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第1回 法律家の思考パターン(IRAC)

作成:2006年8月14日

明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂


講義のねらい


第1回の講義では,法教育のあり方,法律家の思考パターン(IRAC),契約法で何を学ぶのかについて説明します。今回の講義で学ぶべき項目は以下のとおりです。

  1. 法教育に関する前提知識
    1. 司法制度改革の要としての法科大学院の教育理念
      • 新しい法教育を考える上で,法科大学院とはどのような機関であり,どのような理念の下に,どのような法教育がなされるのかを理解することが大切。
    2. 司法制度改革審の「意見書」の重要性
  2. 法教育の理念
    1. 専門的な法的知識の習得と創造的な思考力の育成
      • 「専門的な法知識を確実に習得」させるとともに,それを批判的に検討し,また発展させていく「創造的な思考力」を育成する。
    2. 法律家としての事案解決能力(「法的分析能力」,「法的議論の能力」)の育成
      • 「法的分析能力」と「法的議論の能力」とは,法科大学院のすべての学生が達成すべき教育目標である。これが何を意味するかをIRACというキーワードと動態的なピラミッド図を用いて解説することが,今回の講義の最大のポイントとなる。
  3. 法律家の思考パターン(IRAC)の理解
    1. 法的分析能力(閉鎖系としてのIRAC
      • 適切なルールに基づいて,重要な事実と争点とを発見する(Issue)。
      • 発見された事実と争点に基づいて,最適ルールを発見する(Rules,Resources)。
      • 以上の視点の移動を繰り返し,事実にルールを適用する(Application)。
      • 以上のプロセスを通じて,一方の当事者にもっとも有利な紛争解決案を創造する(tentative Conclusion)。
    2. 法的議論の能力(開放系としてのIRAC
      • 以上とは反対に,相手方当事者の立場に立って,相手方当事者にとってもっとも有利な紛争解決案を創造する(Argument, Another tentative Conclusion)。
      • 両方の解決案を対立させ,議論することを通じて,より高い次元で両者が納得できる最適な解決案を追求する(Argument, Conclusion)。
  4. 契約法で何を学ぶのか
    1. 契約の流れ
      • 契約全体を,契約の類型とは無関係に,以下のような1〜4に至る流れ(フロー)として理解する。
      • 1.契約の成立,2.契約の有効・無効,3.契約の効力の発生・停止,4.契約の履行,または,契約不履行とその救済
    2. 契約の類型
      • 13の典型契約を構造化して理解する。
      • まず契約の流れを理解し,次に契約類型ごとに契約の流れの特色を知ることによって,契約法全体を体系的に理解できるようになる。

1 法教育の目標


皆さん,おはようございます。これから,契約法の第1回目の講義を始めます。第1回目なので,契約法で何を学ぶのかという講義の全体にかかわることをお話したいと思います。そして,契約法の話に入る前に,この講義の特色を明確にするために,まず,従来の法教育の問題点に触れ,それを克服するために設立された法科大学院における法教育の理念と目標と具体的な方法について考えてみたいと思います。そうすれば,この講義のねらいが,単に契約法の内容を伝えるだけでなく,民法の真髄を理解するための新しいプロセスにあるのだということを理解していただけると思います。

A. 従来の法教育に対する反省

今から70年ほど前に書かれた[末弘・法曹雑記(1936),嘘の効用(1954)229頁]によれば,日本の法教育の現状と問題点が以下のように的確に表現されています。

法教育を含めて,すべての教育は理論の他動的教授によってのみ与えられると考えられてきた。講義では先生は常にまず学理と原則とを教える。それを説明する手段として多少の実例が引照説明される。先生は独断的に理論とその展開ないし応用を説ききかせるのみであって,学生の立場は徹頭徹尾受動的であった。
今までの教育方法は,知識を分量的に増加させることができる。しかし心と力とを養うことができない。学生は,幾多の理論的知識を得ることができるが,具体的事件に直面した場合に自分の知っている知識のうちどれをあてはめると問題が解決されるのか,それを直観的に判断決定すべき力を全くもたない。

このような的確な指摘にもかかわらず,わが国の法教育が,その後も,本質的には全く変わっていないことは,驚くべきことでもあり,私たち法教育にたずさわる教師が深く反省しなければならない点だと思っています。

B. 法科大学院はなぜ設立され,何をめざしているのか

法科大学院は,先に述べた法教育の問題点(一方的な講義方式)を克服するために,2004年にアメリカのロー・スクールにならって設立されました。法科大学院の法教育のあり方は,やがて,すべての法学部の教育目標となることが予想されるほどにすばらしいものです。したがって,法を学ぶ全ての人に参考になると思います。

ところで,法科大学院の学生は,法曹になるとか,法に関わる仕事に就くことを目標に法科大学院に入学します。そして,当面の目標は,第1に,法科大学院の課程を無事修了して,新司法試験受験の資格を得ること,第2に,司法試験に合格して,法曹資格を得ることです。

しかし,司法試験に合格して法曹資格を得るためというのであれば,従来の司法試験を受験して合格するという道もまだ残されています。その道ではなく,法科大学院に入学して,新司法試験の合格を目指すということは,従来型の法教育に甘んじるのではなく,司法改革の流れの中で誕生した法科大学院の理念を体現するような法教育,すなわち,法理論教育を中心としつつ,実務教育の導入部分をも併せて実施し,実務との架橋を強く意識した教育を受けて,理論にも実務にも強い法曹となることを目指す決意をしたということになります。

それでは,従来の法曹と司法改革を通じて目標とされている法曹とはどこが違うのでしょうか。司法改革をリードしてきた司法改革審の「意見書」を読んでみましょう。

司法制度改革審議会『意見書−21世紀の日本を支える司法制度』(2001年6月12日)(http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/report/ikensyo/index.html)

司法改革審「意見書」は,「新しい法曹」を論じるに際して,社会に生じる紛争を解決する役割を担っている法曹と個人の体に生じる病気を治す役割を担っている医者との対比から出発し,法曹を「国民の社会生活上の医師」として位置づけています。そして,医療サービスにおいて,カルテを見せない医療から,インフォームド・コンセントに基づく公正で透明な医療サービスの提供を行なう医療へと改革を行っているのと同様,法曹の場合も,権威主義的なイメージを払拭し,法的サービスを求める市民にとって「より利用しやすく,分かりやすく,頼りがいのある」法的サービスを提供できる法曹へと改革をしていく必要性が強調されています。

法科大学院で何を学ぶのかという問に答えるためには,常に,「法科大学院はなぜ設立されるようになったのか」を考え,司法制度改革審議会『意見書−21世紀の日本を支える司法制度』(2001年6月12日)の「国民の期待に応える司法制度」,「司法制度を支える法曹の在り方」の箇所を何度でも読み返し,なぜ自分が法科大学院に所属しているのかを確認することが重要です。

そもそも,この「意見書」を読まずに法科大学院に入学した人は,自分が就職する会社がどんな会社なのか全く知らずに就職したようなものです。大学でどのようなことを勉強するのかを知らずに入学した大学生と同じであり,恥ずかしいことだと自覚してください。

人にもよるので,一概には言えませんが,昔は偉そうにしているお医者さんが多かったと思います。自分の病気について詳しく聞こうとすると,「難しいことは素人にはわからないのだから,医者の言うことをよく聴いて,従っておけばよいのです」といって,患者の病気について,患者に情報を提供することはありませんでした。そして,一番重要なカルテは,ドイツ語で,患者にわからないように書くというのが主流でした。それが,現在では,さまざまな改革を通じて,インフォームド・コンセントが主流となり,患者に情報を提供するのはごく当たり前になってきています。プロフェッショナルが自分の責任で治療方法の全てを決めるというのではなく,プロフェッショナルとしての医師が,素人の患者に十分な説明をし,患者とのコミュニケーションの中で,合意に達した治療を進めていくというのが,現在の医療のあり方になりつつあると思います。

これに比べて,法曹はどうでしょうか。弁護士も,検察官も,裁判官も,国民からは近寄りがたい存在だと思われているのではありませんか。それでは,「司法制度を,国民にとって,より利用しやすく,分かりやすく,頼りがいのあるものとする」という司法改革の目標は,どのようにして実現可能なのでしょうか。

改革には,強制的な改革と自発的な改革があるとされています。強制的な改革は,実現の可能性が強い反面,長続きしないという弊害があります。自発的な改革は,実現すれば長続きするかもしれませんが,いつまで待っても実現しないという危険性があります。そうだとすると,半分強制的で半分自発的な方法というのが現実的なのでしょう。半分強制的で半分自発的というのは,なかなかいいものです。皆さんの勉強も,自発的にやれれば一番いいのですが,一人だけでやろうとすると,たいていの場合,サボってしまうか,挫折するかのどちらかです。反対に,勉強が強制されると,苦しくなって止めてしまうか,自分から勉強するという習慣がつかず,将来性のない人になってしまいます。改革には,半分強制的で半分自発的な方法というのがふさわしいのです。そして,司法改革の場合の方法というのは,閉鎖的な法曹界に,強制的に競争原理を導入するということになります。具体的には,法曹人口を増加させ,公正で自由な競争を巻き起こし,自発的に改革しなければ淘汰されるが,自発的な発想で改革を進めれば,収入も増え,相手も満足し,社会正義も実現できるという仕組みを作り上げることです。

C. 法教育の理念・目標・方法

司法制度に競争原理を導入する際に必要となるのは,最低条件をクリアした者同士による公正・自由な競争がなされるということです。医者の場合もそうですが,安いだけで一定レベルに達しない医者にかかったら患者は大変なことになります。それと同じように,法曹の場合にも,法的サービスを求める市民に対して,具体的な生活状況ないしニーズに即した法的サービスを提供できるプロフェッショナルとしての「専門的な知識を確実に習得」していることが最低条件となります。言い換えれば,法曹としての最低条件とは,具体的な問題について適切な解決案を提示できる「法的分析能力」と,相手方の出方に応じて,最適な解決案を導き出せる「法的議論の能力」を兼ね備えていることでしょう。それを前提として,法的サービスを求める市民を満足させるためには,法曹は,知識が豊富なだけではいけない。「かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性」をも兼ね備える必要があるというのが,司法改革の目標となっています。

それでは,そのようなプロフェッショナルとしての知性と豊かな人間性を兼ね備える法曹はどのようにすれば育成できるのでしょうか。法科大学院の教育目標においては,まさに,このような知性と人間性を兼ね備えた人材の育成にあり,その方法が以下のようにまとめられています。

法科大学院の目的
 法科大学院は,司法が21世紀の我が国社会において期待される役割を十全に果たすための人的基盤を確立することを目的とし,司法試験,司法修習と連携した基幹的な高度専門教育機関とする。

法科大学院の教育理念
 法科大学院における法曹養成教育の在り方は,理論的教育と実務的教育を架橋するものとして,公平性,開放性,多様性を旨としつつ,以下の基本的理念を統合的に実現するものでなければならない。

  • 「法の支配」の直接の担い手であり,「国民の社会生活上の医師」としての役割を期待される法曹に共通して必要とされる専門的資質・能力の習得と,かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性の涵養,向上を図る。
  • 専門的な法知識を確実に習得させるとともに,それを批判的に検討し,また発展させていく創造的な思考力,あるいは事実に即して具体的な法的問題を解決していくため必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する。
  • 先端的な法領域について基本的な理解を得させ,また,社会に生起する様々な問題に対して広い関心を持たせ,人間や社会の在り方に関する思索や実際的な見聞,体験を基礎として,法曹としての責任感や倫理観が涵養されるよう努めるとともに,実際に社会への貢献を行うための機会を提供しうるものとする。
教育内容及び教育方法
  • 法科大学院では,法理論教育を中心としつつ,実務教育の導入部分(例えば,要件事実や事実認定に関する基礎的部分)をも併せて実施することとし,実務との架橋を強く意識した教育を行うべきである。
  • 教育方法は,少人数教育を基本とし,双方向的・多方向的で密度の濃いものとすべきである。
  • 法科大学院では,その課程を修了した者のうち相当程度(例えば約7〜8割)の者が新司法試験に合格できるよう,充実した教育を行うべきである。
  • 厳格な成績評価及び修了認定の実効性を担保する仕組みを具体的に講じるべきである。

D. 法曹に要求される能力

ここでは,法科大学院の教育目標のうち,法曹資格のキーポイントとなる,「法的分析能力」と「法的議論の能力」について説明することにしましょう。上記の司法改革審「意見書」の教育理念(上記の太字の箇所)は,一見すると,「専門的な法知識を確実に習得させ」た後に,それを批判的に検討・発展させていくのが「創造的な思考力」であるかのようにも読めます。しかし,「創造的な思考力」を育成するために,まず,「専門的な法知識を確実に習得させる」という順序で教育したのでは,結局,「専門的な法知識を確実に習得する」という従来の法曹教育の段階で時間切れとなってしまい,最も重要な「創造的な思考力」を育成することはできないことが明らかです。そこで,新しい法教育では,「専門的な法的知識を確実に習得させる」という最初の段階から,以下に述べるような「批判的・創造的な思考力を育てる」ための周到な準備を行い,専門的な法的知識を確実に習得させると同時に,批判的・創造的な思考力を育成することのできる新しい教育方法を実現する必要があるということになるのです。

そして,創造的な思考力を育てるための新しい教育方法のヒントは,実は,上記の意見書の法科大学院教育の基本理念の後半部分,すなわち,「事実に即して具体的な法的問題を解決していくために必要な法的分析能力や法的議論の能力等を育成する」という部分において,すでに明確に示されています。ここで大切なことは,「事実に即して具体的な法的問題を解決する」という最終目標が示され,そのための方法として,「必要な法的分析能力や法的議論の能力等」の育成の必要性が明確に位置づけられているということです。

a) 法的分析能力

批判的・創造的な思考力を育てるためには,従来の教育方法とは逆に,まず,具体的な事例を示し,その問題を解決するためのルールを検索し,適切なルールを「発見する能力」を育てることが重要です。そして,適切なルールが見つからない場合であっても,既知のルールから,それを導き出している原理に立ち返り,既知のルールを構成しているさまざまな要素を分析し直し,従来の解釈方法(拡大,縮小,反対,類推等)を縦横に駆使しながら,ルールの要素を新たに組み替えなおし,問題解決に適した新しいルールを創造しながら,問題を解決するという「要素を組み替える能力」を育てなければならないのです。このような「発見する能力」,「要素を組み換える能力」を基盤とした「創造的な思考力」を育成する過程を通じて,教育目標の最初に掲げられていた「専門的な法知識を確実に習得させる」ことが,正しく実現されると考えるべきでしょう。

上で述べた「事実の発見」と「法の発見」のプロセスは,法的紛争解決プロセスの中でもっとも重要な問題なので,詳しく説明することにします。

法の目的は,紛争の平和的な解決です。その手段として,予め定められ,公開されたルールを使って紛争を解決しようとします。そして,紛争をルールによって平和的に解決するためには,以下のような4つのプロセス(IRAC)を経る必要があります。

法的分析能力の観点からみたIRACのプロセス(完結した体系としてのIRAC)
  1. 事案を検討し,重要な事実と争点とを発見する(Issue)
  2. 事案に適用されるべきルールを発見する(Rules, References or Resouses)。
  3. 事案の事実に,ルールの要件に当てはめる,ルールを適用する(Application)。
  4. 事案の解決案として,ルールの適用結果(和解案,判決案等)を提示する(Conclusion)。

第1に,事案を検討して,その事案の中で重要な事実は何か,何が争点となっているのかを見極めなければなりません(争点の発見:Issue)。

第2に,重要な事実が何かを判断するためには,事案に適用されるべきルールを見つけなければなりません(ルールの発見:Rules)。適用されるべきルールの発見は,多くの場合,法律の条文の法律効果(結果部分)に注目することによって実現できます。法律効果の種類は,法律要件の種類に比較すると,極端に限定されているので,適用されるべきルールを絞り込むことはそれほど困難ではありません。このようにして,法律効果を手がかりに適用されるべきルールを発見するという経験を積むことによって,ルール発見のコツをつかむことができるようになります。

第3に,適用されるべきルールに含まれる法律要件の観点から,問題となっている事実関係を評価し,その事実関係が適用可能なルールの法律要件に該当するかどうかを判断します(事案のルールへの当てはめとルールの適用:Application)。この事案のルールへの当てはめについても,抽象的なルールの要件について,普段から典型的な具体例を挙げる努力をしていくと,事案をルールの要件へと当てはめる作業をスムーズにこなすことができるようになります。

第4に,その事実が法律要件に該当する場合には,そのルールを適用して,ルールに定められたとおりの解決を行います。もしも,事実関係が適用可能なルールの法律要件に該当しない場合には,別のルールで同じことを繰り返すか,それが尽くされたにもかかわらず,事実関係がルールの法律要件に該当しない場合には,適用されるべきルールの結論とは反対の結論を導いて(反対解釈),紛争の解決を行うことになります(ルールの適用結論の提示:Conclusion)。

以上のプロセスを下の図1-1を見ながら確認してみましょう。まず,法律効果による絞込みを通じて,事実関係に適用可能なルール1が発見されたとします(ルールの発見)。そして,ルール1の観点から事実関係を見てみると,事実関係のうち,ルール1の要件に該当する事実1,事実2だけがピックアップされることがわかります(事実の発見)。そして,そのルールにしたがって解決案が提示できます(紛争解決案の提示)。しかし,その解決案が,事案の具体的な妥当性を確保できない場合には,他のルールを発見しなければなりません。

図1-1 事実の発見とルールの発見の相互関係

はじめの作業に戻って,次に,事実関係に適用可能なルール2が発見されたとします(ルールの発見)。発見されたルール2の観点から事実関係を見てみると,ルール2の要件に該当する事実2,事実3だけがピックアップされることもわかります(事実の発見)。このように,事実関係は,ルールのめがねをかけてみないと,重要な事実とそうでない事実とを区別できないことがわかります。反対に,ある事実関係に適用できるルールは,ただ1つとは限りません。複数のルールが適用可能な場合には,その事実関係を解決するのに最も適したルールを選択しなければなりません。その際の選択の基準は,多様であり,ただ1つの正しい答えが存在するとは限りません。たとえ,複数の適用可能なルールのうち,最終的にただ1つのルールが適用されることになるとしても,それは,そのルールが当事者双方,または,裁判官を説得できる結論を提示できるルールであったからに過ぎません(多様な紛争解決案の中からの選択)。

以上で,法曹の最低限の能力としての「法的分析能力」とは何かが理解できたと思います。次に,法曹として要求されるもう1つの能力である,「法的議論の能力」とは何かについて,詳しく検討することにしましょう。

b) 法的議論の能力

「法的議論」とは,もともとは,「法廷での弁論」をモデルとし,「賛成説と反対説とを激突させる厳しい議論」のことをいいます。そして,このような議論の概念は,法律学を社会科学の1つとして成り立たせるために,その理論の客観性を担保する手段として洗練されてきました。自然科学における「実験」という客観的な実証手段を持ちえない法律学においては,完全な客観性を実現することは無理としても,議論を通じて生き残った仮説には,反証されていないという意味での客観性(間主観性)があると考え,そのような仮説に基づいて学問体系を構築せざるをえません。したがって,法的議論とは,法律学を科学として成立させるための,最も重要な手段概念なのです。

法科大学院における「法的議論の能力」に関しては,議論の概念に立ち返ることができます。すなわち,「国民の期待に応える法曹」に要求される「法的議論の能力」とは,原告の立場と被告の立場をぶつけ合うという厳しい議論を通じて,最初から中立的な立場で問題解決策をみつけるよりも,より次元の高い,すなわち,両当事者にとって納得のできる問題解決策を導ける能力のことであるということができます。

そして,「国民の期待に応える法曹」になるには,何を学ぶべきかを常に自分の頭で考え,これまでのような権威主義的で,硬直的な考え方にとらわれないようにすることが大切です。

アメリカのロー・スクールでは,法的問題の解決に際して行われる法的分析を,(1)具体的事実の中から重要な事実や問題点をピックアップする争点の発見(Issue),(2)争点に関連するルール・法理の参照と発見(Rule, Resource or Reference),(3)発見されたルール・法理の重要な事実への適用(Application),(4)賛成説と反対説とを戦わせることによって自分の立論の弱点を知り,補強するための議論(Argument),(5)自分の最終的な立場を明確に表現する結論(Conclusion)というように,5つのプロセスに分類し,これを"IRAC"と名づけています。そして,法的問題を,"IRAC"に基づいて分析・検討し,説得的な解決案を提示できるかどうかを法的分析能力と法的議論の能力の判断基準としているといわれています。

なお,ここでのIRACの意味は,先に「法的分析能力」の観点のから捉えてきたIRACとは異なる意味が付加されていることに注意する必要があります。先に述べたように,法的分析能力の観点からは,IRACにおける"A"は,Application(ルールの適用)のみと捉えられていました。しかし,ここでは,新たに「法的議論の能力」の観点が追加されることによって,IRACの"A"には,Argument(議論)の意味が付加されます。これによって,法的分析能力の観点からは,静態的なもの捉えられていたIRACの意味が動態的なものへと進化します。なぜなら,「法的議論の能力」の観点が加わることにより,法的分析能力の観点からは完結したはずのConclusion(結論)が,実は,仮の結論(tentative Conclusion)に過ぎず,立場の異なる者との議論を通じて,よりより結論へと導かれるプロセスの一部に過ぎないということになるからです。つまり,「法的議論の能力」の観点が加わることにより,IRACは,完結した体系から,開かれた体系へと進化したことになります。

表1-1 IRACの動態的な理解
IRACの動態的解釈 IRACの実行主体
原告 被告 裁判所
法的分析 Issue 原告に有利な重要事実の発見 被告に有利な重要事実の発見 争点,重要な事実を確定する
Rules 原告に有利なルール・法理の発見 被告に有利なルール・法理の発見 事案の解決に適切なルール・法理を発見する
A Application & A tentative conclusion 原告に有利なルール・法理を適用して結論を導く 被告に有利なルール,法理を適用して結論を導く 原告と被告との議論を通じて,両者の妥当な点と,弱点とを発見する
法的議論 Argument & Another tentative conclusion 被告との対決によって弱点を補正して原告に有利な結論を導く 弱点を補正した原告との対決によって弱点を補正し,被告に有利な結論を導く
Coclusion - - 具体的に妥当な判決を下す

わが国においては,「法的問題の解決能力」の養成といえば,制定法のルールを要件と効果に分析し,さらに,要件を証明責任の分配法則にしたがって分類し,それに基づいて,主要な事実とそうでない事実とを振り分け,主要な事実(要件事実)だけを考慮して判決の起案を効率化するという,司法研修所における「要件事実」教育がその典型例とされています。そして,法科大学院においては,体系的な理論を基調としつつも,実務との架橋を強く意識した教育として,この「要件事実」教育を一部取り入れることになっています。

しかし,この「要件事実」教育については,画一的な要件分類に基づき「効率的に判決を書く」という観点に重きが置かれ過ぎているのではないかとの疑問が指摘されています。すなわち,要件事実教育の影響を受けた裁判官ほど,当事者の切実な主張であっても,要件に該当しないものは,単なる「事情」に過ぎないものとして切り捨てる傾向が強く,法科大学院の教育理念である「かけがえのない人生を生きる人々の喜びや悲しみに対して深く共感しうる豊かな人間性」とはかけ離れた,官僚的な判決を下すことが多いという弊害が指摘されています。したがって,法科大学院においては,司法研修所で行われている「要件事実」教育をそのままの形で導入するのではなく,それを批判的に検討し,少なくとも,画一的な要件分類はこれを廃止し,いわゆる当事者が主張する切実な「事情」をも取り込むことができる柔軟性を重視した,新たな「要件事実」教育を発展的に創造していくことが求められているといえます。


2 講師の自己紹介


講義のレベルの調整を行うため,学生の皆さんのこれまでの法律知識・経験をA4のレポート用紙1枚にまとめて披露してもらうとともに,講義への要望等をお尋ねするアンケートを実施します。以下の項目について自由に書いて,講義の終わりに提出してください。

皆さんが,アンケートに答えている間に,講師の自己紹介をしておきます。

私は,明治学院大学法科大学院の教授をしている加賀山茂です。大阪大学法学部,法律学研究科の博士課程で民法を専攻した後,4年半,国民生活センターという消費者情報機関で,消費者保護の実務を経験しました。その後,母校に帰って,大阪大学教養部の講師として,3年間,理科系の学生たちに法学を教え,ついでにコンピュータの手ほどきを受けました。民法の専門家である一方で,消費者法とコンピュータ関連法(法情報学)の専門家でもあるとの評価をいただいているのは,以上の経験を経ているからです。

その後,10年間,大阪大学法学部で助教授,教授として民法(物権,債権総論,債権各論)を教え,民法と消費者法と法情報学との接触領域に関する多数の論文を発表してきました。その後,名古屋大学法学研究科で9年間,債権法,家族法を教えた後,明治学院大学法科大学院で民法を教えております。

明治学院法科大学院は,先に紹介した司法制度改革審の意見書に即した教育を忠実に実践してよいということだったので,法科大学院が設立された翌年,名古屋大学を辞して,理想に燃えてこの大学にやってきました。法教育の理想型ともいえる法科大学院の教育理念と教育方法を着実に実践しようと張り切っておりますので,よろしくお願いいたします。


3 講義内容の概観


この講義は,契約法の全体像を,以下のように,契約の成立から履行に至るまでの時間軸に基づく「契約の流れ」という観点と,契約の目的に焦点を当てた「契約の種類」という2つの観点から考察します。この講義では,前者を「契約法総論」と呼び,後者を「契約法各論」と呼ぶことにしましょう。

A. 契約法総論(契約の流れ)

契約法の全体像を,契約の流れ(成立,有効・無効,効力の発生・停止,履行,不履行とその救済)にしたがって概観します。

図1-2 契約の流れ

契約の流れを考える場合に,婚姻の流れと対比すると理解が深まります。そこで,契約の流れと,婚姻の流れとを比較してみることにしましょう。

契約の流れと婚姻の流れを大雑把に比較すると以下のようになります。

  1. 契約の成立(民法521条以下)→婚姻の成立(憲法24条)
  2. 契約の有効・無効(民法5条以下)→婚姻の無効(民法742条(婚姻の無効),および,婚姻の取消し(民法743条(婚姻の取消し))
  3. 契約の履行(民法399条以下)→婚姻の効力(民法752条(同居,協力及び扶助の義務),民法760条(婚姻費用の分担))
  4. 契約の解除(民法540条以下)→離婚(763条以下)

第1に,婚姻契約の成立要件に関しては,憲法24条で明らかにされているように,「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立」します。民法上も,婚姻の届出は,成立要件ではなく,有効要件として規定されています(民法742条(婚姻の無効))。確かに,民法731条(婚姻適齢)以下は,婚姻の要件という表題になっており,通説はこれを婚姻の「成立」要件と考えています。しかし,この要件に反した場合の効果は,不成立ではなく,取消しであると明確に規定されており(民法743条(婚姻の取消し)),しかも,その取消しは,すでに子が誕生していること等を考慮して,遡及効がありません(748条1項(婚姻の取消しの効力))。だからこそ,婚姻の取消しには,財産法上でいうところの解除に該当する離婚の規定が準用されているのです(民法749条(離婚の規定の準用))。もっとも,戸籍法上は,婚姻の届出が婚姻の成立要件であるかのように取り扱われていますが,戸籍法も,憲法と民法との原則に従うのが本筋でしょう。このように考えると,婚姻は,当事者の合意だけで成立し(憲法24条),婚姻の届出は,婚姻の有効要件(民法742条2項)又は対抗要件と考えると,通説とは異なるかもしれませんが,財産法と家族法とを融合する非常に美しい体系が出来上がりそうですね。

第2に,婚姻の有効・無効については,婚姻の無効と婚姻の取消しが規定されています。もっとも,詐欺による婚姻の取消しの消滅時効は,とても短かくて,わずか,3ヶ月(民法747条2項)です。財産法の場合の詐欺・強迫に基づく取消権の消滅時効は,5年又は20年ですから(民法126条),立法者が,財産関係と比較して,婚姻関係の安定性を重視していたことがわかります。

第3に,婚姻が成立し,かつ,無効や取消しがなされない場合には,婚姻当事者は,憲法24条1項に規定されているように,「夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない」ということになります。民法752条は,同様のことを,「夫婦は同居し,互いに協力し扶助しなければならない」と規定しています。

第4に,婚姻の当事者の一方が,相互の協力をしない,例えば,家事をしない,育児もぜんぜん手伝わないという場合には,財産法と同様,相手方に対する救済が問題となります。ただし,同居・協力義務は履行強制はできないので,それが自然債務なのか本当の債務なのか,見解は分かれていますが,いずれにせよ契約不履行ということになり,他方当事者は,裁判上の離婚を請求できるということになります(民法770条)。

このように,婚姻の流れと,契約の流れとを比較することによって,契約の流れの意味が理解できたことと思います。

余談になりますが,両者に共通していえることは,流れの縦の本筋よりも,横道の方が論点が多く,事件も多いということです。一般的に行って,法律家は,社会生活がうまくいっているときはお呼よびはかかりません。お医者さんの場合だって,健康のために病院いくってのは少ないですよね。病気になってはじめて医師にかかるというのが通常でしょう。法律家も,トラブルが起こって初めて呼ばれるというわけです。法律家は,契約がうまく成立し,契約の目的どおりの履行がなされている場合には,無視されている。目的どおりの履行がなされない場合に,損害賠償ができるかとか,解除できるかとかが問題となり,そのときに,まさに,法律家の出番が来る。みなさんの将来も,このような契約不履行をうまく解決できるかどうかで,評価が決まるわけですから,しっかり勉強しなければなりませんね。そして,契約不履行の問題をうまく解決しようとすれば,元に戻って,債務の本旨に従った履行(民法415条)とは何なのか,すなわち,本旨弁済とは何なのか,しっかり理解しておかなければならなりません。

B. 契約法各論(典型契約論)

この講義では,契約の全体像を契約の流れに基づいて説明した後に,民法に規定された13の典型契約ついて説明します。13の類型というのは,数が多すぎて,理解が困難です。そこで,民法に規定された13の典型契約をさまざまな視点,主として,契約の目的(財産権の移転等)と性質(諾成・要物性,双務・片務性,有償・無償性,結果債務・手段債務)という視点から分析・整理することが必要になります。

そこで,ここでは,皆さんといっしょに,13の典型契約を契約目的に従って構造化してみることにします。

第1に,13の典型契約を,「1.財産権を移転する契約」と「2.それ以外の契約」に分けます。「1.財産権を移転する契約」の分類は簡単で,A.無償契約(贈与)とB.有償契約(売買,交換)に分類できます。

第2に,「2.財産権を移転する契約以外の契約」の分類は複雑です。しかし,それらを,A.物の利用を目的とする契約,B.労務の提供を目的とする契約,C.物又は労務の利用を利用して事業をする契約,D.紛争を解決する契約というように,4つに分類すると全体の見通しがよくなります。その上で,A.物の利用を目的とする契約は,代替物を目的物とする消費貸借契約と特定物を目的物とする契約とに分類します。そして,特定物を目的物とする契約は,さらに,無償の使用貸借と有償の賃貸借契約とに分類することができます。ややこしいのは,労務の利用を目的とする契約ですが,まず,労務を時間決めで利用する雇用契約と労務を仕事の完成のために利用する請負契約に分類し,その他は,委任と寄託に分類します。

第3に,物又は労務を利用して事業をする契約を,事業を行う契約である組合と,年金を与える終身定期金とに分類します。そして最後に,紛争を解決する契約として和解を位置づけると分類が終了します。13の典型契約は以下のように構造化されます。

時間もきましたので,第1回の講義をこれで終了します。先ほどお願いした自己紹介のレポートを忘れずに提出してください。次回は,契約法の学習方法と,皆さんが一番気にしている定期試験,それに,司法試験の問題を解くために,この講義がどの程度役に立つのかについて,お話をしたいと思います。


講義のまとめ


  1. 法教育の目標
  2. 法教育の方法
  3. 法律家の思考パターンとその習得
  4. 契約法の講義内容

参考文献



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