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趣味 (健康志向)

作成:2002年10月5日
加賀山 茂



T はじめに

一般的には,趣味といえば,その人の好きなことをいうであって,理屈では割り切れないものであるらしい。ところが,私の趣味は,ほぼ理屈で説明できる。一言でいえば,「体によいこと」が私の趣味の基本であって,私の「菜食中心主義」という健康法と密接に関連している。

食事や料理は,正しい栄養を補給して,健康を維持するためであり,運動やスポーツは体力を維持するためであり,音楽・映画・美術鑑賞,旅行等は,心の健康を維持するためである。

したがって,健康を害するとわかっていることは,なるべく避けるようにしている。お酒もなるべく飲まないようにしており,お祝いの場合の乾杯とワイン,つきあいの場合のノンアルコールビール以外は口にしないようにしている。タバコはもちろん吸わないし,偏見とは思いつつ,タバコを飲む人は少数の例外を除いてどうしても好きになれない。


U 健康生活

健康な生活は,「菜食」を中心とした食生活,適度な運動,精神を落ち着けるための多様なレジャーを行うことによって実現されるというのが,私の基本的な考え方である。精神的な安定のためには,仕事を快適にこなし,ストレスをため込まないことも必要である。

1. 食生活

私の食事の特色は,菜食を中心とした食事である。厳密な菜食ではなく,牛乳,ヨーグルトはよく利用するし,放し飼いで育てられた鶏の卵は食べている。魚介類もよく食べる。食べないのは,肉である。

肉を食べないのは,別に宗教的な理由があるわけではない。理由は,なるべく「食べる直前まで生きていたものを丸ごと食べるのがよい」という信念(私なりの栄養学)に基づく。

野菜は,ほとんどの場合,丸ごと食べることができる。特に,穀物等の種子は,命を宿している。私の主食である玄米を水に浸してみると,数日で確実に発芽し,玄米のもやしができあがる。キッチンでこの発芽実験をすると,種子には,生命を宿すすべてのミネラルビタミンが含まれていることを実感することができる。白米では,こんな芸当はできない。

小魚も丸ごと食べることができる。これに対して,牛肉の場合,牛を丸ごと食べることはほぼ不可能である。そんなわけで,玄米と白米との関係と同様,私は,魚は食べるが肉は食べないということになる(肉の場合であっても,鶏や豚の丸焼きのように全体を食べるのは,頭の中ではよいことだと思っている)。

このようなわけで,余り厳密ではないけれども,私の食生活は,「料理直前まで生命を宿しているものをなるべく丸ごと食べる」という原則に則って行われている。白米を食べず,玄米を食べるのも,この原則の適用であり,菜食中心といいながら魚や地卵を食べ,肉を食べないのもこの原則の適用である。

厳密ではないと思うのは,乳製品について,バターは食べないのに,ヨーグルト,チーズはよく食べることである。これは,脂っこいものが嫌いという体質にも依存するが,多分に,脂肪の取りすぎを警告する最近の栄養学に影響されているからであろう。

A. 栄養学

栄養学というほど立派なものではないが,私の食品選択の基準は,健康に不可欠であるにもかかわらず,日本の食卓に不足しがちな「カルシウムが豊富に含まれているかどうか」を第1の基準にしている。そんなわけで,食卓に,海藻,ゴマを欠かしたことはない。

(a) 栄養学との出会い

17歳のときに,母に勧められて,イアン・F・ローズ『世界記録を生んだ栄養学』(Ian F.Rose, "Faith, Love and Seaweed",1963)を読んだのが,私と栄養学との出会いである。人の健康は,「生まれつき(遺伝子)の問題であって,努力の賜物ではない」という漠然とした私の考え方を覆して,その後の人生を「病気知らず」に生きることを可能にしてくれた本である。

当時の栄養学は,「玄米・菜食の低カロリー食」など,不健康の代名詞のように言って切り捨てていた。そのような時代の潮流に逆らって,家族ぐるみで,「玄米・菜食の低カロリー食」を始めたのが,17歳のときである。それ以来,私は50年間にわたって,そのような食生活を継続してきた。

   
 http://www.morifarm.co.jp/
sale-genmai.html
 http://www.nisshin.com/entertainment/
encyclopedia/flour_01.html
米は精白すると胚芽が除去されるため,
ビタミンB1 が欠乏する
麦は精白しても胚芽は健在で
ビタミンB1 は欠乏しない 

最初は,「玄米・菜食」というと,奇異の目で見られた。しかし,30年(一世代)もたつと,それが世間でも次第に受け入れられるようになった。半世紀を経た現在では,玄米・菜食・低カロリーの食生活は,むしろ,健康的と評価されるほどの食生活となっている。

(b) 栄養学が教えてくれた私の生き方の原理

「最初に正しい(ごまかしのない)選択をして,継続していれば,たとえ,それが社会通念とは異なることでも,やがて,時代がそれについてくる」というのが,栄養学から得た私の信念である。

私が,白米ではなく,玄米を選択した理由は,実に簡単である。白米は,とれだけ美しく,おいしいとしても,食物としては,ビタミンB1を欠いており,それに頼った食生活を続けると,脚気(ビタミン欠乏症)に罹患し,死に至る場合がある。これに対して,玄米は,ビタミンB1ばかりでなく,脂肪や食物繊維が豊富に含まれており,脚気とは無縁だからである。

(c) 栄養学の経験が,革命的な法律学説を恐れることなく提唱させることに

新しい栄養学を実践することを通じて養われた私の信念は,民法学において,私が,「担保物権という独立の物権は存在しない」,および,「保証債務という独立の債務は存在しない」という担保法革命を平気で唱えることができた原動力となっているように思われる。

これから50年もたてば,以下のような,私の担保法革命の「二つのテーゼ」は,ごく当たり前の説となっているだろうというのが,私の憶測である。

  1. 担保物権という物権は存在しない
  2. 保証債務という債務は存在しない

今から50年もたてば,「担保物権」とか「保証債務」という表現は,歴史的な遺物と化していることであろう。現在の学説のごまかし(担保物権や保証債務は,債権とは別個・独立の物権や債務であるといいつつ,債権が消滅すると,それに従属して消滅するというごまかし)は,確かに短期間は継続するかもしれないが,世紀を超えて継続することはないだろうというのが,栄養学(Ian F.Rose, "Faith, Love and Seaweed",1963)から学んだ私の信念となっている。

B. 料理

自分で作って,人に食べてもらうのが,料理の醍醐味であり,最大の喜びである。 健康で長生きをしている人をみると,ほとんど例外なしに,自分で工夫して料理をし,人に食べてもらっている。

結婚して以来,料理には一切タッチしなかった私であるが,妻の死後,半ば仕方なく,私の栄養学に従った料理を実行している。そして,上手にできた料理は,ゼミの学生達や親しい人に食べてもらうことにしている。

私の料理の種類は,駆け出しの新米であることもあって限定されており,玄米の炊き込みご飯と豆腐と野菜サラダ(キュウリの酢の物),手作りのライ麦パンを使ったサンドイッチと手作りヨーグルト,具のいっぱい入った蕎麦,野菜と魚介類の鍋物ぐらいのものである。

玄米炊き込みご飯と野菜サラダは,いつもの朝食としており,私の家を訪問してくれた人には,これを出して,一緒に食べることにしている。

また,手作りのライ麦パンを使ったサンドイッチは,毎日,お弁当に持っていっているし,ゼミのある日は,このサンドイッチをたくさん作って,ゼミ終了後,学生達と一緒に食べることにしている。

夕食は,サンドイッチの残りか,蕎麦か,玄米の炊き込みご飯と鍋物にしている。

2. 体操

いくら食事に気をつけていても,適度の体操をしないと健康を維持することは困難である。特に,ストレッチと,筋力トレーニングは,老化の防止に効果がある。

ストレッチと筋力トレーニングは,自宅でもやっているが,専門家の指導を仰ぐために,スポーツクラブにも通っている。


V スポーツ

スポーツは,競争の要素が入るので,やりすぎる危険があり,私は,控えめにするようにしている。

1. 水泳

私に栄養学の基本を教えてくれたイアン・ローズ『世界記録を生んだ栄養学』の著者がローマオリンピックと東京オリンピックで連続して金メダルを受賞したローズ選手の父親であったこともあって,全身運動としての水泳には,とても親しみを感じている。

学生の頃は,夏になると,毎日プールで1Kmは欠かさず泳いでいた。現在は,余り泳がないが,そのうち,プールのあるスポーツクラブに入って,水泳を楽しみたいと思っている。

2. スキー

スキーはお金がかかるため,貧乏学生であった私は,スケートで我慢していた。しかし,就職してお金を稼ぐようになってからは,以前から誘っていてくれた友人と一緒にスキーに出かけ,スキーの魅力にとりつかれている。

スキーは,基本と応用との関係を知る上でとても教訓的なスポーツである。急斜面で転がり落ちて初めて,基本の大切さを痛感できるし,緩斜面でいくら基本を勉強しても,実際の急斜面に行ってみなければ応用力はつかないことも体験できる。

それに,スキーには,レジャー,旅行の要素も含まれており,民宿でのふれあいもとても楽しい。今では,スキーをしながら学問や人生のことを考えるのが無上の喜びとなっている。


W 音楽・美術・映画鑑賞

小学生の時に私はピアノを習っていた。途中でやめたが,楽譜が読めるので,童謡やクラシック音楽には,親しみを感じる。また,小学校の時に合唱団に入ってコーラスの楽しさを知ったので,今でも,デュエットが楽しめる。ポピュラーソングもデュエットのものが好きだ。

書道は好きだったが,絵はからっきしダメだった。そんなわけで,絵は見るだけである。見るだけなので,音楽の場合と違ってこだわりはなく,気楽に好きな絵だけを見て楽しんでいる。特に,ベラスケスとブリューゲルの絵が気に入っていて,旅行先では,それらの絵に出合うのが楽しみの一つとなっている。

映画は,現実では実現困難なことを,あたかも実現できてくれるように見せてくれる夢のある作品が好きである。たとえば,"Back to the future",ポール・エクマン教授をモデルにしたテレビ・ドラマ "Lie to Me" のような夢とロマンのある作品が大好きである。


X 旅行

日常から解放されて,見知らぬ地で,美しい景色を見て,その土地の料理を食べ,スポーツや出会いを楽しむ。

これほど,心安らぐレジャーはないと思う。ただし,見知らぬ地だけに,危険と隣り合わせなので,計画段階でいろいろな危険の防止策を綿密に練っておくことが大切である。

最近の旅行先としては,モンゴルのウランバートルがある。名古屋大学のAP基金によって,アジア法整備支援の一環としてモンゴル調査旅行に参加したのであるが,見聞を広めることができた。


Y 書評

本を読むのは,半ば職業であり,論文を書くためには,文献をよく読み,論文に引用するという作業を継続している。つまり,学者としては,書くために読むという作業は,日常茶飯事といえる。

この日常的な作業を趣味に応用することは,困難なことではない。教育・研究に少しばかり余裕が出てきたため,最近では,趣味で読んだ本について,書評を書いて,インターネットのブックレビュー欄に投稿するのを趣味にし始めている。

書評をすると,本の読み方が格段に深くなり,人に本を薦める時にも,その本の特色を一言で言えるようになって便利である。現在のところ,50冊ほどの本の書評を行っているので,100冊を超えるようになったら,それらを整理して,ここでも紹介したいと考えている。


Z おわりに

私自身,一般の人とはかなり変わった生活をしていることを自覚している。特に,玄米・菜食を中心とした食生活をしているというと,それだけで多くの人が敬遠してくれる。気の合わない人とのつきあいは得意ではないので,この点,気楽である。

変わった食生活を実行してみて感じるのは,世間一般に信じられている常識とか社会通念とか通説というのがいかに当てにならないかということである。

私は,現在の職業である学者としても,通説に従わず,異説を主張することが多い。その傾向は,高校生時代から,その当時の栄養学に反発して,自分にあった食生活を実行してみて実感した「世間の常識は当てにならないし,理由なしにそれに従う必要はない」という基本的な考え方・生き方につながっているように思われる。

趣味は生き方を映すというのは,多分,そういう意味で当たっているのかもしれない。


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