には、「不当な取引条件を強制されない権利」があり、その権利の侵害を根拠に法的救済を求めることができるかという問題が生じる。裁判所は、石油ヤミ・カルテルによる消費者訴訟において、多少言葉は異なるが、消費者には、「公正な自由競争によって形成された価格で商品を購入する」利益を有しており、その利益の侵害は、不法行為法上保護される生活利益であるとして、この権利を実質的に承認するに至っている (山形地鶴岡支判昭56・3・31判時997号18頁、仙台高秋田支判昭60・3・26判時1147号19頁、判タ642号80頁)。
この権利は、もともと、ヤミ・カルテルの場合のような商品・サービスの価格の問題だけでなく、豊田商事のような悪質商法による契約勧誘等のように、不公正な取引を押し付けられないようにする問題を含めて考えられているので、本稿では、消費者には、「事業者の不当な取引制限又は不公正な取引方法によって金銭的損害を受けない権利」があると定式化することにする。
この権利は、その一部が、不正競争防止法によって、事業者にはすでに認められている。また、ドイツにおいては、定款に消費者の権利擁護を目的とすることが規定されている法人格のある消費者団体は、不正競争防止法にいう事業者としての資格を有しており、不正競争防止法の要件に該当する不正競争がある場合には、消費者団体は、不正競争防止法に基づき、差止めを請求することが認められている (小野昌延編著『注解不正競争防止法』(1990年)17頁以下、 松本「消費者私法ないし消費者契約という観念は可能かつ有用か」 32-33頁参照)。
さらに一歩を進めて、事業者ばかりでなく、消費者自身にも同様な権利があり、しかも、不正競争法2条に列挙された個別的な不正競争類型に縛られることなく、あらゆる不公正な消費者取引に対して、消費者の「不当な取引条件を強制されない権利」、もしくは、「不当な取引制限又は不公正な取引方法によって金銭的損害を受けない権利」に基づき、それに対応する事業者の具体的な不作為義務を根拠として、民法414条3項によって、不作為義務の強制履行の方法として差止めを請求できるというのが本稿の立場である。
差止めの効果は、一般の場合と同様、侵害の停止又は予防であるが、消費者被害の予防にとって重要な役割を果たすのは、商品の回収措置である。
欠陥商品によって消費者の生命・健康が侵害されるおそれがある場合、たとえば、消費者が、ある一定の時期に製造され、現在市販されている薬品に欠陥があるらしいという情報をキャッチした場合、従来の考えによれば、消費者が差止請求をする直接の相手方は、欠陥薬品の在庫を有している販売店ということになるが、消費者としては、その薬品を買う可能性がある店をすべて差止めの相手方にしようとしても、流通ルートが複雑なため、相手方の特定は困難である。この場合、メーカーに対して、差止めの一環として、欠陥商品の公表と欠陥薬品の回収を請求できれば、販売店を訴えるまでもなく、問題は解決する。というのは、メーカーは製造した薬品がどこに流通しているか特定できるので、欠陥薬品の回収を容易に行いうるからである。
この点、自動車に関しては、リコール制度、すなわち、自動車の構造・装置又は性能に設計又は生産上の欠陥があり、その欠陥が安全上又は公害防止上問題があると認められる場合に、自動車製作者等がその旨を運輸省に届け出て当該自動車を回収し無料で修理する制度がすでに存在している。そして、昭和44年度のリコール制度の発足以来、平成3年度までのリコール届出件数及び対象車両台数の累計は、それぞれ、837件、約1,767万台となっている (経済企画庁・ハンドブック 30頁)。
自動車型式指定規則(昭和26年9月18日 運輸省令第85号)第13条は、以下のように規定している。
このようなリコールの制度は、厳密にいえば、差止めの効果のみならず、すでに権利侵害が生じた後の現状回復措置をも含んだ制度であるが、このような制度の利点は、差止めの運用に際しても十分に考慮されるべきであろう。
最後に、これまで論じてきた、消費者の差止請求権を条文の形で表現して、本稿のまとめに変えることにする。消費者の一般的差止請求の法理は、判例法上形成された消費者の権利としての「事業者の提供する商品・サービスによって生命、健康を害されない権利」、「事業者の不当な取引制限又は不公正な取引方法によって金銭的損害を受けない権利」という2つの権利、および、それに対応する事業者の具体的な不作為義務、ならびに、民法414条3項を組み合わせることによって、解釈論として十分に成り立つものであると考える。しかし、消費者の差止請求権を立法提案の形にまとめることによって、これまでの主張を全体として明らかにすることができ、論理構造をより明確にすることができると考えるからである。
さらに、立法の形式に整えることによって、解釈論では限界があるが、法律理論としてぜひとも必要な項目を今後の政策課題として提示することが可能である。本稿において、解釈論としては無理だが、立法論としては必要と考えて、今回の立法提案の中に挿入した点は、差止請求権の権利主体に関するものである。
これまで、消費者の差止請求権が論じられてこなかった原因の一つは、「本稿の課題」でも述べたように、消費者被害の発生の危険を探知した消費者は、消費者被害の原因となる商品・サービスの購入をしなければ被害の未然防止を実現することができるため、差止請求の必要がなく、反対に、差止めが最も必要とされる商品・サービスの危険を知らない消費者は、差止請求もなしえないと考えられてきたからである。
確かに、消費者による差止請求は、自分自身のためだけでなく、被害のおそれををいちはやく探知した人、もしくは、すでに被害を被った人が、自分の家族を含めて、他人のために差止めを請求するという性格を持っており、個人の権利を原則とする私法的権利として構成することが困難であることは否定できない。
本稿では、生命侵害の場合にについて、被害者の近親者が損害賠償請求をすることを認める民法711条の法意を類推して、生命侵害のおそれがある場合に、近親者による差止請求を解釈論を展開し、権利主体の拡張を試みたのであるが、消費者被害を未然に防止するためには、これだけでは十分とはいえない。
そこで、立法論としては、差止めの権利主体を、被害のおそれのある者と世帯を同じくする者に拡大するだけでなく、不正競争防止法の新しい理論 (松本・消費者私法 32 - 33頁参照)を考慮して、被害のおそれのある者の所属する消費者団体にまで拡大し、さらに、危害情報をもっともよく収集しうる立場にある消費生活センターを有している地方公共団体にまで拡大することとした。
これまで、消費者の差止請求が、製造物責任の問題にせよ、不適正契約からの解放の問題にせよ、ほとんど論じられてこなかった原因の一つは、商品・サービスに欠陥があることを知っている消費者は、その商品・サービスの提供を拒絶する自由があるため、差止請求をする必要がなく、逆に、そのような危険を知らず、本当の危険にさらされている消費者は、危険を認識していないため差止請求をすることが不可能であるという、権利主体の問題にかかわっていることはすでに述べた通りである。しかし、現代の消費社会においては、抽象的な危険を認識しているにもかかわらず、商品・サービスの提供を拒絶できないことは、「本稿の課題」の例を見れば明らかであろう。
さらに、もう一つの原因を挙げるとすれば、それは、わが国の都市計画の例を引くまでもなく、事前に計画を立ててから行動を開始するのではなく、行動をしてみてから、都合の悪い点は修正するという、わが国の国民性に起因するように思われる。すなわち、われわれの思考パターンには、危険かどうかわからないことは、とにかくやってみて、危険なことがわかってからやめればよいという図式ができ上がっており、事前に差止めを請求しても、やってみなければわからないではないかという抗弁が説得力をもってきた。これに、消費者に差止請求を認めたりすれば、産業の発展が阻害されるとの産業優先の判断が加わって、差止請求を容易には認めないという風潮、すなわち、「 みだりに差止めを認めるべきではない」という差止めに対する根強い反対論が形成されてきたように思われる。
しかし、消費者の利益と事業者の利益を比較衡量しても、そもそも、事業者の営業上の利益が、消費者の生活上の利益に優先するとは考えられない。さらに、 先にも述べたように 、差止めは、イチかバチかの硬直的な制度ではない。強制履行の方法としての差止めの期間と範囲は、侵害を予防するに必要な範囲に限定される。しかも、事業者の側で、消費者の権利を侵害するおそれがないことを証明したり、それが困難な場合でも、侵害を予防するために侵害原因に関する情報を積極的に公開する等の措置によって、個々の消費者に適切な不買の権利を確保することによって、消費者の私法的な差止請求を意味のないものにすることも可能である。したがって、差止めを認めたら経済発展が阻害されるというのは、余りにも短絡的な発想であろう。
国民経済の発展のためには、産業の発展と同時に、国民生活の向上が考慮されなければならない。健康で文化的な国民生活を阻害するおそれがある場合には、原因となる営業活動を一時休止して、よく調査を行ない、阻害するおそれがないという証明がなされた場合にのみ、経済活動を継続すべきであろう。本稿で主張した消費者の差止請求の承認は、国民生活の向上を阻害するような産業の発展に対して、ストップをかける権限を消費者個人に付与することを意味する。つまり、事後的救済では取り返しのつかない深刻な消費者被害が跡を絶たない現状に鑑みれば、事故が起こる前に立ち止まって考えるシステムを、被害を一番敏感に感じている消費者のイニシアティブの下に構築する方が、事故を起こしてから事後的救済に力を入れるよりも国民経済的損失は圧倒的に少ないというのが本稿の基本的な視点である。
現在においても、深刻な消費者被害は、繰り返し発生しており、しかも、その多くは、深刻な消費者被害が実際に生じた後になって初めて、事業者の違法行為が判明するのが現実である。幸いにして、被害の発生の前に、消費者の権利を侵害するおそれのある行為が判明した場合には、違法性が強いとか弱いとかを吟味することなしに、侵害のおそれのある行為をする者の利益が被侵害利益に優先すると認められない場合には、合理的な期間かつ合理的な範囲に限定してではあるが、不作為義務の強制履行の一方法として、そのような行為の差止めを直ちに認めるべきである。侵害の可能性の厳密な検討、侵害利益と行為者の有する利益との厳密な利益衡量は、暫定的に設定された差止期間の間に行えばよいことである。法律がそのような被害予防の好機を逸するようなシステムしか持っていないとしたら、現代における社会秩序の維持システムとしては、著しく不適合であるといわざるをえない。
人間は、筆者を含めて、自己を正当化したがり、他人から批判を受けても、それを無視して、自分の発想だけで独走しがちである。事業者に対する消費者の差止請求は、その意味で、情報公開制度、環境事前評価制度と同じ発想から生まれた、事業活動に対する市民による最も辛口の批判である。このような批判を無視するのではなく、批判に十分に耳を傾け、事故防止、損害防止に努め、安全対策を公開して、差止請求が理由のないことを十分に説明してから事業活動を開始する時間的余裕を持つことが、経済大国に成長したわが国の事業活動に求められている最大の課題であろう。
消費者は、事業者の提供する欠陥商品や欠陥サービスによって生命・健康を害される危険にさらされているばかりでなく、ヤミ・カルテル等に代表される不当な競争制限や悪質商法に代表される攻撃的で不適切な取引方法(不公正競争)によって金銭的損害の危険にさらされている。
このような消費者被害を未然に防止するために、行政法としての事業者規制法が大きな役割を果たしていることは疑いがないが、行政規制も万能ではなく、消費者自身のイニシアティブによって、欠陥商品・欠陥サービスの流通の差止めや、攻撃的で不適切な取引方法を差し止めることを可能にするための法理論を確立することが必要・不可欠となっている。
そこで、筆者は、消費者被害を未然に防止するために、差止請求権に関して、以下の2つの理論構成を行った。
第1に、消費者の差止請求権を導くための前提として、すべての人は、権利侵害のおそれがある場合には、不法行為法上の不作為義務(民法709条)を根拠として、民法414条3項によって、その不作為義務の強制履行の方法として差止めを請求できることを論じた。
第2に、消費者は、消費者の「生命および健康を害されない」権利、および、「不当な取引制限又は不公正な取引方法によって金銭的損害を受けない」権利に基づき、その権利に対応して事業者に課される不作為義務を根拠として、上記の消費者の権利の侵害のおそれがある場合には、その不作為義務の強制履行の方法として、民法414条3項によって、事業者の行為の差止めを請求する権利があることを論証した。