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作成:2006年9月18日
講師:明治学院大学法科大学院教授 加賀山 茂
書記:竹内 貴康,藤本 望 編集:深川 裕佳
契約不履行の救済手段のうちのひとつである損害賠償請求権の要件のうち,因果関係の問題について説明する。この問題は,責任の要件とも,また,損害賠償の範囲にも関係し,理解が困難な問題とされてきたが,「あれなければこれなし」という事実的因果関係の考え方,および,原因とされるものが結果の出現頻度を高めるかどうかという相当因果関係の考え方の2つについて,それらの限界を含めて正確に理解すると,それほど困難な問題ではないことがわかるはずである。
図24-1 契約の流れにおける契約不履行の位置 |
因果関係は,以下の2つのプロセスを通じてその存否が判断される。
以上の2つのテストによって,相当因果関係があるとされる「通常損害」に関してのみ,加害者に対して,民法709条の一般不法行為責任が課されることになる。反対から言えば,事実的因果関係のない損害,および,事実的因果関係はあるが,相当因果関係のない「特別損害」は,損害賠償の範囲から除外されることになる。なお,相当因果関係があるとされる「通常損害」には,経験則上蓋然性の高い「通常事情から生じる通常損害」と,合理人にとって予見可能な「特別事情から生じる通常損害」とが含まれる。
以上の因果関係のテストについて,それぞれの考え方をさらに詳しく説明することにする。
「Aがないならば,Bが生じない」という関係があるときに,AとBとの間に事実的因果関係があるという(¬A → ¬B ⇔ A → B)。
「AからBが生じる(AならばBである)」ことを証明することは困難である。そこで,以下のような,「あれなければこれなし(sine qua non)」という方法によって,AからBが生じたことを証明することになる(but for テストともいう)。
原因がひとつである場合には,この方法(あれなければこれなし)は論理学的に正しいし,説得的でもある。
図24-2 "sine qua non" の論理 |
(a→b∧b→a),すなわち,単一原因のときにのみ (a→b)と(¬a→¬b)とは同値となる。 |
例えば,スモン病の原因として,キノホルム剤とウィルスとの両者が疑われたが,キノホルム剤の販売が停止されてからスモン病は発症していないことから,キノホルム剤とスモン病との間に因果関係があることが判明したというのは,事実的な因果関係の一例である(横浜地判昭53・3・1判例時報879号26頁(北陸スモン訴訟第1審判決),東京地判昭53・8・3判例時報899号48頁(東京スモン訴訟第1審判決),福岡地判昭53・11・14判時910号33頁(福岡スモン訴訟第1審判決)など)。
講師:それでは,事実的因果関係について,その考え方の基本と有用性が理解できたかどうか質疑で確かめてみることにしましょう。Aさん,事実的因果関係の考え方は,どういう場合に有用ですか。
学生A:薬害訴訟などで,その薬品によって被害が生じたかどうか,科学的な解明がなされておらず,製薬会社が因果関係を認めない場合に使えると思います。
講師:そうですね。そのような場合に,事実的因果関係の考え方をどのように使うのですか。
学生A:たとえば,その薬品を使用の差止めを請求したり,行政に働きかけて発売を中止してもらったりします。そして,その後,問題となっている被害が全く生じなければ,「あれなければこれなし」の考え方を使って,発売中止になった薬品と被害との因果関係の証明ができることになります。
講師:実際の例としては,どのようなものがありましたか。
学生A:スモン訴訟がその例です。
講師:その他にもありますか。スモン訴訟よりも前に和解がなされた有名な事件があるのですが,誰か知りませんか。手があがりましたね。Bさん。
学生B:サリドマイド事件もそうだと思います。
講師:その通りです。サリドマイド事件(1963年提訴)の場合は,サリドマイド剤による催奇形性の機序について科学的な解明がなされていないため,被害者がおこなわなければならない因果関係の証明は困難を極めたそうです。そして,製薬会社の反論に対して,原告弁護団決め手を欠いていたようです。しかし,1961年にドイツで原因物質であるサリドマイドを含有する催眠薬(コンテルガン,日本ではイソミン)の発売が禁止されてから,被害が全く生じなくなり(あれなければこれなし),そのことが,論争に決着をつけることになったといわれています。詳しくは,文献[サリドマイド裁判(1976)61頁以下]を読んでみてください。
"sine qua non"(あれなければこれなし)のテストが有効であるのは,原因が1つである場合に限られる。したがって,原因が複数存在する場合には,"sine qua non"(あれなければこれなし)のテストによって,個々の原因と結果との関係を判断することはできない。
共同不法行為の類型 |
各人の排出量 (致死量=10r) |
排出量 |
全損害を6,000万円としたときの |
|||||
A |
B |
C |
A |
B |
C |
|||
1.必要的共同 | 4r | 4r | 4r | 12r | 2,000万円 | 2,000万円 | 2,000万円 | |
2.集合的共同 | 5r | 5r | 5r | 15r | 2,000万円 | 2,000万円 | 2,000万円 | |
3.累積的共同 | 10r | 10r | 10r | 30r | 2,000万円 | 2,000万円 | 2,000万円 | |
4.択一的共同 (右の3つの場合の いずれかが不明) |
10r? | 0r? | 0r? | 10r | 2,000万円 | 2,000万円 | 2,000万円 | |
0r? | 10r? | 0r? | ||||||
0r? | 0r? | 10r? | ||||||
5.教唆・幇助的共同 | 教唆的 | 12r? | 0r? | 0r? | 12r | 2,500万円 | 2,500万円 | 1,000万円 |
幇助的 | 5r? | 5r? | 2r? | 12r | 2,500万円 | 2,500万円 | 1,000万円 |
原因が複数ある場合に,そのまま,sine qua non テストを行うとことごとく失敗する。例えば,上の表の場合,sine qua non テストによると,Aが有毒物質を各人がそれぞれ4mgしか排出しない場合には,各人の行為と損害発生との間に事実的因果関係がある(全額損害賠償責任を負う)とされるのに対して,各人がそれぞれ5mg排出すると,各人の行為と損害発生との間には事実的因果関係はないとされ,さらに,各人が10mg排出すると,これまた,すべての人の行為と損害発生との間に事実的因果関係はないとされる。これは,sine qua non テストが,因果関係の完全な定式化とはなっていないためである。
講師:事実的因果関係の「あれなければこれなし」の考え方の限界について質疑で確認していくことにしましょう。A,B,Cが4mgずつ有害物質を排出してXが死亡したとします。Aの行為とXの死亡との間には,事実的な因果関係がありますか。Cさん。
学生C:因果関係があります。
講師:なぜですか。
学生C:Aの行為を取り除いて考えると,有害物質の排出量は,8mgで致死量に達しないので,Xは死亡ません。つまり,Aの行為がなければXの死亡もないので,Aの行為とXの死亡との間には事実的な因果関係が認められます。
講師:よろしい。BとCについても同じことが言えますね。しかし,そうだとすると,AもBもCもそれぞれがXの死亡について単独で因果関係を有することになり,その結果,AもBもCも単独不法行為(民法709条)の要件を満たすことになってしまいます。このことは,そもそもの前提(AもBもCも単独では,死亡事故を起こせない)と矛盾する結論が生じてしまいます(複数原因の場合には,sine qua nonはすべての場合について誤った結論を導くので注意が必要である)。ここでは,このことはひとまずおいておきましょう。
講師:次の例に移ります。AとBとCとが先の例よりも1mgずつ有害物質の排出を増加させて,5mgずつ排出したとしましょう。この場合,Aの行為とXの死亡との間には,事実的な因果関係がありますか。
学生C:最初の例よりも多くの毒物を排出しているのですから,もちろん,因果関係があります。
講師:本当ですか。理由を述べてください。
学生C:Aの行為を取り除いて考えると,有害物質の排出量は,BとCとで10mgとで致死量に達します。そして,「あれなければこれなし」の考え方を使うと,Aの行為がなくてもXの死亡という結果が出てしまうので,えーっと,Aの行為とXの死亡との間には,事実的な因果関係がないということになります…。あれ,変な結果になってしまいました。
講師:見事にひっかかりましたね。はじめに言った結論(最初の例よりも多くの有害物質を排出したのだから因果関係がある)と,後で言った理由(あれなくてもこれあり)とが食い違いましたね。
講師:各人が4mgを排出したらXの死亡について単独でも因果関係があるとされるのに,各人が5mgを排出したら逆に因果関係がないことになるというのは明らかに変です。さらに,A,B,Cが有害物質の排出量を増加させて10mgずつ排出した場合には,全員が,単独不法行為の要件を満たしているのに,「あれなければこれなし」の考え方を使うと,全員が事実的因果関係がないことになります。このことをどのように考えたらよいのでしょうか。
学生C:混乱してしまいました。わかりません。
講師:Dさん,どうですか。
学生D:「あれなければこれなし」の考え方は,単独原因の場合にしか使えないということなのでしょうか。
講師:そうなのです。具体的に考えると,「あれなければこれなし」の限界がよくわかりますね。複数原因の場合には,「あれなければこれなし」の考え方は使えないのです。その理由は,「Aの行為→Xの死亡」という因果関係の証明について,「¬(Aの行為)→¬(Xの死亡)」で代替させることが論理学的には誤っているからです(逆必ずしも真ならず)。代替ができるのは,「Xの死亡→Aの行為」が成り立つときだけなので,複数原因の場合には,「あれなければこれなし」を使うことができないのです。複数原因のときは,表24-1にあげたような量的な思考をしないと問題は解けません。後で,論理学の復習をしておきましょう。
事実的因果関係があることを前提にして,さらに,Aの存在が,Bの生じる蓋然性を高める関係にある場合に,AとBとの間には,相当因果関係があるという。
相当因果関係説は,ドイツのクリース(J. von Kries)によって初めて主張された理論である[Kries, Wahrsheinlichkeit(1889) S.531]。クリースによって主張された相当因果関係の理論の概要は以下の通りである[浜上・現代共同不法行為(1993)288-292頁]。
一定の行為が損害をもたらしている関係は,一定の行為が,損害発生の蓋然性を高めているときに認められる。このことが認められる場合には,それは,一般的因果関係(ein genereller ursaechlicher Zuzammenhang)があるということができる。その一般的因果関係は,もし行為がなければ生じていないであろうという必要的因果関係の存否によって定まる具体的因果関係(konkrete Verursachung)とはまったく別のものである。上の具体的因果関係は,まだ刑法上の帰責に対する十分な根拠とはならず,帰責のためには,違法な行為が人間社会の一般的関係からしてそのような損害を惹起することに一般的に適したものであるということが付加されなければならない。その場合には,それは相当因果関係〔adaequante Verursachung〕があるということができる。それに対して,そのような一般的因果関係なしに,個々の場合についてのみ,結果は一定の行為がなければ生じなかったであろうということがいえるときは,それは非相当なすなわち偶然的因果関係ということができる。
一例を挙げれば,御者が不注意で,例えば居眠りをしていて,右側の道を間違えて左に行ったために,馬車に乗っていた乗客に雷が落ちて死亡したような場合が,偶然的因果関係である。この場合には,過失が,乗客の死亡を具体的には(in concrets)惹起している。すなわち,その事故は,正常な行為がなされていたならば生じなかったであろう。それにもかかわらず,御者の居眠りは,一般的には(im allgemein),雷による死亡の可能性を増大させていないし,雷による死亡を惹起するのに一般的に適したものではないから,死亡事故は,御者に帰責されることはできないのである。
相当因果関係説は,クリースによって初めて主張されたが,その後,リューメリン(M.Ruemelin)およびトレーガー(L.Traeger)によって,さらに発展する。クリース,リューメリン,トレーガーは,原因として問題となっている条件が,結果の発生を促進しているかどうかの評価を,一般的な基準にしたがってなしている点では共通している。しかし,この評価がなされる対象たる条件の範囲に関して,以下のように相違が存在している[浜上・現代共同不法行為(1993)288-292頁]。
クリースは,行為が結果の発生を促進しているかどうかの評価を,条件の作出者に条件の発生の時点で事前的に(ex ante)個人的に知られていた,もしくは知ることができたすべての事情を基礎にして,事後的に(ex post)存在している一般的な経験上の知識を判断の基準としてなすべきであるとしている。これに対して,リューメリンは,客観的な事後的な予測の理論を主張している。すなわち,結果発生の可能性の判断のために,人類のすべての経験上の知識ならびに,条件の発生の時点で存在しているすべての事情を,その事情が,たとえ最高度の洞察によってのみ認識しうるものであったり,あるいは問題の条件よりも後に生じた事象から事後的に認識しうるものであっても,考慮すべきであると主張する[Ruemelin, Caulalbegriff(1900) S. 189 ff., 216 ff.]。
しかし,必要条件的因果関係説の不当な結果を確実に排除するためには,クリースの見解は,民事上の客観的危険責任や契約責任に関して,あまりにも狭すぎるのに対して,リューメリンの見解はあまりにも広過ぎるといわれる。
それ故,トレーガーは,クリースとリューメリンの見解の欠点を除去すべく,以下のような見解を主張した。ある出来事が,発生した種類の結果の客観的可能性を一般的にわずかでなく高めているときに,相当条件が存在するとトレーガーは考えたのである。そして,トレーガーは,そのような評価に際して,原因たるある事情と,条件の創造者がそれ以外に知っていた事情のみが,考慮されるべきであると考えた。トレーガーは,上のような事情の下で確定された事実関係を,評価の時点で使用することのできる人類のすべての経験上の知識を参考にして,それが損害の発生を重要な仕方で高めているか検討すべきであると主張した[Traeger, Kausalbegriff (1904) S. 159]。
そして,ライヒ裁判所の判例(RGZ 133,126 ; 135,154 ; 148,163 ; 152,49 ; 158,38 ; 168,88 ; 169,91),および,ドイツ連邦裁判所の判例(BGHZ 3,261)は,トレーガーの見解に従っている。ドイツの判例の文言によれば,相当因果関係は「ある事実が,通常(im allgemein)ある結果の惹起に適したものであったときに,したがって,単に特別に個性的な蓋然性のないそして通常の事象経過からすれば考慮の外に置くことができる事情の下でのみ,結果の惹起に適したものでないときに(RGZ 133,126(127) ; BGHZ 3,261(267))」存在するとされている。
このようにして,相当因果関係説においては,Aの存在がBの生じる蓋然性を高める関係にある場合に,BをAから生じる「通常損害」と呼んでいる。すなわち,「通常損害」とは,原因との間に「相当因果関係のある損害」のことである。これに対して,Aの存在がBの生じる蓋然性を高める関係にない場合には,BをAから生じる「特別損害」と呼ぶ。すなわち,「特別損害」とは,偶然から生じた損害のことであり,原因との間に,「相当因果関係がない損害」のことである。
講師:事実的因果関係と相当因果関係の説明が終わったので,両者の関係について,理解が正確になったかどうか質疑をしてみましょう。Eさん,事実的因果関係と相当因果関係との関係はどのように考えられますか。
学生E:事実的因果関係の「あれなければこれなし」のテストで責任を負うべき候補となる人物をピックアップし,その後,その人物に本当に責任を負わせるべきかどうかについて,「その人物の行為が結果に対して蓋然性を高めたかどうか」という相当因果関係のテストで最終的な絞り込みを行うのだと思います。
講師:その通りですね。もう少し具体的に考えるために,ドイツの刑法の教科書で引用されている有名な例をあげてみましょう。「殺人犯を産んだ親について,殺人との因果関係があるかどうか」という議論があります。殺人犯を産んだことと,殺人との間には,事実的な因果関係がありますか。相当因果関係はありますか。
学生E:「あれなければこれなし」のテストを使うと,親が殺人犯を産んだことと殺人との間には事実的な因果関係があることになります。しかし,相当因果関係がないとしないと常識に反すると思います。
講師:そうですね。それでは,どのようにして相当因果関係を否定しますか。
学生E:子供を産んだとしても,それが殺人犯を確率的に高めるとはいえないからですか。
講師:よろしい。子供を産むことによって,確かに,殺人犯もできるかもしれない。けれども,殺人しない人もできるのであって,子を産むことによって殺人の確率が増えるわけではない。子を産むことで,殺人犯が増加する確率が増すことにはならないので,相当因果関係はないということになりますね。
相当因果関係には確率的な考え方,および,量的な考え方が導入されていることが理解できると,事実的因果関係において複数原因の場合に機能不全を起こしていた「あれなければこれなし」についても,共同不法行為の例で示したように,正しく推論することができるようになる。さらに,因果関係に量的な考え方を導入すると,過失相殺(民法418条)についても,加害者の因果関係と被害者自身の因果関係の問題として捉えることが可能となり,被害者自身の因果関係の部分は,損害賠償の範囲から除外されるという考え方によって,以下のような統一的な説明が可能になる。
この考え方の利点は,幼児のように,過失を問題にできない主体についても,過失相殺を行っている実務の取り扱いを,因果関係の問題と捕らえなおすことによって理論的に説明できることにある(最大判昭和39・6・24民集18巻5号854頁)。
以下において,相当因果関係によって問題とされる「通常損害」と「特別損害」の意味をより詳しく説明することにする。
以下の2つの損害が,「相当因果関係のある損害」,すなわち,「通常損害」であるとされる。
ここで問題となる予見可能性は,過失(帰責事由)で問題となる予見可能性とは,多少異なる。全く同一であれば,因果関係と帰責事由とを別に判断する必要がなくなるからである。損害賠償の判断に際しては,因果関係のある者のうち,帰責事由のある者に限って損害賠償責任を追及できるという順序を踏んで考えることになっている。つまり,最初の因果関係の方が,緩やかな判断が行われ,次の帰責事由の段階で,責任がさらに絞り込まれることになるのである。
そうだとすると,因果関係における予見可能性は,責任を課されるべき本人が(又は同じような職業の人だったら)実際に予見できたかという厳密な判断ではなく,合理的な一般人(裁判官)にとって予見できたかどうかによって判断することができる。
さらに,契約当時の水準で予見できたか(事前の観点)ではなく,契約の履行時の水準で予見できたかどうか(事後の観点)で判断することも可能であるとされている(大判大7・8・27民録24輯1658頁(民法判例百選U〔第5版〕(2005)第6事件)。
大判大7・8・27民録24輯1658頁
法律が特別事情を予見したる債務者に之に因り生じたる損害を賠償するの責を負はしむる所以のものは,特別事情を予見したるに於ては之に因る損害の生ずるは予知し得べき所なれば,之を予知しながら債務を履行せず若くは其履行を不能ならしめたる債務者に其損害を賠償せしむるも過酷ならずと為すに在れば,特別事情の予見は債務の履行期迄に履行期後の事情を前知するの義にして,予見の時期は債務の履行期迄なりと解するを正当とす。
最一判昭和49年4月25日民集28巻3号447頁
交通事故の被害者の近親者が看護等のため被害者の許に往復した場合の旅費(21万6,278円)は,その近親者において被害者の許に赴くことが,被害者の傷害の程度,近親者が看護にあたることの必要性等の諸般の事情からみて,社会通念上相当であり,かつ,被害者が近親者に対し旅費を返還又は償還すべきものと認められるときには,右往復に通常利用される交通機関の普通運賃の限度内においては,当該不法行為により通常生ずべき損害に該当するものと解すべきであり,このことは,近親者が外国(モスクワ)に居住又は滞在している場合でも異ならない。
裁判官大隅健一郎の意見
本件旅費は,不法行為による損害賠償制度の基本理念たる公平の観念に照らし,本件交通事故により被上告人の被った損害として加害者である上告人にその賠償をさせるのが相当と認められるが,しかし一般の常識からいえば,これを本件のような交通事故から通常生ずべき損害と見るのは無理であって,特別の事情によって生じた損害と考えるのが素直ではないかと思う。
最一判平成5年9月9日判時1477号42頁
交通事故により受傷した被害者が自殺した場合において,その傷害が身体に重大な器質的障害を伴う後遺症を残すようなものでなかつたとしても,右事故の態様が加害者の一方的過失によるものであつて被害者に大きな精神的衝撃を与え,その衝撃が長い年月にわたって残るようなものであつたこと,その後の補償交渉が円滑に進行しなかつたことなどが原因となって,被害者が,災害神経症状態に陥り,その状態から抜け出せないままうつ病になり,その改善をみないまま自殺に至つたなど判示の事実関係の下では,右事故と被害者の自殺との間に相当因果関係がある。
批評
交通事故による傷害事件で,被害者が自殺するということは,特別事情から生じた通常損害ではなく,特別事情から生じた特別損害であるが,予見可能であれば,損害賠償の対象となるとする方が,説得的ではないだろうか。
これに対して,「特別損害」とは,偶然から生じた損害であり,原因との間の相当因果関係が否定される損害である。
つまり,相当因果関係理論においては,「特別損害」とは,たとえば,両親が子を出生させたことからその子が犯した殺人(人身損害)のように,確かに,「事実的因果関係がある損害」ではあるが,子の出生によって,犯罪率が増加するわけでないので,「相当因果関係のない損害」を意味する。
ただし,以下の対照表によって明らかなように,英米法では,相当因果関係における通常損害のうち,「通常事情に基づく通常損害」を単に「通常損害(general damages)」といい,「特別事情に基づく通常損害」のことを単に「特別損害(special damages)」と呼んでいるので,注意が必要である。
表24-2 相当因果関係と英米法の法理との間の通常損害と特別損害との概念の相違点 | |||||||||||||||
相当因果関係による説明 | 英米法の判例の法理 Hadley v.Baxendale(1854) |
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特別損害として因果関係を否定した判例
最一判平成11・12・20民集53巻9号2038頁
平成3年9月18日に発生した交通事故の被害者が事故のため介護を要する状態(脳挫傷による知能障害,四肢痙性麻痺等(後遺障害等級1級3号))となった後に別の原因(胃がん)により,平成8年7月8日死亡した場合には,死亡後の期間(平均余命を基礎とすると12年間)に係る介護費用を右交通事故による損害として請求することはできない。
裁判官井嶋一友の補足意見
口頭弁論終結前の被害者の死亡により爾後の介護の必要がなくなった以上は,口頭弁論終結後の被害者死亡の場合における請求異議の訴え等の許否についてどのような結論を採るにせよ,死亡後に要したであろう介護費用を損害として認める余地はないものと考えられる。
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